track28 庇護欲
「ご機嫌よう、デラネちゃん。少し寄り道していたの、遅れてごめんなさいね」
「…………」
表情は読めない。だが目の前で泣き叫ぶ己の娘を見て尚、私に一切の乱れ無い言葉を返した。
柄にもなく汗が滲む。…………それだけ彼女の放つ欲獣としての瘴気は異質で強大だった。
「…………シーラに、何をしているの」
「………………大したことはしていません。これは、あくまでもテストの一環です」
「デラネ……!!…………ヴィエラ様、今彼女は庇護欲による精神攻撃を受けています。これ以上続ければ…………」
「少なくとも、精神が壊れ廃人になる」
ヴィエラは目を瞑り、さも当然かの様に軽く、言葉を紡いだ。
「知っていてその冷静さ。随分と淡泊なのですねぇ…………?それとも、怒りを堪えている真っ最中なんでしょうかぁ?」
見ると、彼女は静かに拳を握り小刻みに震えていた。
案の定…………夢魔の長と言えど一人の母親。立場上露にはしないが、胸の内に私への怒りを抱いている筈だ。
公然と帝国という二つの鎖に繋がれていなければ、私は一瞬にして殺されているだろう。微塵の抵抗も許されず、文字通り一瞬で。
それでも私は譲るつもりはない。激昂するならすればいい。
「訊いておきましょう。何故シーラに庇護欲をかけたのかしら」
「………貴方のご息女…………いいえ、シーラは偽善の塊の様な存在です。見境なく、先を見据えず、自身の力量を省みず戦場に臨む愚者そのものです」
「…………………今何と言った………!?シーラ様を侮辱したな貴様ぁ!!!」
再びハンスは詰め寄り、今度は胸倉を思い切り掴む。
随分と忠心深い執事だ。よくもまぁそこまで主人の為に牙を剥けられる。
「ハンス、少し下がって」
「ヴィエラ様……デラネは、シーラ様のこれまでの戦いを……これまでの信念を侮辱したのです!!許せる筈が………!!」
「下がって」
「っ…………!!ヴィエラ様………」
ほら、その目付き。やっぱり抑えられてないじゃない。
ハンスを目で促し下がらせたヴィエラは、一つ呼吸を置くと私を静かに見据えて一歩、また一歩と歩み寄る。
「……………どうするつもり?」
「………………そうねぇ、じゃあこうしましょう」
――――――来る。
私は彼女を睨みつけ、本能的に構える。
しかし、構えようとしても構えられない。
何故なら全身、頭の先から爪先まで一切の関節が石の様に固まっていた。
「なっ………!う………動かない………!!」
「あなたも知っているでしょう?私も同じ、精神に潜り込む力なの」
「だ……だからって………ノーモーションで動きを止めるなんて…………馬鹿げてるわ…………!!」
「お世辞が上手ね?こんなものは曲芸にすら成り得ないわ」
彼女の姿が眼前に至る。
見下ろし、怪し気な微笑を浮かべて両手を私の頬に当てた。
…………レベルが違う。
遥か以前に一戦を退き、更に二ヶ月前の一件で敵の魔術に掛かったと聞いて衰えの一つでもあろうと甘く考えていた。でも、今の彼女にさえここに居る人間は誰一人として適わないだろう。
「ハッ…………ハハ…………私を脅して止めさせる?それとも、私を今殺して強制解除かしら」
「……………いいえ、そのどちらでもないわ。覚悟しなさい」
私は何の抵抗もせず、只目を瞑った。
…………どいつもこいつも、分かってない。
今ここでシーラの意思を折らなければ、後に苦しむのは彼女自身だというのに。
「くっ…………」
頬に触れる指が、徐々に突き立てられる。
悍ましい程の力を込めた五指は律動を始め…………
…………激しく、私の両頬をつねった。
「いだだだだだだだだだだ!!!!」
「ふふ、情けない声ね。覚悟しなさいって言ったでしょ?」
「あっ………あにをひへいるの(何をしているの)!!?わらひをこおふんひゃ(私を殺すんじゃ)………」
流動体でも扱うかのように遠慮なく頬をつねりまくるヴィエラは、私の崩れた言葉の羅列の意味を察して…………まるで全て見透かしたかのような声色で語り掛ける。
「そんなこと、する筈がないじゃない。…………貴方は優しい子だもの」
漸く指を離し一歩後ろに下がる。
頬が無くなったと錯覚するほどの痛みに辛うじて耐えながら、私は彼女を睨んだ。
「何おかしな事言ってるの………!?私が優しいですって?見てみなさい!シーラは今、私が掛けた幻術で死よりも苦しい絶望を………」
「それも全てシーラの為。でしょ?」
「っ……!!」
「……………私はね、本当はシーラが最初に”帝国騎士団に入りたい”って言った時からずっと…………悩んでいたの」
「ヴィエラ様……」
彼女はハンスを一瞥し、”大丈夫”と語り掛ける様な視線を向け、話を続ける。
「知っての通り入団は強制じゃない。…………私はシーラを危ない目に遭わせたくなくて以前は何度も説得した。でも結局シーラの意思は変わらなくて…………だから私はその意思を受け入れて、今度はあの子をサポートしようと努めてきたわ」
「…………」
「でも…………どれだけ欲獣を解放したとしても、成功は恒常じゃない。一つの奇跡の裏には無数の絶望がある。それを身を以って知った時シーラはどうなってしまうんだろうって。…………私はそれを伝える術を持たない。いいえ、結局………とことん子離れ出来てないだけなのかもしれないわ」
彼女は私の頭に優しく手を乗せて屈み、同じ目線を以って微笑んだ。
「最大、つまり深度4クラスの庇護欲を掛けたのなら、恐らくその人間はあまりの絶望に耐えかねて自害するでしょう。でも恐らくシーラに掛けたのは深度1にも満たない幻術で、ましてや後遺症なんて微塵も残らない。そして万が一にもシーラが自分を傷つけないように身体の動きまで封じている」
「なっ………それは本当なのですか!?あれで深度1未満なんて………」
「ハンス、私は彼女の本気を知ってるわ。…………でも戦場での地獄を知るには、深度1でも十分すぎる」
「……………違う…………私は本気で!!」
「本気で、シーラを護りたい。………これ以上闘争に身を投じて、心を穢してしまわないように」
「黙れ!!そんな甘い考えなど………!!」
「でもね、あの子は折れないわ。例え血の海に沈もうとも、無数の裂傷を負おうとも、目の前で幾千もの命が消え果ようとも。…………二ヶ月前、見栄も建前も躊躇も無く命を賭けたシーラを見て漸く分かったの…………あの子の正義は強すぎる。私にもあなたにも、シーラは決して止められないわ」
「……………だからこそ………当然の様に他人へ天秤が傾く様な馬鹿だからこそ………!!私は止めなきゃならないのよ!!!」
そうだ。あの子の純真と強さは、決して穢れた戦場で散っていいものじゃない。
どれだけ責め立てられようと、どれだけ憎まれようとも………シーラに現実での地獄は見させない。




