track38 覆われた不審
「さぁ、大樹の右手に広がる草々は陽月草でございます!なんとこちら……夜が更け、暗闇が濃くなればなるほど強く光を放つ神秘的なもので……」
結局、尋常でないエルードの圧に押され……俺達は渋々案内を頼むことにした。だがハンス含めた四人と別行動中が故、あくまでもこの周囲のみに限ってという条件付きで。
その直後から彼は目を輝かせ、どこぞの劇団員の様に全身を使ってあちこちの管理物を紹介し始めている。
「……正直、早口過ぎて何言ってるかまるで分らんな……」
「異世界にもいるんですね、得意ジャンルの時だけ饒舌になる人……」
もはや周りすら見えていない彼の説明に対して我々は途中から聞くことを放棄し、後ろを付いて回りながら雑談に耽っていた。
「何か変なのに巻き込まれちゃいましたね……すみません」
智里を挟んで左を歩く老婦人に軽く頭を垂れる。
「いいえそんな、謝る事じゃないわ。それに初めて来たんだもの……むしろ有難いわ」
どうやら彼女は、あのフラッシュ暗算並みの言葉の応酬をしっかり受け止めていたらしい。
それに他の観光客もちょくちょく彼に道を尋ねたり、同僚らしき者達も彼を見て軽く手を振ったりしている。……意外とカリスマ的な要素でもあるのか?
……それからも他愛ない話を交えつつ、エルードの案内が終わるのを歩きつつ待った。
その間、目線の高さをはためく金色の蝶や、耳心地の良い琴の様な鳴き声を響かせるカエルと思しき生物等……思わず二度見してしまう保護生物の数々を横切った。
「あ。おねえさま、何かパンフレット的なものがありますよ」
「……それあればもはや案内いらなくね?……一応三つ取ってくれ」
道中のベンチ横に備えられた黒いパンフレットスタンドから、智里は手前の三冊を抜き取り俺と彼女へ渡した。両者とも謝辞を述べ受け取る。
「滅茶苦茶気合入ってんな……色合いがうるさすぎて逆に読み辛いレベルだ」
「あ!ここって最初僕たちが落ちた……”ネヴロ唯一の湖、ヴィスル湖”……へー、そんな名前だったんですねアレ」
こちらにパンフを向け、全体マップの中央を指差す彼。
あんなに広かった湖も、敷地全域と比べれば比率はかなり小さいらしい。
他にも所々見覚えがある管理物の説明書きもあり、やはりこっちの方が断然分かりやすかった。
「ローワイトゼルも、ジーク隊長が言ってた説明通りだな」
昼間の大樹を写した画像のすぐ下に、仰々しい調子の説明文が添えられていた。
”無限に等しい膨大な魔力を持ち、自身より貯蓄量が低い生命に対してそれを流し込む。周囲のエネルギーを高感度で検知し、自身より多くの魔力を持つ物体が近くにある場合……”
「”活動を……一時的に停止する”」
「どうかされました?おねえさま」
「………い、いや……何でもない」
停止……してたよなさっき。確実に、見間違いじゃなかった。
でも待て、”無限に等しい膨大な魔力”だろ?それより多い魔力を持つ物がついさっき、俺達の周囲にあったってのか!?
俄かに信じられんが………もし事実なら、こんな事してる場合じゃないのでは……
その時だった。
「はい!!こちら、アルトココンが誇るネヴロ唯一の湖………”ヴィスル湖”でございます!!!」
思考を遮る様に、エルードの声が鼓膜を揺らす。
明瞭になる意識に投影された景色は……”あの”湖だった。
我々が上空から落下した水面。しかも、先程降り立った湖畔とは真反対の地点に立っているのだ。
ここから直線距離でも恐らく500メートル以上は離れている。
「はぁ!?お、おい……!!何で……っていうかいつの間にこんな離れた場所来てんだ!?ローワイトゼル周辺だけって話じゃ……」
「ま、まだ歩き始めて2~3分ほどしか経ってないと思っていたのだけど……おかしいわね……」
そう、とてもあの場所から何百メートルも歩いた感覚は足にも脳にも刻まれていない。
周囲の景色もちゃんと見ていた筈だ。ちゃんと……
「いや………」
今一度全体マップを見る。……先程見た蝶とカエル、その地点は……既にあの大樹から遠く離れた場所に記載されていた。
明らかに景色が変わっていたのに、あろうことかマップも確認していたにも関わらず……我々は違和感を抱かなかったのだ。……明らかにおかしい。
「適応種相手じゃやはり、効きが弱いのでしょうか」
「………お、おい今……何て……!」
「拙い嘘をお許しください。……私、この地の関係者などでは御座いません」
先程まで笑みを浮かべていたエルードは一層深く口角を上げ、不気味に、悍ましく北叟笑んだ。
………ふと脳裏を過ったのは、魔力の流れを止めたローワイトゼルの姿だった。
「逃げてください!!」
「えっ……」
困惑する彼女の肩を掴み、確信を以って声を上げる。
「欲獣です!!早く!!」
「………ご明察」
瞬間、脳が揺れる。
耳から鼓膜を抜けた気流が直接脳を鷲掴みにした様な感覚。
三半規管が悲鳴を上げ、思わず嗚咽し膝から崩れてしまった。
「ぐぁ………何だ……これ……!!」
「ど、どうされました!?おねえさま!!」
智里がこちらに駆け寄る。
どうやら、攻撃を受けたのは俺だけらしく……二人はただ唐突な出来事に困惑を隠せていない様子だった。
「あの騎士団連中が近くにいると厄介なので、少々ご足労頂きました。……シーラ様、申し訳ありませんが……貴女との戦闘を願います」
他の四人の素性、それに俺の名前まで……コイツマジで何者だ……?
「くっ……そ……智里……!!その人連れてさっきの所戻れ!!………出来ればハンス達も探して呼んでくれ……」
「で、でも………」
「やめた方が良いと思いますよ。秘めていてもアンフェアなので早速種を明かしますが…………私は人々の脳に作用する魔術を扱います。貴女の様な適応種には知覚操作が限界ですが……無能力者程度なら、知覚や記憶、何なら強制的に中枢神経を破壊し簡単に生命活動を終わらせる事が出来ます」
「てめぇ……まさか彼女を人質に」
「そのご婦人だけではありません。……保護区域に居る一般人全員ですよ」
「な………!!馬鹿が、そんな訳……」
……辿る記憶の中に心当たりがあった。
ここに務める従業員達が何の疑いも無くこの男に手を振り笑いかけていた事実。
数多くいる観光客の中には無論常連もいる筈、なのに我が物顔で案内をしている部外者を訝しむ視線も一つとして感じなかった。
「貴女が戦闘を拒んだり、応援を呼ぼうとした瞬間、私はそのご婦人含め一般人を全員殺害します。……慈悲は期待しない方が良い」
「…………クソ野郎が………」
「ハハハ、聞いていた通り随分と口が悪いですねぇ」
「……”聞いていた”?誰にだ。やっぱり協力者がいるんだな………教えろ!!」
「んー……では私のここに、一つでも傷を付けられたら……教えて差し上げましょうか?」
エルードは自身の右頬を指で斜めになぞる。
虚勢ではなく純然たる自信。闘争を悦楽と感じる者の気配。
……誰と繋がっているかなど、言われなくても検討はついていた。
「ふざけやがって………ならやってやるよ」
「おねえさま!」
「智里、意地になってる訳じゃない。察してくれ」
もしあのローブ男と繋がっているのなら、暫定的だがこいつらの目的は俺の”観察及び実験”。
あの時の様に理由は知らないが戦闘による俺の成長とやらを望んでいる。
愚直に従うのは無論嫌だ。しかし前回同様人質を取られている以上……従う他無いだろう。
……欲獣化を覚悟し、懐から鎮静記号を取り出そうとする。
「………あれ」
「?何か……お探しですか?出来れば早急に始めたいのですが」
「うるせぇ!!……ちょっと待ってろ!!」
無い。ポケットというポケットをまさぐりにまさぐっても全く無い。いつ戦闘になっても良い様に購入直後から身につけといたはずなのに……
「も、もしかしておねえさま……さっきの墜落の時に、紛失してしまったのでは………」
「…………それだわ……」
そうなると、完全に湖の藻屑になってるに違いない。
……何処までもツイてないサキュバスだ。
「まぁ……最悪無くても闘えるしな。……今はさっさと終わらせるしか……」
「宜しいのですか?……それでは、早速”参りましょう”か、お嬢さん」
瞬間、エルードの顔面に朱色のタトゥーの様な線が、その輪郭にそって半円形に現れる。
爪は鋭く瞳は赤く。………変化はそれのみだった。
間違いなく、適応種の欲獣化だ。
「”嘗めんじゃねぇ”。頬に傷だぁ?……顔面抉れるくらいぶん殴ってやるよ」
その言葉を契機にして、足元に紫の魔法陣が出現した。