3 Rincorrer-3
カルズ通りはひっそりとしていた。
ポロッツォ通りと違い、街娼や土竜の児も見当たらない。ジャック2世に対する警戒か、時折ランプを持った警察官たちが大通りを歩いていくだけである。
アオは見つからないように身をひそめて警察をやり過ごし、それから裏通りに入っていった。
狭い裏通りはさらに暗く、慣れている目でも暗闇しか見えない。人の気配もない。空に浮かぶ明るい月だけが頼りだ。
こんなところに、ランがいるのだろうか?
なんだか自分が的外れなことをやっているように思えてきて、アオは頭をかいた。
「ラーン、いるか?」
てくてくと歩きながら、一応呼んでみる。
「ラーン?」
いるわけないじゃないかという気になってきた。
そのとき、ガサッと背後で物音がして、反射的に振り返る。思わず身をこわばらせたが、家のドアのところで猫が「ナーン」と鳴いた。
なんだ、と胸を撫で下ろす。それから自分のおびえ具合に苦笑した。
と。
サッと全身が冷たくなったのが自分でもわかった。
――ほのかに漂う、甘い花の香り。
後ろに、誰かいる。確かな視線。
ドッ、ドッと不気味に胸を打つ心臓を感じながら、アオは平静を装って前進する。
暗い雲が月をのみ込んだ。
見知らぬ気配は、音もなくぴたりとついてくる。
「……ッ」
息を止め、アオは駆け出した。すると後ろからも走る足音がついてくる。思いのほか速い。
緊張のせいか、足がもつれてうまく走れない。
花の香りが鼻をつく。
(捕まる!)
すぐ後ろに息遣いが迫った。黒い手が伸びてくる。
「ラン!」
助けて。
叫んだ瞬間に、後ろでドン、と鈍い衝撃音があった。それから短い悲鳴。
「アオ、大丈夫か」
思わず振り返ると、どこから現れたのかランが立っていた。そして、そばには倒れこんでいる黒い人影。コートと帽子、夜闇で人相は知れない。
――切り裂きジャックだ、と呆然としながらアオは理解した。
襲われかけたところを、ランが助けてくれたのだ。
「ラ、ラン……っ」
「逃げるぞ、こっちだ!」
驚きすぎて惚けているアオの手を、ランがぐいっと引く。そして二人は走った。アオはランに導かれるままに駆ける。
倒れこんでいた人影も、ふらりと立ち上がるとハッとしたように追いかけてきた。少しずつ距離が縮まる。
この辺りに詳しくないアオは、自分が出口のない迷路にさまよい込んだ錯覚に陥っていた。それでも立ち止まらないでいられるのは、ランが力強く手を引いてくれるからだ。
しかし、このままでは殺人鬼に追いつかれてしまう。
「ラン、あいつが来てる…ッ」
ランはわずかに振り向き、落ち着いた声音でささやいた。
「アオ、今からオレの言うとおりに」
*
なんということだ、なんということだ。
今まであんなにうまくいっていたのに。こんな失敗は初めてだ。
逃がせない。逃がさない。逃がすものか、二人とも。
これは使命だ。神の意思なのだ。
先ほどは油断していたが、相手はしょせん子供。仲良く手をつないでいるせいで、足は遅い。すぐ追いつける。
思わず口元が笑ってしまう。
これで消える。邪魔なものはすべて消えてしまう。神の祝福を取り戻せる。
それまで道なりにまっすぐ走っていた少年たちが、ふいに左の道に入った。――馬鹿どもめ、そちらはすぐ行き止まりだ。愚鈍にも袋のネズミとなった。
やはり、神が味方してくれていらっしゃる。
ちょこまかと動き回る子供を、二人とも首を絞めて殺すのは難しい。コートのポケットの中でナイフを握り締める。油断させておいて、一気に喉笛を切り裂いてしまおう。切り裂きジャックの名のとおり。
足の速度を緩めて、少年たちが入った角を曲がる。両側と奥をレンガの塀に囲まれ、逃げ場のない空間。そこには、逃げ道を失い恐怖におびえる少年二人が、互いに手を取って震えている――はずであった。それなのに。
誰もいない。
なぜ、と立ち尽くした瞬間に、
「Ciao! ジャック2世」
まだ幼さの残る声音は背後から。バッと振り向くと、両側の塀の上から少年二人が飛び降り、着地したところだった。
思わず、何歩か後ずさってしまった。――なんということだ。奴らは袋小路に入ったと見せかけておき、奥に置いてあった木箱を使って塀に上がって、回り込んで逆にこちらの退路をふさいだのだ。
あまりのことに、足がふらつく。
雲が流れ、明るい月が顔を出した。
金髪の方の子供が得意げに笑っている。
「改めまして。――いい月夜だね、シスター・ビアンカ」




