track46 決着とその後
「人類の……到達点……」
「あぁ、本来私や君の様な”人間族”は欲獣への適応が不可能とされている。……君の様なケースは無論前例もない極めて奇跡的なケースだが」
「………何故、不可能なんですか?……やはり夢魔の方々の様に、逸した欲望が無いから……」
「いいや逆だ。……人間は、全ての欲が強すぎる。夢魔やオーク達の様に、色欲や強欲といった謂わば避雷針のような物が無く、身体的・精神的状況に応じて様々な欲望が色濃く変遷する。故にバランスが悪く、少しの暴走でその者自身の精神構造が混乱の末に破壊されてしまうんだ」
「でもフロイスさんは……」
「あぁ、人間本来が持つ底知れない欲望のバランスをそのままに、己の意思で”強欲”のみを取り出し魔術を付与する。……普通なら、それまでに数百回数千回と欲獣化しては体が朽ち果て……を繰り返すレベルの非現実的な芸当だ」
そして、智里は再度フロイスを見て……思わず絶句する。
「………欲獣化………しているんですよね………」
人間の形が崩れていない。智里やシーラ、そしてエルードの様に、指一本すら微塵も獣と化していないのだ。
それが意味するのは、”完全な欲獣化”。人間が、強欲の力を、只一つも零さず、呑まれず……己の力に変えている。
「あぁ。……言葉を訂正した方が良いかもしれないな。彼女は最早、”適応種の到達点”でもある」
「っ………」
息を呑み、対峙するフロイスとエルードを見据える智里。
先に口火を切ったのはエルードだった。
「”強欲”だと?ッ……ハハハハハ!!!何をふざけてるんだ馬鹿が!!貴様の様な年寄りが……いや、そもそも人間如きが枢要罪級の欲獣化など出来る訳がないだろう!!老いぼれが、そんな太刀で何が出来る!!」
「ふふ、ではしかと目に焼き付けておきましょうね。………この老いぼれの鋩を」
空から、エルードに向かってゆっくりと太刀を下ろしていくフロイス。
言葉通り、鋩が彼へと向いた。……風すら吹かない静寂の数秒間。その果てに、フロイスは目を瞑る。
刹那だった。不気味な程に心地よく、耳から脳をすり抜けていくような金属音が聞こえたのは。
………もう既に、彼女は太刀を鞘に納めていた。
「……………何を……何を……し……た………」
遠く離れた前方に居た筈のエルードの身体が鈍い音を立てて地へと伏した。その身体から、間をおいて鮮血が滲みだしていく。……斬られていたのだ。それも、傷口さえ数秒開かない程に細く繊細な筋で。
「この年になっても、好き嫌いは治らないわね。………不味い欲」
その欲獣は、軽く舌を出して微笑んでいた。
◇◆◇
「…………っう………ぐぁ……痛っっってぇ~~~………!!!」
目が覚める。……いつから意識が無かったかすら覚えていないが、兎に角、起き抜けに襲ったのは夢かと思う程の全身への激痛だった。
「シッ……シーラ様ぁ!!!!」
突然、なぜか傍らに居たハンスが飛びついてくる。無論身体に走る痛みは加速し、もはや声すら出ないまま、地獄の形相を浮かべるしかなかった。
「どきなさいハンス!!私のシーラたんに濃厚に密着しないで!!待っててねシーラたん、今私がねっっっっっとりとした熱い抱擁を……」
「ぼっ僕だって!!おねえさまぁ!!」
「三人ともやめろ、死んでしまうぞシーラ君が」
苦痛に顔を歪めながら、辺りを見渡す。……どうやらここは、病室のようだった。俺はベッドに寝ていて、それを囲むように彼らが見守っていたのだ。
……その時点で、意識が途切れる前の出来事を沸々と思い出す。
「っ!!……そうだエルード……!!奴は!?フロイスさんは!!?」
「私は無事よ」
視界に、フロイスさんの姿が入る。塵の一つも付いていない。彼女の言う通り無事に違いなかった。
「……よかった……!」
「そしてエルードは、騎士団が捕縛した。……全体として、ケガ人は出たけど死人はいない」
ジークさんが神妙な面持ちで、事実だけを語った。
「す、すみません皆さん。……俺、いつの間にか気を失って……全部中途半端のまま……。一体何で急に意識が……」
「……背教魔術」
「…………え?」
フロイスさんが口を開く。
「適応種の中でもさらに上位の存在、『暴食』、『色欲』、『強欲』、『憂鬱』、『虚飾』、『傲慢』、『憤怒』、『怠惰』。これらを身に宿す欲獣は”枢要罪級”と呼ばれ、さらにその欲望を司る神との対話が許されている」
「……え、どうしたんですかフロイスさん急に……」
「欲獣化で生じる体への変化は、”神から与えられた力への対価”に等しい。変化が多いほど支払う対価も多く、逆に少ないほど対価が……まぁかみ砕いていえば、『神に気に入られている』ってことね」
「………」
「対話とは、貴女もしていた”渙発”。生じさせたい現象にまつわるワードを三つ詠唱して神に伝え、その許しを経て発生させる。……でもあなたは途中、怒りに任せて渙発ではなく”命令”をした。色欲の神アスモデウスの名と、その力を宿らせろ……と」
『弑逆の果て、アスモデウスの名を宿し、百古不磨の罪と成す。……唯一つは”鏖殺”。跪拝し、泪喜し、従い尽くせ』
粟野を殺した……とエルードが口走った瞬間、己の発した言葉を思い出す。……無意識だった。彼女が今述べている事実など一つも俺は知らない。故に、あんな詠唱を本来俺が行えるはずがない。しかし……。
「それが背教魔術と呼ばれる禁忌の力。本来なら一時的に恐ろしい程強大な力を得る代わり、神の怒りによって殺される術。……でも貴女は生きている。理由は全くわからない。言えるとしたら奇跡……それも、ありえない程のね」
「そ、そんなものを俺が……使ったのか……?何で……!?背教魔術なんて、今まで全く知らなかったのに……!」
「私もその存在は知っていましたが……あまりに迷信に近しく且つ危険なもの故、シーラ様にお教えした事は無かったはず……」
「…………ま、まぁでも!市民もシーラたんも無事でよかったじゃない!分からない事は後で調べていけばいいんでしさ!」
「…………珍しく良いことを言うじゃないかアイラ。……その通りですよシーラ様。今はとにかく休んで……」
「良くないわ。………死人が出なかったのはあくまでも結果論。辛うじて理性が残っていただけで、本来なら無差別に人間を殺していてもおかしくなかった。なぜその存在すら知らなかった貴女が背教魔術を使えたのかは分からないけど……怒りに狂っていた事実に変りはない。騎士として、いついかなる時でも冷静さを欠いてはならないわ」
「………はい……」
「………でもそこを除いて、貴女の行動には評価の価値がある。確かな実力と戦闘時の分析。そして市民への配慮。……私の様な老人一人見捨てようとはせず戦っていた」
「フロイスさん……」
「背教魔術の使用については、追って然るべき処分を下すつもりだけど……それは”団員”としてよ。…………シーラ・ロスタシア、今この瞬間を以て貴女を、帝国騎士団員の一員として認めましょう」
「えっ……」
「シ……シーラ様!!!やりましたね!!合格ですよ!!」
「流石おねえさまです!!」
「よろしく、シーラ君」
皆、口々に喜び、歓喜と祝福の言葉を並べている。
『ここは病室だぞ』というベタなツッコミよりも先に、俺の口から出た言葉は……
「ていうかフロイスさん………アナタ何者なんですか………?」
「………まずそこからだったわね」
病室にも関わらず、俺と彼女以外の全員が足を滑らせてコケていた、