track39 狂感覚
実験的な戦闘の可能性。だが、全力で臨まなければ奴はそれすらも”抵抗”とみなし、人質を皆殺しにするかもしれない。……逆に従ったとして必ず全員が解放されるとも限らない。故にこの戦闘における目的は、奴の能力の発動条件及び解除条件を把握したうえで鎮静化し拘束すること。
”知覚を狂わせる能力”。なら懸念すべきは……
「智里、俺の攻撃から目を離すな。そんで……その人背負って、いつでも避けられる体勢取っといてくれ」
「え……?」
「あいつの能力が思ってる以上なら……」
「何を話しているか知りませんが………早くしないなら、宣言通り皆殺しですよ?」
相変わらずの笑みを張り付けながら、さも悦に入った様な声色でそう告げるエルード。
……戦闘のタイミングまで相手のペースにされてしまっている。
「……とにかく、その人頼んだぞ智里!」
「え、は……はい……」
訳も分からず智里はその場で屈み彼女を背負う。
……その頃には俺の欲獣化が完了し、全身に迸る沸騰した様な血液の熱さを纏った。
「ぐっ……やっぱ暴走してんだなこれ………頭痛ぇ……」
明らかに以前よりも暴走が強い。五感が異常な程に尖り、脳にパンクするほどの情報が一瞬にして流れ込んだ感覚。思考は冴えている筈なのに……体が思うように動かない。目覚めた本能より先に、度を越した理性に脳を支配されている。
だが、それどころじゃない。さっさと戦闘を始めなければ。
……熱を帯びたまま、地を踏みしめ走り出す。
「手始めに………!!」
出来る限り智里達から真横に距離を取り、奴に向かって右腕を振りかぶる。
そのまま投げ飛ばす様にして放ったのは共通魔法レベル4、”槍”。細く高密度に圧縮した魔力を射出する遠距離型魔法。……だが、ある懸念の為に手掌と槍との間に架橋する細い魔力の糸を、切り離していない。
「絵に描いたような小手調べですが……まぁ普通なら避けられないスピードと中々の圧縮ですね。やはり素質はあるようだ」
エルードは一歩も移動しない。視線も槍ではなく一向に俺の方を捉えていた。
「……っ!!」
その時、情景が書き換わった。奴の方へ一直線へ進行していた槍は……瞬きをした瞬間、奴ではなく真っすぐ智里達の方へ方向を変えて………いや、
「初めからあそこに投げてたのか………!?クソッ!!」
手綱を引くようにして槍の進行を妨げ、着弾地点を何とか彼らの右方向へとずらす。
智里も俺の言葉通りその攻撃から目を離していなかったらしく……彼女を背負い反対方向へと既に回避行動をとっていた。
「やっぱそうなるか……!」
「……直線的でなく冷静に攻撃を選択。思考の方も侮り難い」
知覚をどこまで狂わされるか。そこが問題だった。
先程の様に”違和感を違和感と思えない”程度の漠然としたものなのか、それとも”五感を根底から書き換える”程のものなのか。……後者だった場合、途轍もなく戦いにくい上に智里達への攻撃の飛び火を常に考慮しながら戦わなければならないが……たった今、それが決定づけられた。
唖然としている彼に、確信と変わった事実を告げる。
「すまん智里……!!俺の視界、いや多分五感が狂わされてる!!だから……これから暫く俺の攻撃はまともに奴に届かない。でも戦闘も止められない!……負担かけちまって申し訳ないが………対処法が見つかるまで出来る限り離れて、ヤバかったら避けてくれ!!」
「僕も……僕も闘います……!」
「二人して知覚狂わされたらどうなる!!……こいつが俺だけ狙ってる以上、お前はその人を守る事に専念してくれ……!!」
理解はしている、といった顔だった。
込みあがる不服と不安を静かに呑み込み、智里は消え入る声で”分かりました”とだけ呟く。
「”対処法”……ですか。実に良いですね、貴女ならすぐ見破れるでしょうが」
「………今、教えてくれたっていいんだけどな」
「ハハハ、興が醒めますので遠慮しておきます」
前傾姿勢。そのコンマ一秒にも満たない直後、奴がこちらに跳躍する。
”受ける”以外の選択肢は無く、体を折り急所を守ったまま衝撃に耐えた。
……感じたのは鈍痛と刺痛。体部による衝撃と、鋭利な爪による両腕への刺突。
慣性のまま後方へと吹き飛び、血を流しながら地面へと倒れ伏した。
「あぁっ!!!」
「おねえさま!!!…………お、お前……いい加減に……!!」
「主人の言いつけを守らないのですか?……それはそれで面白いのですがね」
「………く……っ……!!」
有無を言わさず攻撃を仕掛けてくる。
転がった俺を蹴り上げ、喉を掴み締め上げる。
……近距離においても、相当な力を有しているのは疑い無かった。
「くっ……そ……!!前が………」
腕から流れ出た血液が両目に入り視界すら塞がれている。
痛みと苦しさで思考も断絶し、ただ藻掻くことしかできなかった。
「……少々不憫ではありますが、貴女の余力が尽きるまでは戦って頂きますよ。さぁ、もっと足掻いて下さい」
「ぅ………ぐ……あ………!!」
頸動脈ごと締め上げられ呼吸はおろか意識すら朦朧としていく。
だが……追い詰められた事が契機となったのか、脳を支配していた理性が徐々に……”生存”を求める本能へと切り替わるのを感じた。
……何も思考せず、ただ己が生き延びるための行動を。
その結果生じたのは、エルードの腹部への”槍”の発動だった。
「がっ………あぁ……!!な、何……を……!」
刹那、喉元から奴の手が離れそのまま地に落ちる。
一気に舞い込んできた外気に大きく咳込みながら呼吸を整え……後方へと距離を取った。
「………攻撃が……通った……」
不意打ちに近い形になったとは言え、奴が俺の挙動の監視を慢心故に怠っていたとは……あまり考えにくい。それに最初から悪足掻きに備え俺の知覚を狂わせておく事も出来た筈だ。
腹部に刺さった魔力の塊は大気へと消失し、失血による意識の動揺によろめきながらも奴は笑っていた。
「は……ははは………欲獣……相手は難儀でも、適応種なら簡単にと……思っていたのですがね。中々に手厳しいようだ」
「はぁ……はぁ……」
互いに血を流しながら、相手の姿を只瞬きもせず見据えていた。
……纏めろ、この一連で感じた違和感を。
攻撃が通った際の状況。……出血、視界、呼吸、本能。
そして何より奴が何の欲獣なのか。それとこれらの条件の内どれかを繋げば、必ず対処出来るはずだ。
「休んでいる暇など……ありませんよ!!」
すぐさま拳を握り距離を詰める。
……応戦するが変わらず俺の攻撃は幻かの様にすり抜け、逆に奴の攻撃はどれだけ避けても命中する。
下手に魔術を使っても……範囲の広いもの、遠距離のものではまた智里達へと飛び火してしまう恐れがある。
近距離を強いられ、また距離を取ったと思っていてもむしろ格好の的となる位置に動いていたりと……状況は明らかに一方的だった。
「ぐぁっ!!……畜生……!!」
「後ろですよ」
前方にいた筈が背部に回っていた。防御せず顔面に拳を受けながら右足で蹴り上げる。……しかし
「残念、次はこっちです」
声を振り返ると左方に出現しており、そのまま腹部を右膝で蹴られ大きくよろめく。
「はぁ………始めは感心していましたが、今はもはや単調の極みですね。何の面白みも感じません」
「………っ……ぅ……」
乱れた髪を両手で整え、ため息交じりにそう呟くエルード。
「貴女もそろそろ力尽きる頃合いでしょう、散々甚振ってしまって申し訳ありませんでした。……これで終わりですよ、シーラお嬢様」
静かにこちらへ歩みを進める。
仰向けに転がった姿を嘲笑し、一つ呼吸を置いた後……右足を俺の顔面の直上に振り上げた。
「お……おねえさま!!」
「半殺しくらいなら主もお許しになるでしょう。……安心してください。ちゃんと目は覚めますよ、貴女以外はね」
智里の声が微かに聞こえる中、俺は只……眼を瞑る事しかできなかった。