13.魔族と人間たち
スピィーシアーリはふと意識を取り戻した。
ドラゴンの姿だ。
地面はやたら平ら。草も生えていない土の上、つまりどこか建築物のある付近、と気付いて、状況確認にと首を少し上げたところで、スピィーシアーリは首にグッと衝撃を受けた。
「スピィーシアーリっ!!」
「・・・セディルナ様」
スピィーシアーリの首を、ギュウギュウと締め付けるのは愛しの大切な奥様セディルナ様。
愛情表現だ。知っている。ただ抱き付いているだけだ。
だけど首が見事に締まる。スピィーシアーリの意識はまた薄らいだ。
「スピィーシアーリっ!!」
傍の奥様が悲鳴を上げる。
自分の名前を連呼してくれる。嬉しい。戻らなくては。
だけどそのままフェードアウトしそう。
と、パァン、と水がぶっかけられたような衝撃を受けた。驚いて意識が戻った。
瞬いていると、顔がぐっと引っ張られる。
真正面にセディルナ様がいた。グシャグシャな顔をして泣いている。
「スピィーシアーリ、スピィーシアーリ」
この人はとても強いのに、自分を思って泣いてくれる。感情が高ぶると、セディルナ様はろくに文章を話さない。大切な単語だけを何度も繰り返す。
夫婦の契約印を通じて、やっと居場所が掴めた安堵と喜びと今までの不安と、こんな風に苦しめたスピィーシアーリに対する怒りと、スピィーシアーリをこんな状況に追いやってしまった罪悪感と。ぐるぐるグチャグチャそれでも伝わってくる感情を、スピィーシアーリは嬉しく光栄に全て受け止める。
セディルナ様の顔にそっとキスを寄せる。体格差で、セディルナ様の顔全てより自分の鼻先の方が大きくなるから、ご機嫌を損ねないように、そっと頬に。
キスを受けてなお激しく泣くセディルナ様を見守りながら、スピィーシアーリは異変を感じた。自分の尾はセディルナ様からとても離れたところにある。
だけど、そこからポカポカ暖かさが伝ってくる。
気になるが、セディルナ様が一番だ。彼女から注意を放すべきではない。だけど。
尾の先からくるのは、回復魔法だ。それも魔族のものではなく・・・。
戸惑いが契約印で伝わったらしい。
セディルナ様が顔面に乗り上げてきたので、そのまま頭部にセディルナ様を掬い上げ、それからそっと動かないように注意しながら尾の先を見る。
スピィーシアーリは見えた事実に驚いた。
人間たちが、自分に手の平を向けて、回復の術を使っている。
ひょっとして、さっき自分の意識を戻したのも彼ら? セディルナ様は回復魔法が使えないから。なぜか全て攻撃になる人なのだ。
戸惑いが大きくて、状況が掴めない。
「スピィーシアーリ。元気になった?」
拗ねたように頭上のセディルナ様が聞いてきた。
スピィーシアーリは言葉が返せない。
セディルナ様は断片的な情報をくれた。
「許可したの。スピィーシアーリを助けたいって、こいつらが言ってきて。一生懸命言うから」
「どうして」
人間が?
「知らないわ」
と、常になく弱ったセディルナ様が、頭部で自分に甘えて来る。
ふと、スピィーシアーリは空を見た。
何かが降ってきたような感じがしたからだ。
空に大きな雲が浮かんでいた。薄まっていく。その雲の中央に、もう閉じている、扉の形。
あれは力の現れ。
「ダイチは」
スピィーシアーリは呟いた。
「知らないわよ、あんなヤツ」
怒ったように、セディルナ様が頭上でスピィーシアーリをギュウと抱きしめようとする。
セディルナ様。
ダイチは。
セディルナ様に伝えなければならない事がある。
夫婦の契約印さえ使えないように、ダイチは僕たちを世界から遮断した。決して計画を漏らさないようにするためだ。
僕からセディルナ様から漏れないように。
僕が無理強いをされている状況を全てに知らせるために、ダイチが計画した事だったんだ。
セディルナ様に気持ちが伝わった。
秘密の話だとも分かったはずのセディルナ様は、ただ、スピィーシアーリの頭部からむくりと身を起こしただけだった。
***
「イフェル。頼むから、人間たちを捨ててくれないか」
分体で守る城の一室。他の部分は崩れている。
ここだけ、保たれているように見えるだけだ。俺がここを離れれば、他と同じようにここも消える。
「・・・私は人間よ?」
とイフェルは静かに聞いた。
「知ってる」
「知ってるの?」
「知ってるさ」
すでに添えられた手を握り、俺は妻に微笑む。
魔族の俺と人間のイフェルでは、夫婦の契約印を交し合う事はできなかった。
あれは、魔族が魔力を使って相手に与えるものなのだ。それだけ相手を思っているという証拠であり証明だ。
俺はイフェルに印をつけることができたのだが、イフェルは俺には無理だった。
ガッカリしたのもつかの間、イフェルについた印が濃くなったので、きっと何かの差があるのだろうと俺たちは思った。
魔族と人間。人間が一線を引いたけれど、超えられない違いがあるのかもしれない。
人間は魔力が少なすぎる。だからこそ力の差に鈍感でいられる。
つまり、あまりにも異種族過ぎるのかもしれない。
魔族と人間。
これほど理解し合えない生き物だと思えなかった。ここまで魔族と対立し続けるなんてな。
母ノクリアが人間のイフェルと仲良くしているのを見て育った影響もあるかもしれない。皆がこうなれるもんだと無意識に楽観視していたんだろう。本気の特例だっただけなのだ。
または、魔族の怒りを買わないように、人間どもが表面を取り繕っていただけだ。
「良いじゃないか。魔族に心を奪われた人間がいたって」
「そうね」
とイフェルは笑んだ。
俺はさらに言葉を重ねる。
「俺とセルリエカが、大事なんだろ?」
「そうよ」
とイフェルは頷く。
「城よりも。人間よりも。倫理観よりも」
「そうね。大事だわ。もう私も自由になって良いと思う」
「頑張ってたよな。王サマのお仕事をさ」
「そうよ。だって、私の家で、私の国で、本来守るべき血だと思ったのよ」
「もう良いだろう?」
「もう良いわ」
とイフェルは言った。
「でも、お願いも聞いてくれる?」
「なんでも聞く」
「うん。私が前に言ったことも、覚えてくれてる?」
「覚えてる。俺たちは、娘が幸せにいて欲しいと思う、親馬鹿なんだよな」
「うん。そうなのよ」
「大丈夫だ。俺が守るよ。命ある限りな」
と、俺は掴んでいる手の指先に誓いのキスを。
イフェルは言った。
「ねぇ、ルディアン。大好きよ。あなたが一番。でもお願い、私は人間なの」
「知ってるから、いきなり全滅なんてしないって決めたんだろう?」
「旦那様を皆に自慢したい、って言ったら、私は傲慢? 見栄っ張り?」
「自慢してくれたら嬉しいよ。ものすげー嬉しいな」
俺の頬が緩んでしまう。
「私は人間なの。だから」
「知ってるよ。だけど、ごめんな」
「うん」
イフェルは目を伏せて、最後に笑う。
「良いのよ。私、未来の魔王様の奥さんで。実は人間なの。きっと、人間の敵なのよ」
「そうなるな」
「良いのよ。それで良いの。ありがとう聞いてくれて。大好きよルディアン。行きましょう」
***
分体でイフェルを守りながら、城の中を歩いて出る。
俺が場所を離れた途端、全てのものが崩れていく。勇者の攻撃の結果だ。
あいつ、見事に壊していきやがった。
崩れたものが上から下に落ちていく。あっという間だ。
地下に流れ込んでいく。地階まで全て破壊していったからだ。
勇者シマザキダイチの恐ろしいところは、目的のための大きな決断をしてそれを遂行できる事だ。
普通なら、迷う。躊躇う。
だけどアイツは、他の世界から来て、この世界に馴染むことも拒否した。だから遂行できたのだろう。
召喚された時点で、アイツは自分の仕事を決めた。そして、目的達成のためにずっとブレずに動いていた。
***
俺たちは、あえて徒歩で移動する。他の者に見せるために。他の者の反応を見るために。
一方、人々は迅速に逃げたようであまりいない。
とはいえ、転移の術は全て邪魔してやったから、持ち出したかったはずの家財道具などが、あちこちに捨て置かれている。
この国の上空に地上に、この世界の強者たちが揃っている。
たまに、逃げるのを諦めた人間がいる。
じっと俺たちが歩くのを見つめている。憎悪とか恐怖とかそんなものも消えている人間もいる。
全員に問いかけてみたくなる。
だけど、こういう人間たちは放置する。
俺たちは。魔族は。
いや、特に俺と、親父か。
様々な形で分体を作る事の出来る俺たちは。
この瞬間、人間たちの住むすべての地域を監視している。
分体で、一歩一歩歩いて見せながら。
忌まわしい人間どもの、隠されて放たれた言葉と動きを把握する。
そして、俺に至っては。
すでに多くを喰らっている。
***
「おい。馬鹿息子」
「・・・」
霧状になっている俺の力に、俺ではない霧が話しかけてきた。
言うまでもなく、魔王のクソ親父だ。
「忠告だ。お前にも守るものがあるだろう。己を見失うと、自ら壊すぞ」
「・・・」
俺はぼんやりと、人型をとる。
すると向こうも人型になった。
暗くて黒いこの場所には、俺たちの魔力が充満している。足元には、金属の欠片。
「ここまでしていれば、誰からも見られる心配はないと思うが」
と親父が言うのを、俺は睨みつける。
「誰が。いつ、なるか、分からねぇだろ」
「大丈夫だ。この時間ごと食ってやれば残らんぞ」
と親父が笑うので、少し意表を突かれた。
時間を喰う?
「私たちは、時間さえ飲み込むことができる。その空間を己の魔力で満たした場合だが。この場所など存在しなかった事にできるぞ」
「・・・」
「後の研究者などに盗み聞かれるのを防ぎたいのだろう? 用意周到だ」
と親父は分かったように表情を和らげるので、また俺は苛立った。
俺の方が強者だ。それは絶対だ。
だけど、親父の方が、世界を治めるに相応しい性格をしている。・・・と、母ノクリアが冷静に評価したという。悔しいが認めざるを得ない。
「お前は、私からあまり教えていない。すぐに対立姿勢を見せたからな。とはいえ、馬鹿息子に違いない」
貶しているのか、認めているのか。俺の苛立ちは収まらない。
「私たちは、他を喰う事ができる。だが、いきなり多くを喰うな。いくらでも喰えるが、自我が保てなくなるぞ。己の中で、己以外のものが多くなると、主導権が揺らぐ」
「なんだって?」
「今のお前だ。焦るな。急に多くを喰うな。ゆっくりと消化し、己に変えてからにしろ。どうしても今消したいなら、私も手伝ってやる」
「・・・」
「数百ぐらいはもう喰ったか? しかもお前を否定する思念を持つ者ばかりだから不味かっただろう?」
「・・・だが」
「私たち一族の秘伝だ。お前が最も継ぐべきだ」
俺は親父を睨みつける。
上手い話だ。
裏が。
無い。無いと知ってる。この父は、変な手段を用いない。知っている。
だから余計に腹立たしい。分かってる。
「ルディアン。私を見ろ」
親父の言葉に、俺は見た。体内がボコボコ動いて苦しい。
「私を見なかったものよ、分かれろ」
え。
俺が親父を見つめ返した時、フッと体内のうごめきが落ち着いた。
「主に従え。お前の力の元は、誰だ」
魔王である親父が、俺ではない何かに告げた。
俺は視線を動かした。
俺のすぐ傍に、黒い塊が動いていた。
俺の身体だと、すぐに分かった。だけど、意識が俺とは、少し違う。完全な分体とはまた何か違う。
主だと?
まさか親父の方に従うのかと一瞬疑いかけて、すぐに言葉を飲み込んだ。
黒い塊は、黒い人のような姿を取り、俺に向けて跪いた。
魔族の中の、ある種族の身体になっていく。手足が細く伸び、背中から黒い羽根が生えていく。
「配下だ。お前からは独立したが、お前の意思を守って生きる」
茫然と、生まれたものを見つめている俺に、魔王の親父が愉快そうに告げた。




