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1   Bambolo



 何度もあの時の夢を見る。そしていつも、同じことを繰り返す。


 春の終わりの、本当に静かな午後だった。いつもは騒がしい村の中心の広場にも、遊ぶ子供や談笑する女性たちの姿はない。


 村の誰もが、家の中でひっそりと息を殺していた。


 葬送。


 しかし喪に服す者はおらず、すすり泣く者もいない。


 木々の若い緑が無言でゆらゆらと揺れ、透った太陽の柔らかな光さえ、音を立てまいとしているようだった。


 しかし、沈黙は雷鳴のような車輪の音によって破られた。ガラガラと無遠慮にやってきた馬車は、大きな黒い荷台を引いて、村の広場まで来ると止まった。砂埃の立った地面に降りてきたのは、大柄な二人の男。ともに黒ずくめの帽子や服で身を固めている。彼らは無駄のない動きで、ある小さな家に入り、中から棺を運び出して荷台に載せはじめた。


 家から出てきたのは棺だけではなかった。ついで現れた少年は、右目に眼帯をしており、男たちを手伝うでもなくたたずんでいる。金髪の彼は死者の一人息子であり、父の遺体とともに、今日このニレ村を出て行くことになっていた。


 その様子を、アオは二階の窓の端からじっと見ていた。アオの家は村はずれの高い丘の上にあったから、彼の部屋からは村を見下すことができた。


 立ち尽くしている少年の後ろ姿を、アオは瞬きもせずに見つめる。息を殺して、彼に気づかれないように。実際にはアオと少年の距離はずっと離れているのだから、ここでアオが鼻歌を歌おうが聞こえるはずがない。けれどアオには、自分の声なら小さなつぶやきでさえ彼に届いてしまう気がしていた。


 棺を載せ終えた男たちは馬車に乗り込み、手綱を取った方が少年に乗れと言ったらしかった。眼帯の少年は素直にうなづき、荷台に乗ろうと足をかけて、ふと動きを止めた。そしてまるでアオの視線に気づいたように、こちらを振り返った――





       *  





 びくっと体を震わせ、アオは目覚めた。口から漏れる息は乱れ、額には嫌な汗がにじんでいる。


(――夢……。そうだ、夢だ)


 目をつむり、早鐘を打つ胸を押さえながら、ゆっくりと深呼吸する。


 ようやくして、アオは落ち着きを取り戻して天井を見上げた。しかし、肌寒い室内には消し忘れの蝋燭が一本灯っているだけで、天井の真っ黒な汚れもよく見えはしない。暗闇の中では、無数の幼い寝息が折り重なっている。


 室内といったが、ここは人が眠るために造られた部屋では決してない。正方形の地下空間に、南側の壁の天井近くだけがほんの少し地上に出ていて、天気の良い日にはそこの小さな金網から日が差すようになっている。もとは避難場所だったのか貯蔵庫だったのか、それはアオの知るところではない。ともかく今は物置同然となっている、地下水路の一角なのであった。


 こういう倉庫のような部屋が、水の都・ミレーノの地下水路の迷宮にはいくつもある。大半は荷物で埋まってしまっているが、少し空きがある部屋には小さな住人が棲みついていた。親も帰る家もない子供たちである。


 地上に住む人々は、彼らを「土竜の児」と呼ぶ。


 アオが土竜の児になったのは半年前だった。厳しい冬を耐え、春を迎えた最近は、ここでの暮らしにもずいぶん慣れた。


 金網の向こうに朝の訪れを確認してから、アオは、すぐ隣で眠っている眼帯の少年をちらと見やった。常と変わらぬ呑気な寝顔をさらし、規則正しい寝息を立てている少年の名は、ランという。蝋燭に照らし出されたランの金髪は、ほこりに汚れているはずなのに、先刻の夢の中と変わらず美しかった。


 ランがいつもどおりそこで眠っていることに、アオは心底安心した。


(ランはここにいる。僕はここにいる……) 


 夢は記憶だった。もう二年近く前のことになる。ランの父親の葬送、そしてランが村を追い出された、あの日の。


 思い出して、アオは奥歯を噛んだ。


 あの日。村を出て行くランが振り返った瞬間、窓からのぞき見ていたアオはさっとかがんで身を隠したのだった。そして、次にそっとのぞいた時には、ランを乗せた馬車はもう村を出てしまっていた。だから、ランがどんな顔をして村を出て行ったのか、アオは知らない。半年前に再会を果たしてからも、ずっと聞けないでいる。


(あのとき、ランは)


 どんな顔で僕を振り返った?


 寝起きであることも手伝って、アオはぼうっとランの寝顔を眺めていたが、


「――なに見つめてんの? アオくんのスケベ」


 突然ランの左目がぱっちりと開き、ニヤッとしてそんなことを言うものだから、アオは心臓の止まる思いがした。驚きすぎて無言で顔を引きつらせている彼に、ランは満足そうに笑った。


「おはよ」

「……おはよう」

「珍しく早起きなんだな、アオ。いつもは起こしても起きないくせにー」


 からかい調子で言うランに、アオはムッとして何か言い返そうとした。


 しかしその時、地上の方から重い鐘の音が鳴り響いた。朝を告げる、キューレ大聖堂の大鐘だ。


「はい、今日も元気にお仕事お仕事」


 ランにぽんと肩を叩かれ、アオは仕方なく文句を呑み込んだ。





 朝のポロッツォ通りはにぎやかだ。両脇にはレンガ造りの大きな建物が軒を連ね、中央を馬車がひっきりなしに行き交う。テラスの前では紅茶売りの男たちが声を張り上げて客引きをする。朝食用のパンを買いに出てきた婦人たちがにこやかに挨拶を交わして、老人に連れられた犬が元気に吠える。


 いつもと変わらぬ、平和なミレーノの朝。


 その道をアオとランが連れ立って歩くのも、まったくいつもどおりのことであった。汚れたシャツに薄いジャケットを着て、つま先の破れた靴をパタパタと鳴らして歩くのがランの日課であり、アオはもう少しまともで、つま先まできちんとある靴を大事に使っている。飾り気のない肩かけカバンに入っているのは、アオの全財産、わずかなお金と読みかけの本一冊である。


「うぅ~ん、うまそうな匂い」


 レンガ造りの家並みの前で鼻をクンクンと鳴らし、ランがうっとりとして言った。


「お腹すいた?」


 隣のアオが尋ねると、ランは「成長期だもん」と笑って答えた。二人は十四歳である。


「ランて燃費悪いよね」

「働き者なんですー……っと、あれ、何だろ」


 ランの指差した先に目をやると、ちょっとした人だかりができていて、大人たちが何やら騒いでいるのが見えた。みんな手に新聞を持ち、それについて言い合っているようだ。吉報ではないらしい。彼らは紙面に向かって怒り、嫌悪し、怯えている。


「何かあったのかな」


 アオは少し顔をしかめて言ったが、その手を引くランは目を輝かせていた。


「行ってみようっ」


 なかば無理やりランに連れられてアオも駆け出したが、新聞を手にした紳士とすれ違った瞬間、飛び込んできたその見出しに思わず目を疑った。


「『切り裂きジャック再び』?」

「え?」


 ランが足を止めて振り返る。


「って、書いてあった。新聞に」

「そうなんスよ!」


 にゅっと二人の目の前に現れたのは、


「ルー!」


 新聞売りの少年、ルーであった。アオとランの二人よりもいくつか年下の、モグラ仲間である。少しクセのある金髪とくりっとした目が印象的で、小柄だがいかにも腕白少年という風貌。そして、彼にはいささか大きすぎるカバンの中には新聞が詰められている。


 ルーはすうっと大きく息を吸い込むと、営業用の演技がかった声で叫んだ。


「大変だぁっ、『切り裂きジャック再び! よみがえる通り魔の恐怖!』 一部二十チェだよ、買わなきゃ損だ、読まなきゃ損だよ~っ」


 とたんに、通勤中であろう男たちが押し寄せてきて、ルーと一緒にアオたちももみくちゃにされた。


「ぐえっ」

「一部くれ」

「こっちもだ」

「はいはい、順番だよ。そこ、横取りしないで」


 我先にと新聞を奪おうとする男たちから、ルーは器用にもれなく代金を受け取っている。


 やっと彼らが散らばると、ルーは真面目ぶった顔でアオたちに向き直った。


「と、いうふうに、今はどこも切り裂きジャック2世の話題で持ちきりなんスよ」

「――『切り裂きジャック2世』って?」


 大人たちに乱暴に押しつぶされたせいで、アオは少しめまいを感じながら聞き返した。しかしルーはそこで新聞を隠してしまう。


「いくらアオの兄貴にでも、これ以上は言えないっス」

「…………買うよ」

「毎度ありっス!」


 呆れながらアオが二十チェを差し出すと、ルーはにぱっと笑って新聞をよこした。


「先週の事件は知ってるっスか?」

「いや」


 アオが答え、ランも首を横に振る。するとルーは人差し指を立てて、幼いながらもできる限り重々しく告げた。


「実は先週の火曜と金曜、カルズ通りの路地裏で続けて死体が見つかったんスよ。殺されたのは前の日の深夜みたいなんスけど」


 死体、という言葉の衝撃に、アオは少しばかり眉をひそめた。しかしその隣のランの反応はもっと大きかった。


「うえーっ。先週の夜なら、ちょうどその辺通ったぞ、オレ。何曜日だったかな。あっぶねー」

「! 何か見たか?」

「うんにゃ、特には……真っ暗でなーんにも。あ、確か変な匂いがしてさ、気分悪くなりそうだったから、さっさと帰ってきたんだよな」


 すると今度はルーが興奮して言った。


「それって花の匂いだったんじゃないスか、ランの兄貴っ」

「えー? ……んー、そう言われてみればそんな気も…」


 ランは頼りない調子で首を傾げる。


「花が事件に関係あるの? ルー」


 アオが問うと、大有りっスよ、とルーは頬を紅潮させた。


「二つの死体は首を絞められて殺された上に、両目をくりぬかれてて、周りには色んな花が散らばってたんス。それで、それにそっくりな死体が、今朝また見つかったんスよ! だから――」


 ルーは夢中になって話していたが、とおりの向こうから新聞屋の親方が怒鳴った。


「こらぁっ、ルー坊、サボってんじゃねぇぞ!」

「わわっ、わかってるっスーっ」


 あわてて答えるルーに、アオは微笑んで彼の頭を撫でた。


「ありがとう、あとは新聞を読むよ」

「仕事頑張れよ、ルー」


 ランもにこにことして言う。


「はいっス。兄貴たちも頑張って下さいッスー」


 少し照れたように返し、ルーは駆け足で人ごみの中に入っていった。そしてまた、声を張り上げて客引きをし、人だかりをつくる。


 それを見届けてから、アオは新聞を開きながら歩き始めた。


「何て書いてあんの?」


 ランはわくわくとした様子で紙面を覗き込んだ。だが読もうとしているのではない。彼は字が読めないのだ。


 さらに言えば、あれほど事件について語っていたルーにしたって、新聞を読んで事件の内容を知ったわけではないだろう。客引きのために親方から内容を聞いていただけだ。モグラ仲間は貧しい家の出の子供ばかりで、ろくな教育を受けてきていない。だから字が読めないのは彼らにとって当たり前だった。


 そんな中、暇さえあれば本を読んでいるアオの存在こそ稀有なものだった。


「えっと…『最初の被害者はエレッヂ男爵家の三男、ドスイート・エレッヂ、十六歳。先々月、ロンディウムのパブリック・スクールを退学になってミレーノの実家に帰ってきていた。朝帰りが多く、事件当日も普段と変わったところはなかったという』――『二人目の被害者となったのはケドア・マージス、十三歳。酒屋問屋の次男。家業の手伝いで深夜に酒の配達をすることが多く、昨晩も配達先の酒屋で見られたのが最後である』


――『そして今朝未明、前の二件の事件現場付近で新たな遺体が発見された。被害者は十代の少年と見られ、身元はいまだ確認中である。死因は前二件と共通してロープのようなものでの絞殺。死体は殺害後に全身を刃物で切りつけられた痕跡があり、特に頭部に損傷が著しい。これは犯人が身元確認に時間をかけさせることをはかったためと見られる。殺害手口や現場の類似性から、これらの三件の事件が同一犯によるものであることは明らかであり、被害者同士に面識もないことから通り魔の可能性が高く…』、あとは新聞の演説かな。犯人に対しての誹謗だ」


「えー、目がくりぬかれたとか花がばらまかれたとか、書いてないじゃん」


 ランは頭の後ろに手を組み、つまらなそうに言う。


「警察からストップがかかってるんだろ。模倣犯が出たら厄介だからって。でもルーが知っていたぐらいだから、もう遅いと思うけど。 それにまぁ、あんまりグロテスクなことを書くわけにもいかないからね」

「ふぅん」


 ランはもはや興味を失ってしまったらしい。


「本当に通り魔だったらやっかいだな」


 アオは新聞を小さくたたみ、カバンにしまいながら言う。


「ラン。犯人が捕まるまで、夜中に一人で出歩かないようにしなよ」

「わかった」


 ランはにっこりとして返す。


「アオも気をつけてな。今夜はアルディアさんに呼ばれてるんだろ」 

「あ、ああ、そういえば……」


 アオは本当に忘れてしまっていたので、思い出させてくれたランにこっそり感謝した。


 やがて、二人の目指すキューレ大聖堂が見えてきた。大聖堂は歴史が古く、中央の礼拝堂の黒い尖塔が空に向かって伸び、脇にいくつかアーチ型の建物を据えている。四百年だか五百年だか前に建てられて、当時からずっとミレーノ一の賑わいを見せているという。庭園が広く、また建物の維持にも骨を折っているらしい。アオとランは、そこで庭仕事や掃除を請け負って駄賃をもらっていた。表向きとしては。


 キューレ大聖堂の奥にはサレッタ修道院があり、そこでは百人以上の修道士と修道女が厳しい戒律のもとで生活している。そして彼らは、しばしばの土竜の児たちが働いている裏庭にやってくるのだ。人目をしのんで。


 大聖堂の門をくぐると、アオはランとわかれて東側の庭へ向かった。二人はきちんとそれぞれの持ち場を持っている。日が沈むまでの間、お互いが何をしていたかは一切詮索しない。暗黙のうちに、そうなっている。


 持ち場の東庭で、アオはしばらく真面目に雑草抜きをやっていた。他にもこの庭で働いているモグラ仲間はいるが、おしゃべりなどしないし、植木でお互いの姿は見えないようになっている。そして奥まったこの場所は、礼拝に訪れる人々からは到底見えはしない。


 日が真上を通り過ぎたころ、後ろで草を踏みしめる音がして、アオは汗をぬぐって立ち上がった。振り返ると、初めて見る客人が緊張しているらしい顔つきでたたずんでいる。


 アオはにこ、とかわいらしく微笑んだ。


「『お掃除』一回二リラ、前払いですよ」







 日が沈むころ、アオは大聖堂を出ると、来たときとは違う道を一人で歩いた。空も街並みも、夕焼けで燃えるように赤い。カバンは今日の稼ぎでわずかに重くなっている。


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