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3   Rincorrer


「『遺体は特に顔面の損傷が激しく、被害者の特定は体型や髪色、汚れていない部分の衣服などから行われている。犯人は、一八八八年ロンディウムで起こった連続通り魔殺人事件(いわゆる切り裂きジャック事件)を模していると思われるが、手口の違いから別人であることは明らかである』、


『被害者は深夜に泥酔状態にあった少年、または浮浪児であることから、警察では同性愛・小児性愛などの異常性欲者による犯行の可能性もあると見ている』、ってさ。もう四人も殺されてる」



 いつもより早くモグラ穴から出てきたアオとランは、ポロッツォ通りで放り捨てられていた新聞を拾い、袋小路になっているところに座ってのんびりと読んでいた。


 ランは顔を歪めた。


「げぇー。つまり、犯人は前のジャックとは別人で、変態サディストってこと?」

「そう警察は思ってる、ってこと。ま、死体の目玉をくりぬくなんて普通の精神状態じゃないだろ」


 言いながら、アオは目だけで新聞を読み進める。そして、またランの興味を引きそうな記事を見つけた。


「あ、前のジャックとジャック2世との比較が載ってる。えっと……まずは殺害方法。『先に首を絞めるという点では共通だが、前回は首を切り裂いて殺害していたのに対し、2世は絞殺後に首を切りつけている』……『殺害後死体は全身が激しく傷つけられており、前回の事件では内臓の一部が持ち去られていたが、2世は一連して両眼をくりぬき現場に置き去りにしている。このことから、2世は前回のジャックと違い人体収集家の可能性は低い』」


 ランが顔を引きつらせる。


「けっこうグロいな」

「目をくりぬかれることも公表したんだね。あ、こっちもだ、『前回は、まるで儀式を気取るかのように遺体の周りに被害者のものである指輪が並べられていた。それに対し2世は、ハコベなどの花を現場にまき散らしている。その真意は依然不明で、警察は花の入手経路も当たっているが、どこでも手に入る花ばかりなので骨を折りそうである』。へぇ、大変そうだ」


 アオはつぶやいたが、同情は微塵も含まれていない。


「それからあとは……『被害者は、前回は娼婦ばかりであったが、2世は十六歳以下の少年のみを狙っている。しかし被害者同士に面識や目立った共通点がないことから、ともに通り魔的犯行であるといえる』」

「ふーん、……あれ?」


 ランは紙面に載っている少年の写真を指差した。


「これが被害者?」

「そうだよ。最初に殺されたドスイート・エレッヂ。パブリック・スクールを退学になった、って書いてある。良家のお坊ちゃんだったみたいだね」


 白黒のその写真は何かの記念のために撮られたものだったのか、最初の被害者となった少年はしわ一つない高価そうなスーツをまとい、整えられた金髪の髪で、細い両目と口を歪めて微笑している。見下すような笑みだ。この写真一枚だけで、彼の気位の高さのほどがうかがい知れる。


「で、坊ちゃんは夜遊びして酔っ払ってるとこを殺されたわけ」

「らしいね。スクールを退学になったのも、教師と問題を起こしたからだってさ」


 ランは呆れ顔でいたが、それから首をかしげた。


「殺されたのは四人。なのに、写真はこいつしか載ってないんだな」

「しかたないよ、庶民やモグラっ子は写真なんか撮らないからね」

「そりゃそうだけど……うーん」


 ランは難しい顔をしてドスイート少年の写真をにらむ。それにかまわず、アオは新聞をたたんだ。


「このぶんじゃ、まだまだ続くね。早く捕まるといいけど」

「最初のジャックだって、まだ捕まってないんだろ。結局、前の被害者は何人だったんだ?」

「二ヶ月とちょっとの間に、はっきりしてるだけでも確か五人。けれど、本当はもっといるだろうって言われてる。ジャックは新聞社とかに犯行声明を送ったんだ――いたずらもすごかったらしいけど。そういえば、2世はそういうことしないね」


 気づいて、アオはもう一度新聞を広げ、先ほどのジャックを比較していた記事を見直す。すると、やはり記者もその点を指摘していた。


「『今回の犯人は、前回と違いショー型の殺人劇を狙っているわけではないらしい』、か。そのくせ、目をくりぬいたり花をまいたり、派手なパフォーマンスをしてるな」


 新聞をカバンにしまい、伸びをするように立ち上がる。それから「あ、そうだ」と思いついて、まだ座ったままのランを振り返った。


「ねぇ、ラン――」


 アオが声を失ったのは、ランがあまりにも大人びた顔つきで考え込んでいたから。しかしそれは一瞬で、彼はすぐさまいつものような気の抜ける笑みを浮かべた。


「ん? なに、アオ」

「あ、うん、あのさ」


(……見間違い、かな)


 そう思ってしまうほど、普段のランからは想像のつかないまじめな顔だった。……少し、怖いくらいの。


 アオは気を取り直して明るく言った。


「ルーがさ、今日はアリスちゃんの誕生日だって言ってたよね。まだ時間あるし、一言お祝いを言いに行こうよ」

「おっ、それいいな。行こう行こう」


 ランは顔を輝かせて勢いよく立ち上がった。彼はこういう、他人を祝ったり喜ばせたりすることが好きである。


 相棒が乗り気なのでアオの足取りも軽くなった。二人は薄暗い袋小路を出て、アリスの家があるカルズ通りの方へ向かう。


 カルズ通りの方を通ってキューレ大聖堂を目指すとだいぶ遠回りになるが、今朝は早起きしたこともあって時間に余裕があったから気にならなかった。それに、子供の相手が苦手なアオも、かわいい女の子の笑顔を見るのは好きだ。


「あ、でもプレゼントが何もないや」

「アリスは気にしないって、そんなの。プレゼントはルーに任せればいいよ」


 ランはにこにこしながら言う。ちょうどポロッツォ通りからそれる角だったから、アオは大通りをきょろきょろと見回した。


「そういえば、今日は見ないね、ルー。まだ時間が早いからかな」

「案外、あいつもアリスのとこに行ってるんじゃないか?」

「そうかも」


 アオはくすくすと笑った。


「でも、あの傷だらけの顔で行ったら、アリスもびっくりするだろうな」

「! そうだね。大丈夫かな」


 ともかく行ってみよう、と二人の足は自然と速まった。






 朝のカルズ通りは静かだった。最近の事件のせいもあるのだろう、人影はまばらだ。細い裏道には霧が立っていて薄暗い。


 アオとランは昨日の記憶をたどり、アリスの部屋の窓を目指した。石の道は入り組んでいて、両脇の建物は高く、ひっそりとした不気味さがある。


 静まり返った細い道を行くと、二人はかわいらしいカーテンがのぞいている窓を見つけた。窓枠に頬杖をついている横顔は、まちがいなくアリスのもの。隣にはぬいぐるみの白ウサギ・ロッテもちょこんと座っている。


「アーリスちゃんっ」


 ランが大きく片手を振って呼ぶと、アリスは勢いよくこちらを振り返った。


「あっ……えと、ラン! それに、アオ」

「おはよう、アリスちゃん」


 二人は小走りでアリスのもとへ駆け寄る。


「お前、今日誕生日なんだってなー」

「おめでとう、いくつになったの?」


 アリスは頬を紅潮させ、丸い目を限界まで大きくした。それから溶けたバターのように笑う。


「うわぁ、ありがとう。アリスね、十歳になったんだよ。ロッテもだよ」

「おっ、そーなのか。じゃあ今日は二人の誕生日なんだな」


 ランは笑顔全開でアリスの頭をなでる。


「今日は、ルーはまだ来てないの?」


 アオが聞いたとたん、アリスの笑顔がしぼむ。小さな白い手がぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。


「ルー、来てないよ。今日は朝一番に来てくれるって約束だったのに……」


 うつむいた瞳に涙が浮かんだ。


「アリスがわがままだから、ルー、アリスのこと嫌いになっちゃったのかなぁ。もう来てくれないのかなぁ」


 ひくっ、と堰を切ったようにアリスは泣き出した。声は抑えているが、よくここまでというほど涙が流れる。アオとランが呆気にとられているうちに、アリスの胸のロッテが濡れていった。


 アオははっとして、ともかく慰めようとした。


「えっ、でもさ、もうすぐ来るかもしれないよ。今こっちに向かっているところかもしれない」

「う、だって、いつもならもう来てるもん。本当はルーがアリスを起こしてくれるんだもん。それに今日は、アリスの誕生日だから、楽しみにしてろって、起きたらびっくりするぞって言ってたのに。誰より先にプレゼントをあげるよって。……なのに、いなかったぁ」

「そうなの? あ、もしかしたらルー、寝坊しちゃったのかもしれない。大丈夫だよ、泣かないで。ルーはアリスを嫌いになったりしないから」

「ほ……本当……?」


 アリスはぐっと涙をこらえ、ロッテに半分顔をうずめた。


「本当だよ。きっともうすぐ来るから」


 必死に泣き止ませるアオの腕を、突然ランが掴んだ。驚いて振り向くと、ランは青ざめ、緊張したような面持ちでアオを見つめていた。


「……探そう、アオ。ルーを探そう」


 ランの少しかすれたような声を聞いて、アオは頭を殴られたような衝撃を受けた。


 ――失念していた。今のミレーノの危険性を。


「わかった」


 それからアオはアリスに努めて笑顔で言った。聞き取れるかもわからない早口であったが。


「アリスちゃん、安心して。僕らがルーを探してくるから。きっとすぐ戻ってくるから、涙をふいてね」

「うん……」


 返事を聞くまでもなく、アオはランと駆け出す。


 全力で裏路地を走りながら、奥歯をかみ締めた。


 気のせいならいい。早とちりならいい。こんな不安が笑い話になればいい。


 いくつもの角を曲がる。霧のかかった巨大な迷路をさまよう。


「アオ、二手に分かれよう」


 隣のランの提案に、アオはうんと答えようとした。だがそれよりも一瞬早く、ランの足が止まる。


「ラン?」


 驚いてアオも振り返った。


 ランが惚けたように見つめるのは、日が当たらず暗い路地の奥。


「―――花の匂い……」

「え?」

「それから、血の」


 ランのつぶやきに、アオは一瞬思考を奪われる。


 そして次の瞬間には、路地の暗闇に向かって駆け出していた。けれど、数歩行くこともかなわなかった。


「……ルー……」


 細い路地の先は行き止まりだった。暗がりの中に、小柄な金髪の少年が足を投げ出して座りこんでいる。周りには、血に汚れた色とりどりの花たち。少年の空っぽの目は、ただ赤い涙を流して。


 変わり果てたルーの姿を凝視しながら、アオのひざはいつの間にか折れていた。やがてその横を、ゆっくりとランが歩き過ぎる。


 ランは無言のまま、物言わないルーの正面にひざをついた。そして静かにそっと、彼を抱きしめた。






 ルーは五人目の被害者となった。


 その知らせはすぐにモグラ仲間たちに広まり、特にルーの仲間たちは棲み処に集まって、自分たちだけで葬儀を行った。もちろん遺体は警察に押収されてしまって、二度と帰ってこないことはわかっている。けれど、ルーの死を悼むことができるのはモグラの仲間しかいないのだ。


 薄暗い地下室の中で、少年たちがそれぞれやり切れない表情を浮かべて黙り込んでいた。泣いているのは、幼くルーといっとう仲がよかったアシャだけだ。けれど彼の嵐のような泣きぶりは、他の仲間の代弁でもあった。


 アオは仲間のマリキと一緒に、激しく泣くアシャについていた。もうこの状態が半日以上続いている。部屋にランの姿はなかった。気がついたときには消えていたが、たぶんルーの葬儀の後からいないと思う。もう日が暮れたというのに、どこに行ったのだろう。


 部屋の中の仲間は、アオも含め誰も動こうとしなかった。今日は一日、一人の同志を失った悲しみを深く深く共有する。――明日から、何事もなかったかのように生きるために。


 土竜もぐらは、そのほとんどが半年から二年で命を失うといわれている。アオも、この冬から春にかけて何人かの死を見てきた。


 死は決して遠いものではない。気を抜いた瞬間に死神に首を狩られる。この世界はそういうところだと、言われるまでもなくみな知っている。仲間の死を哀しんでいたって腹はふくれない。他人の死を嘆いている間に、次は自分が死ぬかもしれないのだ。


 外が真っ暗になり、アシャがやっと泣きつかれて眠ったころ、仲間たちも寝る態勢に入った。早く眠ってしまって、そして起きたら明日が来ていればいい、と。


 出かけたままのランが気になって、アオはとうとう探しに出ようとした。嫌な想像ばかりが頭をめぐる。――今朝見たルーの死体に、もう一人の金髪の少年がかぶる。


 横になった仲間たちにお休みを言って、アオはドアを押そうとした。しかし、その直前に外側からドアが引かれた。


「あれ、アオ」

「ラン」


 ドアを引いたのはランだった。ランは目を丸くしつつも、いつもの気軽さで笑う。


「アルディアさんのとこにでも出かけるのか? それなら送っていくよ」

「違う、お前を探しに行こうと思って……どこに行ってたんだよ、こんな時間まで」


 思わず厳しい声になる。そのせいか、ランは少し眉を下げた。


「ごめん、心配させるつもりはなかった。もっと早く帰って来るつもりだったんだけど」


 それから、にこ、と明るく笑う。


「さ、今日はもう寝よ。アオも疲れただろ」


 肩をたたかれ、アオはくるっと回転して、背中を押されて自分の寝床に向かわされた。ドアを閉めたランが、そのまま部屋の蝋燭の灯を吹き消す。


「おやすみ、また明日」

「……おやすみ」


 仕方なく、アオは横になってあたたかな藁をかぶった。ランもすぐ隣に寝転ぶと、しばらくもしないうちに安らかな寝息を立て始めた。ランは寝起きも良いし、寝つきも恐ろしく良い。


 アオも、今日はさすがに疲れた。精神的に。いつもならすぐに寝つけないことが多いが、今夜はすぐにまぶたが重くなる。まどろみながら、結局ランが今日一日何をしていたのか聞きそびれたことに気づいて、アオは悔しく思った。


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