track42 久し振り
プロテクトの突破は滞りなく成功し、俺はエルードの意識へ介入を果たした。
徐々に五感を取り戻していき……被術者の世界を体に感じるようになる。
触覚が戻った頃、身体を撫でる風に刺激され眼瞼を開く。
眩しさに狼狽えつつ、ゆっくりと。
「……………う、嘘だろ………?また………」
その瞬間、有り得る筈の無い光景に脳が揺らぎ足元がふらつく。
周囲を余すところなく振り向き、俺自身の記憶に染みついた全ての経験とその景色を照合する。
紛れも無く。……そこは、”学校”だった。
「この校舎……それにグラウンド、間違いねぇ。………俺の学校だ………」
晴天の下悠然と聳えるコンクリートの塊の様な校舎の正面、その根元に俺は屹立していた。
………どういうことだ?
いや、頭ではとっくに答えが出ていた。それに前例もある。
ここは、エルードの記憶から構築された夢。すなわち
「あいつも俺達と……同じ世界から来たってのかよ………!!!」
脳裏に浮かんだのはローブの男が事あるごとに口にしていた言葉。
『人間』。
この世界にも人間は当然の様に存在する。だがしかし、奴が今現在接触している人間はロミィを除いて……ここではなく俺達の前世の世界に存在した人間ばかり。
「俺達に……何をさせようとしてんだアイツは………!」
刹那、微かな怒号が耳朶に触れる。
左方十数メートル先。……校舎のすぐ左は浅い森になっており、生徒達は普段足を踏み入れる事など無かった筈だ。
……訝しく思いながら、俺はその森へと歩を進める。
◇
「お姉さま……大丈夫かな……」
エルードの夢に介入してから凡そ五分。
……体がそわそわして落ち着いていられない。
「きっと大丈夫よ、彼女なら」
声を掛けたのはあのお婆さんだった。
……なんでだろう。出会ったときは凄く上品なお年寄りって感じだったのに、今は何処か……思わず圧倒されてしまう様な異質さを孕んだオーラを感じる。
「……こんな時に、しかも今更ですが……お名前、教えていただけますか?」
「ふふ、そういえばまだお互い名乗ってすらいなかったわね。……フロイス・フィル・ミルリアよ。貴方は?」
「あ……えっと……し、清水智里……いやトモリ・シミズ?う~~ん………と、トモリです」
「シミズ・トモリ?珍しいお名前ね」
思わずドキッとして冷や汗が出てしまった。
……こういう時の為に一応偽名みたいなの考えといた方がいいかもしれないな。
「……でもその珍しい名前の感じ、どこかで聞いたような………」
「え?」
「確かアワノ………」
………そこで、目の端に違和感が映り込んだ。
「………え……」
「あら、どうされたの?」
「ちょ、ちょっとすみません………」
立ち上がり、足早に向かったのは他でもないエルードの下だった。
戦闘により着用していたスーツの所々が破れている。
その中でも目を奪われたのは……上着のポケット部分。
倒れたのを契機として所持品が地面に広がっていた。
「こ、これって………」
拾い上げたのは、長方形の薄い塩化ビニル製と思しきシート。
縦五つ、横二つの合計十の円形の窪みがあり……その内のいくつかは破れ、中身が入っていない。
……一瞬でそれが何かを理解し、混乱に襲われた。
「薬………!?」
間違いない。薬だ。誰もが一度は目にする、錠剤を封入したPTPシート。
それを持っていたとして、何も問題はない。
……ここが異世界でなければ。
「この世界の薬はポーションとか丸薬として流通してる筈……こんなシートに入った錠剤なんて……ここに来てから一度も見てない………!!」
そして、決定的だったのは印字だった。
要所要所が掠れていたが、その薬剤の規格を表す数字はアラビア数字であり、単位はアルファベットで記載されていた。
間違いなく、僕たちが元いた世界の文明のものだった。
「この人も………僕たちと……?ていうか何でこんなものを持ってこられたんだ………?」
「トモリ君、この方に何か?」
「えっ!!?あ、う、い………いや!勘違いでした!よく見たら顔見知りかなぁとか思ったんですけどね!!」
後ろから声を掛けられ驚いた僕は、すかさずそのシートを懐に入れる。
お姉さまが帰ってきたら真っ先に見せないと。
………いや、その必要はないのかもしれない。
もしこの人が僕たちと同じなら、今彼女は……再び前世の記憶に飛び込んでいる筈だ。
◆
「や……やめて……」
「あ?うるせぇんだよ豚!!さっさと寄越せ!!クソッ!!!」
森に入ると、飛び込んできた光景は何とも胸糞悪いものだった。
土の上に尻餅をついたまま、男子生徒三人に蹴られ続けている者がいる。
黒い制服は足底から移った土に塗れ、目視できる皮膚にはかすり傷が大量に出来ていた。
「ガキ共が………ん?あれって……」
いじめている生徒でなく、いじめられている生徒に俺は見覚えがあった。
平均よりも高い背丈に平均よりも横に広い体形。
その小太りな彼の名は三浦俊平。俺の前世での稀少な友人の一人だった男だ。
「…………俊平じゃん!!っわぁ……なっつかしいなぁ!!おーーい俊平!!」
あまりのテンションの高揚に、”現在進行形で卑劣な暴力行為を被っている男子高校生の下へ満面の笑みで駆け寄るサイコサキュバス”という最低の絵面が完成してしまった。
だが俺の声は両者ともに届いておらず、一方的のまま終わってしまった。
「ちっ………また干渉出来ねぇのかよ!!……おかしい、完全に欲獣化してから一回もまともに介入出来てねぇ。それに……本来ならこんな鮮明で複雑な記憶ん中まで行けねぇ筈なのに……」
「おいお前らやめろ!!!」
………突然、俺の後方から声がした。
振り返る。
そして目を剥く。
「っ……………あーー………そうだった」
俊平が他の生徒にいじめられている光景は、前世で幾度となく見てきた。
そして、感じていた胸糞悪さは、当時も同じだった。
「い………稲神……君」
「大丈夫かよ俊平!……てかお前ら………マジで懲りねぇな……」
骨伝導以外でその声を聴いたのは、これが初めてかも知れない。
「…………久しぶりだな、お前とも」
呆れた表情で立っていたのは、紛れも無く俺の前世の姿……人間だった頃の稲神奈生だった。