6 Ci vediamo...
虚ろな夢から覚めて、今日も朝を迎える。
アリスは大人よりも早起きだ。年上の友人・ルーが毎朝起こしに来てくれるから、いつの間にかその時間に起きるようになってしまった。
窓はベッドのすぐ脇にある。そこから顔を出すにはイスを使わなければならない。
昨日も一昨日も、アリスはそのイスの上に座り続けた。大好きな友達の訪れを待って。
いつもなら、そろそろ起こしに来てくれるはずのルー。
けれど、アリスの誕生日の前日の朝に会って以来、来ていない。
アリスの誕生日を、誰より早く祝うと言ってくれたのに。
目を覚ましても、アリスはベッドから起き上がろうとしなかった。いつも一緒に寝ているぬいぐるみのロッテを抱きしめて、もう一度目を瞑る。
今朝はきっと、起こしに来てくれる。
「来てくれるもん……」
白ウサギのロッテが、間抜けに笑っている。
アリスは涙をこらえて、窓の向こうから聞き慣れた声がかかるのを待った。
窓からノックがして。『アリス、朝だぞ』。小声のルーの声。それからたくさん、おしゃべりをする。誕生日の約束をすっぽかされたことだって、怒らなくてはならない。
――それとも、もう二度とルーは来てくれないのだろうか。
アリスは、今までたくさんルーにわがままを言った。
『部屋で遊んで』『外で遊んで』『アリスのお兄ちゃんになって』。
いつもいつも、ルーを困らせていた。
だから、もう愛想が尽きてしまったのだろうか。アリスのことが嫌いになったから、もう来てくれないのだろうか。
「……っ、うぅ」
アリスは声を押し殺し、ロッテに涙を押しつけた。
そのとき。
ガサ、と。窓のほうで何か物音がして、アリスは飛び起きる。
「ルーっ?」
急いでイスに乗り、窓を持ち上げた。身を乗り出して、細い裏道をきょろきょろと見回す。けれど、そこにはすでに誰の人影もなかった。
ただ、一つだけ。
いつもルーがひじを乗せていた窓枠に、大きなピンクのバラの花束が置かれていた。
添えられたカードには、つたない子供の字。
『 親愛なるアリスへ
お誕生日おめでとう。
遅くなって本当にごめん。約束を破ったこと、どうか許してください。
今度から、遠くで暮らすことになりました。でも、おいらはいつでもアリスのこと妹のように大切に想っています。だから、寂しがらないで。毎日明るく暮らしていてください。
君の永遠の友達 ルー 』
ぽた、と落ちた涙で、インクの文字がにじむ。
アリスは、ロッテごと花束を抱きしめた。
ピンクの花びらと一緒に、ロッテは笑っている。
*
「アリスちゃん、喜んでくれたかな」
朝霧の立つ薄暗い通りを、二人の少年が連れ立って歩く。早朝であるため、まだ人通りは少ない。
「喜んでくれたことを願うよ。ルーのためにも」
独眼の少年ランは、金髪の後ろに手を組んだ。指先の飛び出たくつを、ぺたぺたと鳴らす。
「うん」
カバンを肩からかけている黒髪のアオは、少しの憂いを含んで微笑んだ。
「でも結局、ルーがアリスちゃんの実の兄だってことは言えないままだったね。本当にあれで良かったのかな」
バラの花束に添えたカードを書いたのはアオである。
「いいんじゃないか? それがオレたちとあいつとの約束だったし。好きだとか大切に思ってる気持ちに、いちいち理由をつけなくていいんだよさ」
「そうだね。アリスちゃんがこれから、力強く生きていってくれるといいんだけど。ルーの分まで」
「アリスならきっと大丈夫だ。なんたってルーの妹なんだから」
ランは自信のある瞳で笑った。その笑顔を、アオはとても信頼している。
「それに、世の中は辛いことばかりじゃない。そんなだったら人間はとっくに滅んでるよ。……でもきっと、辛いことが一つもない世の中でも、人間は生きていけないんだろうな」
薄茶色の、天使のように澄んだ瞳がアオを映す。
「本物の楽園なんてどこにもないかもしれない。でもオレたちは生きていける。――オレにとってはアオの隣が一番の楽園かな。一緒にいるとすごく楽しいし」
少し照れたように言ったランに、アオはうん、と頷いた。
「僕もだよ。ランといると楽しい」
ランははにかみ、ヘヘッと笑う。
「ずっとこうしていられたらいいな」
アオも微笑み返す。微笑みながら、心のうちでランに謝る。
――まだ、一つ。口にしていないことがある。
どうしてランのもとへ来たのか。
まぶたを閉じれば、いつでも鮮明に思い出せる。
アオの両親が死んでいる、真っ赤な部屋。開け放たれていた窓から、血に混じって遠く冬の匂いがして。
父と母の死を前に、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
部屋の机の上には、父が集めた母の病気に関する資料が散乱していた。その一番上に、開けられたままの一冊の資料。
迷い込んできた風が、そのページをぺらぺらと揺らす。
両親が死んだことをのみ込めないまま、アオはそちらに目をとられた。
そして、資料の開けられたページに、赤いインクで狂ったように何重にもチェックされた一文字。
“hereditary” ――遺伝性――
あの瞬間、アオの一部はすでに死んだのだ。
(それなら、どうして一緒に殺してくれなかったの)
(どうして僕をおいていったの)
(どうして)
アオの体は、そのうち発病して人形のようになる。自分の意思では、表情を作ることさえできなくなる。そうしてやがて死んでいく自分を想像したとき、まっさきに思い浮かんだのはランのこと。
どうせ死ぬなら、ランに償おう。ランは、おじさんの自殺の原因をつくった父さんや僕を恨んでいるはず。だったら無駄に死んでいくより、ランに殺された方がいい。
そうしてランが許してくれたなら、僕らは永遠に友達なんだから。
その一心で、アオは親戚の家に向かう馬車を飛び出してミレーノに向かったのだ。
それからずっと、ランに殺される日を待ちながら土竜の児として過ごしてきた。
けれどもランは、これからも一緒にいること望んでくれている。
(――ごめん、ラン)
今日もいつものように、二人はともに土竜の穴に帰る。
アオは、鼻歌を歌っているランに聞こえないよう小さくつぶやいた。
「ラン、ずっとそばにいるよ」
いつか、僕が君の隣で人形になる朝まで。
Fine.
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