8.決断を求める
本日2話目
「殺れ」
と、士官が言った。
セルリエカは、信じられないように、じっと士官を見つめていた。
***
俺は窓の外からニャッと睨む。
部屋に、青い文字が浮かび上がる。対魔族用ではなく、対象指定の術のようだ。魔族用はセルリエカには半分しか効かないと考えたか。四人の護衛も人間だから、一掃できる方法を取ったのだろう。
とはいえ、あの程度なら、セルリエカには効かない。妻のイフェルが、これでもかと、人間の術を無効化するお守りを持たせているのだから。
それにしても、これほど愚かなのか。バレないなんて、どうやって信じられたのか。
セルリエカの口が、無音で動いた。
ざんねんです、と、セルリエカは、青ざめながら言ったのだ。
***
青い術のせいで、顔にも青い光を受けながら、セルリエカは強くあろうとしているようだ。
勇気を出すように、声を出した。
「私は、お父様とお母様が大好きです。だから、悪口を言う人は、キライです」
士官は鼻で笑うよう表情になる。
一方、セルリエカの後ろで、4人の護衛が次々にうずくまった。
驚いてセルリエカは振り返る。4人の護衛は、喉元を抑えている。
呼吸ができない? または毒。
セルリエカも眉を潜めた。そして、ダン、と右足を踏み込んで音を出す。セルリエカにできる、術の無効化だ。
兵士がふと、『あ、苦しくない』と気付いたように、呼吸を整え始めた。
セルリエカは安堵に少しだけ息を吐き、また前を向いた。
「私を、そんな理由で嫌うなら、私もあなたが、嫌いです。大嫌いっ!」
セルリエカは精一杯感情を表現し、少し震えた。涙目になっているので、見ている俺の心が痛む。
そんな風に睨むのに、士官はただ笑みを浮かべている。完全に自分の方が上だと勘違いしている。
あいつ、馬鹿か?
確かにセルリエカは、その場からは一歩も動いていない。だけど、自分の意思で、移動していないだけだ。
術はほとんど効いていない。それも気づいていないとは、どれだけレベルが低いんだ。
「私。失礼だと、思います」
とセルリエカは言った。
「私はイフィルの王様です。子どもだって、ちゃんと考えてる。魔族のお陰で、人間は平和に、生きている。お爺様が国を滅ぼしたのなら、絶対に理由があります。お爺様はとても優しい魔王です。人間が悪い事をしたんです」
士官は無言で、笑みながらセルリエカを無視した。
部屋を出て行くようだ。
セルリエカはその姿を睨みながら話し続けた。
「あなたは、酷い人です。私は悪い事をしていない。なのに、兵士さんもまとめて、私たちを殺そうとしている。あなたは、酷い方の人間です」
「負け犬が」
ポツリと小さく呟き、こちらに笑みを見せながら士官は扉をパタリと閉めた。
瞬間、青い光がドッと強くなった。
士官の退出で、術を強めてきたようだ。
これ、止めとかないと、少なくとも兵士の方が保たない。
俺の判断と同時に、セルリエカは上を見て声をかけてきた。
「お父様。お願いです、助けて」
お。気づかれていたか。
分体の1つで、この真上の部屋から様子を伺っていたのだ。
どうやら黒ネコは、まだ俺だと気づかれていない様子。気づかれないよう最小限の力しかないからな。
俺は上階の分体を人型にしつつ、セルリエカたちのいる部屋に転移した。
途端、青い光の中、バキィッ、と割れたような音がして、赤い光が部屋で弾けた。
おぉ。助けが来ることは一応考えたのか。または、見ていて追加したのか。
もう信じられないぐらいの低レベルの威力だが。
「お父様!」
悲鳴にセルリエカを見れば、強まった術に再び兵士が苦しみだしていた。
悪い。人間の脆弱さをナメていた。
兵士を守るために、セルリエカが一生懸命に魔力を出して四人を覆おうとしている。身体が、人からかけ離れている。具体的に言えば、首元から、魔族の身体が生えている。
セルリエカは必死で泣きそうだ。
すまんすまん。
***
セルリエカが、動けなくなっている兵士2人を担ぎ上げる。
俺も、2人を担いだ。
「4人全員、担いでやれるぞ?」
「いいえ。私を守ってくれた兵士さんです。私も頑張るんです!」
「そうか。ただ、お前、身体から魔族成分が大分出てる」
「駄目ですか?」
とセルリエカは不安そうに俺に聞いた。
うーん。俺はその姿も愛らしくて好きなんだがな。
人間から非常にかけ離れているので、人間がセルリエカを仲間とみなさなくなるだろう、と推察できる点で問題がある。
だがそれを言ってしまうべきか毎回悩む。
魔族と人間のハーフ。その姿は、親となる魔族がどのような性質か、というので多種多様となるようだ。
セルリエカの場合は、人間の身体の中に、魔族の身体をしまい込んでいるような形だ。出産時は違ったが、妻のイフェルがセルリエカが赤子の時から少しずつ言い聞かせてそれを基本形に収めさせた。
どうも、俺の性質は、人間の身体に混ざりきれなかったようだ。
出産時は双子かと思った。いや、双子がひっついているのかと思った。
ペラペラの皮のような人間の身体。その首の後ろ部分から、内臓のような魔族の身体が生えている。
本来は、きっとその姿が正しいのだろう。
だから、セルリエカが少し魔族的な力を発揮しようとするだけで、首元から魔族的なものが溢れ出る。
力を出せば出すほど、人間らしい身体はまるで抜け殻のようになり、首の後ろから出る、魔族の身体が力を得たように伸びていく。結構、可愛い。
魔族というのは、人間以外の種族の総称だ。
まぁ、似たパターンのは何種族かいる。
とはいえ、セルリエカは独特の容姿だ。きっと、俺と人間とのハーフだからだろう。
寿命も、長いのか短いのか分からない。
人間は少し短命な方だから、ハーフのセルリエカは、少なくとも俺よりは短命かもしれない。
それは寂しいが、その方が良いかもしれない。俺が守ってやれるから。
でも、俺よりも長寿だったのなら。
万が一何か起こっても、セルリエカには同一種族がいない。
きっと魔族は助けてくれると思う。
一方で、人間から危害を加えられたら。
だから。俺と妻イフェルは切実に願う。
愛するセルリエカが生きていくために、セルリエカが生きやすい世界でありますようにと。
人間がセルリエカを受け入れてくれたら。そう願うのに。
魔族と人間の平和の橋渡しのような役割を、皆がセルリエカに見てくれたらいいのに。
無理だろうと分かりながらも、願ってしまう。
セルリエカは、間違いなく半分は人間で、しかも人間の国で育っているのだから。
単純に、セルリエカに傷ついて欲しくないだけだ。
さて。
俺はセルリエカに答える。
「俺は全くそっちでも良いんだが、人間の国にいるからなぁ。人間っぽい方が良いだろうな。俺だって今、人型だろう」
「でも、兵士さんを持とうと思ったら、こうなります」
「そうだな」
セルリエカの本来の姿の、あくまで人間から見た場合の問題点は、『人間が魔族に捕食されている最中』に見えるという点だ。前面に、人間の身体があるからだ。ペラペラの。
一方、魔族においては、ペラペラの人間がついているのが可愛いすぎる、と、ある種族ではセルリエカをアイドル的扱いしているぐらい愛されている。ふ。
さて。俺は、今は気を失っている4人の兵士たちを見た。
こいつらは人間だ。
セルリエカの本来の姿を見たら、どう思うだろう。
無理だろうか。それとも、認めてくれるのだろうか。だって、ハーフなんだぞ?
親しくなったからこそ、この4人には受け入れてもらいたい。
だけど、弱者でも、その判断はその者自身にしかできない。
受け入れてくれない可能性を思うと、俺はどうしてやればいいのか、判断に迷ってしまうのだ。
***
さて。
「それで、国ごと、もう殺して良いよな」
と。
本体の俺は、隣のイフェルに許可を求めた。
セルリエカたちも、無事脱出できた。
セルリエカたちに術を重ね掛けしてきた面々は、セルリエカたちを追ってきたので、セルリエカたちには気づかれないよう、すでに殺ってきた。当然だ。
イフェルは無言で俺を見つめた。
それから奥歯を噛みしめたようにグッと口を引き結び、無言のままで、目を閉じた。
しばらく互いにそのままで待ってから、イフェルは言った。
「謝罪を受け入れる、とか」
は?
俺は驚いた。
「今更だろう。もう、無理だ。殺してしまおう」
国ごとな。
「謝罪なんて、もしあったとしても形だけだ。絶対に本心から詫びないだろ? そういうのばかりだろ、人間は。セルリエカを殺しにきたんだぞ。兵士もまとめて」
俺の言葉は事実だ。
イフェルは目を開け、目を伏せるようにどこかをじっと見つめた。ギュッと握りこぶしを作るので、気づいてそれをほどいてやる。
「もう、無理なのかしら」
イフェルはじっと俺を見つめ返してきた。
無理だ、と俺は思った。だから頷いた。
ここまで待って、まだこんな状態ならもう無駄だ。殺してしまおう。
イフェルはじっと俺を見て、視線を外して瞳を不安げに揺らせた。
罪悪感か?
イフェルも人間だ。人間に属しているもんな。
俺は事実を教えた。
「滅ぼされた国エンダは、リィリアを捕らえようとした。再び、魔族の力を取り込もうとした。繰り返そうとした」
コクリ、とイフェルは真顔になり、俺から視線を外して頷いた。
「ギークスは、セルリエカを殺そうとした。酷くセルリエカを侮辱した。・・・俺がいなかったら、万が一もありえた」
イフェルは深く息を吸い、吐いた。
そして頭を抱えて呻いた。
「どうして分からないの?」
俺は笑んでみせた。
「イフェルも、こちらに属せばいいだろ」
「え?」
とイフェルは顔を上げて俺を見る。
「魔族なんて総称をつけたのは人間だ。こちらは多くの種族の集まりで、人間はただ一種類。どうして、他種族の強者を認めないんだ? 全ての種族でまとまれば良いものを、人間だけ自ら仲間外れだ」
「・・・えぇ」
呟くようにイフェルが同意する。
「理解できないし、もう分かり合えない。大人しく暮らせるならそれでいいのに、こちらに害をなす。ならこっちはもう潰すしかない」
「・・・そう、かもね」
とイフェルは言った。
「何を悩んでいるか教えてくれないか」
と俺は頼んだ。
「・・・私が『殺していい』って言ったら、そうなっちゃうんだもの。怖いわ」
とイフェルは暗い顔だった。
「まるで、支配者みたい。怖いわ。だって、人間の倫理に反しているのよ」
「そうか?」
俺はイフェルの頬を撫でた。イフェルは本気で不安げで、どこか泣きそうだった。
彼女の手におえないと持て余すのなら、俺が独断で動いても構わない。
だけど、勝手に動く事で俺への理解や信頼が揺らぐなら、絶対にしない。だから事前に話し合う。
「俺は思うんだが。魔族の倫理観は多種多様で、人間のとは違うだろう?」
珍しく俺が言い聞かせている。イフェルの方が、言い聞かせてもらいたがっているからだ。
「でも。結局のところ、強者の理論が正論になる。倫理観も。それは正論だろ?」
コクリ、とイフェルが頷きを返す。
「勝った者がこの世のルールを決める。だからみんな勝ちたがる。平和が正しいのか、殺し合いが正しいのかも。全て」
そうね、とイフェルが項垂れるように俺に持たれてきたので、肩に受け止める。
「この世の勝者は、魔族だぞ。だから悩まなくて良いんじゃないか」
と俺は言った。
「私、人類の敵よ。大悪人よ」
「人類の敵は世界の味方だ」
「そうなのかしら。怖いのよ」
「人間を、2つに分けるというのは?」
と俺は言った。