16.強者と弱者
ところで。
スピィーシアーリの背に乗って、セディルナは岩場にたどり着いた。
普段なら全く惹かれないこの場所にも大人しくやってきたのは、ここがスピィーシアーリの一番のお気に入りの寝床だから。
勇者に連れまわされて苦労したスピィーシアーリの願いを、セディルナは何でも叶えたいと思っている。現時点では。
ネコのように擦り寄るセディルナに、スピィーシアーリは嬉しそうにしている。
岩場に降り立ち、一番のお気に入りの場所でスピィーシアーリは身体を丸めて、セディルナを大切な宝物のように囲む。
互いに無言のまま、スリスリと顔を合わせる。
***
何日もそんな状態が続いていた。
スピィーシアーリには、セディルナに話したい重大な話がある。それが契約印を通じてよく分かるのに、スピィーシアーリは切り出さない。何かを恐れているようだ。
セディルナは自分から聞きだそうと思わなかった。今、全てスピィーシアーリ優先にしたいからだ。
とはいえ、時々迷うようにスピィーシアーリは空を眺めるようにした。
セディルナと共にいるのに、ふと探している。あの勇者の影を探している。
怯えているのではないのが、セディルナには分かる。
だからといって恋しがっているのでは全くない。それもよく分かる。
ただ、探している。知りたいという気持ちが、スピィーシアーリに残っている。
深く考えようとすると、セディルナは拗ねる気分になる。
自分よりも勇者の事を考えるなど。面白くない。
だがそのような気分になりかけただけで、スピィーシアーリはハッと気づく。
「ごめんなさい」
とだけ、謝る。
それから静かに目を細めて、セディルナに心から惚れていると分かる眼差しでセディルナを見つめる。
だから、それだけでもう良いとセディルナも思う。
***
セディルナは、人間の姿にしかなれない。
ドラゴンの姿になれれば良いのに、母はそのように産んでくれなかった。
だからギュッとスピィーシアーリを抱き包みたいという気分になれば、スピィーシアーリの姿を小さくするのが一番良い。
「スピィーシアーリ、そろそろ、人型にならない?」
「どうして?」
「だって、心配よ。あの勇者と一緒の時にボコボコボロボロにされたでしょ。人型でアザや傷は残っていない?」
「うーん、えっと、あの・・・」
スピィーシアーリは渋った。
未だにアザや傷が残っている! そう気づいた。
「スピィーシアーリ! 見せてよ! ちょっと!」
声を強めたセディルナに対して、スピィーシアーリは困ったようにドラゴンのシッポを動かしたりする。
「人化の水が、もうなくて」
「言い訳でしょッ! とってくれば良いのよっ」
セディルナが騒ぎ出したのを、スピィーシアーリはますます困惑した。
「持ち運んでいた分は全部使ったから・・・」
誤魔化しているのも良く分かる。
「無いっていうなら、今から行けば良いでしょっ!」
動きたくない、とスピィーシアーリが思ったのが分かった。
こんな反応は初めてで、苛立ちかけたところで、セディルナは激高しそうになった。
身体が痛むのだ! スピィーシアーリはきちんと回復していない!
「落ち着いて。セディルナ様。ごめんなさい」
スリ、と顔を寄せられるが収まらない。
「この姿の方が、回復が早いんだ。だから」
スピィーシアーリの言葉に、セディルナは戦慄いた。
それから、感情が高ぶって悔しさがこみあげてきた。
「セディルナ様」
スピィーシアーリが困ったように何度も呼ぶ。
悔しくて震えが収まらない。
「セディルナ様」
何度も呼ばれて、ついにセディルナは涙をボロリと零した。
「セディルナ様」
俯くセディルナの耳に、スピィーシアーリの声が何度も届く。
意を決したような気持ちが伝わっきて、顔を伝い落ちる涙に手が伸びてきた。
セディルナは顔を上げた。
困ったような様子の、人型のスピィーシアーリがそこにいた。
嘘ついた。人化できるじゃない。
「だって。回復が遅いのは本当だし、セディルナ様が悔やんで泣くと思ったんだ」
人型のスピィーシアーリのアゴにはあざがついているし、頬にもキズが入っている。美しい銀色の髪は一部が千切れたようになっていた。
伸ばされた手に視線を遣ると、アザが重なったように変色している。
また震えて怒りがはちきれそうになる前に、スピィーシアーリが抑えるように抱き付いてきた。
「大丈夫。怒らなくても、もう僕を傷つける者はいない。そうでしょう? キズは時間をかければ治るし、もうずっと傍にいるよ」
震えたまま、セディルナはスピィーシアーリに抱き付いた。
悔しくて悔しくて、仕方なかった。
どうして、母は、回復が使えるように、自分を産んでくれなかったのか。
こんなに強く産んでくれたけど、でも、私はスピィーシアーリのかすり傷さえ癒せない。
***
ブルブル悔しさと怒りで震えるセディルナを宥めるように、スピィーシアーリが微笑んでくれる。
ドラゴンの姿では涙を拭いたりできないから、セディルナを優先して、痛い体を堪えて人化してくれたのだとよくよく分かる。
情けない、と思うのに、怒りをぶつける先がもうこの世界には居ないので、セディルナは悔しさを噛み殺すようにして呻くだけだ。
「大丈夫。大丈夫」
スピィーシアーリはとても弱いのに、包むように宥めてくれる。
セディルナの怒りが収まり、疲れを覚えて眠るまで、数日かかった。
***
怒り疲れて眠って、目を開けるとスピィーシアーリの寝顔が目の前にある。
ジィッと無事であることを見つめて、スピィーシアーリの顔に手を伸ばそうと思ったが、スピィーシアーリに抱えられている。
簡単にその腕を外すことができるけれど、外すほどのことでもない。
セディルナはじっと緩やかな拘束を甘受する。
スピィーシアーリの顔を見つめながらまた目を閉じて、眠る。
大分感情を高ぶらせてしまったので、疲れた今は夢うつつの時間。
***
ふ、とセディルナはまた覚醒した。
ゆっくり瞼を押し上げる。
やはり目の前に、スピィーシアーリの・・・。
セディルナは違和感に気が付き、無言のままで瞬いた。
自分の目を疑ったのだ。
誰。違う顔。
でも。スピィーシアーリ?
「え、えええええええぇぇえええ!?」
セディルナは、奇声を張り上げた。
セディルナの動揺が伝わったらしく、目の前の顔がピクリと動いて、瞼を開ける。
「どうした、セ、ディルナ、さ・・・」
と言いかけて、相手は自らの異変に気付いたらしい。
「ちょ・・・スピィーシアーリ!? スピィーシアーリ!」
「うん。はい」
セディルナの方が混乱しているのに、スピィーシアーリの方が落ち着いていた。
「・・・ダイチ? 違う。これは」
若者だったスピィーシアーリが、セディルナよりも大人になっている。
人化した姿で、大人のスピィーシアーリは、すっかりキズやアザの消え失せた手の平を見つめて、少しだけ首を傾げた。
スピィーシアーリが、眠っている間に強者に変わっていた。
スピィーシアーリは少し思案し、何かに気が付いた。
それから、もう声も上げられないセディルナをチラリと見て、ドキリとさせる魅力ある笑みを浮かべた。
明らかに飛びぬけた強さをセディルナに感じさせながら、スピィーシアーリは、変わりない愛しさを込めた表情と声音でセディルナに乞うた。
「お願いが。聖域を築いても、良い?」
へ?
「すべてのものを排除し、音も全て排除できる」
え?
と思った瞬間、伝わった。
セディルナに、打ち明けようとしている。
スピィーシアーリがとても慎重にならなければならない、秘密の話を。
***
一方。
人間の領域と魔族の領域の中間地点にできた町は。
人間たちが増え、町が膨らむように広がっていく。
***
キツイ。
俺は焦りを覚えていた。
この場所は人間には合っていない。だから俺の力を使って保護してやっている。
そして、これほど町が大きくなると、さすがの俺も消耗する。
正直、人間ばかり集まっている。
どうしてこんなに人間ばかり守ってやらないといけないんだ。
とはいえ、セルリエカを受け入れる可能性のある人間だと思うと、きちんとしておかないとな、と思ってしまう。
一方、ここにいる俺は分体だ。
イフェルとセルリエカを守るために、半分に近いほどの力を与えたが、本体よりは力が無い。
本当なら、本体でこの場所に居たいのだが、こっちの方が穏やかだから仕方ない。
しかしこんな状態になるとは。気が滅入るほど人間がウヨウヨいる。
俺、何やっているんだろう。
だけど、妻はとても嬉しそうだ。機嫌も良いし。
だから仕方ない、と大目に見ていた、のだが。
***
人間どもがなだれ込んだ理由はいろいろある。
勇者が国々を潰したせい。
魔王が国を滅ぼしたせい。
そして。
人間を見切った魔族が活発化したせい。
魔族の領域に、人間が怯えるようになったせい。
怯える大きな一因に、スピィーシアーリも含まれている。
スピィーシアーリが、前ぶれなく強大な縄張りをつくったのだ。
魔族の領域内でのこととはいえ、人間には術が使えるやつがいて、世界に巨大なドラゴンが現れた、と酷く怯えた。そして、人間にはその噂が広まったのだ。
ちなみに、魔王である父さえも様子を見に行った。
スピィーシアーリにはこれほどのものはまだ作れないはず、と不思議がったが、いろんな種族で情報を集めた結果、やはりスピィーシアーリで間違いなく、セディルナも一緒と判明している。たぶん無事。
ひょっとして、回復促進のためか、などと、昔から生きている種族が推測している。勇者に連れまわされて、スピィーシアーリはかなりダメージを負っていたから。
俺も気になる。
しかしそれより切迫した問題がある。
スピィーシアーリの縄張り主張のせいで、怯えた人間たちがますます俺たちの町になだれ込む、という問題が。
俺の負担がどんどん膨らむ。
時々、分体の意識が途切れそうになるのを自覚した時に、俺はプライドを諦めることにした。
カッコ悪くてものすごく嫌だが、もうそんなことを言っていられない。
限界なのだと、妻とセルリエカに打ち明けなければ。
***
「人間が多すぎる。保護してやらなきゃならない範囲が広すぎる。無理だ」
「そう・・・」
俺の断腸の思いの告白に、妻のイフェルは戸惑った。
俺が若干情けなさに眉をしかめて、妻の言葉の続きを待っていると、妻は迷うように、チラと俺を見上げてきた。
ん?
娘のセルリエカが妻の横に立ちつつ、妻の服をツイツイ、と引っ張る。そして、俺の様子を伺うようにした。
んん?
「あの・・・」
「あの、ね、お父様・・・」
「なん、だ」
「実は・・・私たちも、言い出せなかったの。勘違いしていたわ。ごめんなさい」
「なんだよ」
会話しながら、俺の意識がふと飛びそうになる。
「お父様、ごめんなさい、あの、無理をさせているって分かってたの。でも、私、楽しかったから、つい・・・」
セルリエカの言葉の意味が分からない。
分からないが、手を伸ばして触れようとして、クラクラした。
慌てたように妻イフェルが近づいて、俺の身体を支えるようにした。
「ルディアン。捨てましょう、この町」
ん。
「この町、ごめんなさい、一生懸命作ってくれたけど、楽しかったけど、無茶だったのよ」
「・・・あぁ」
「人間にとって、気がおかしくなっちゃうの、この町! 空の色が変だから!」
・・・ん?
「ルディアン! しっかりして!」




