非日常への扉4
教室の端からすばやく、それでいて埃を巻き上げないように、広人は丁寧に床を掃きあげていった。
「うわぁ…ヒロくんそうじするの似合っとうね」
克美に微妙にほめられた。「うまいね」でも「はやいね」でもなく、「似合ってる」か………ん?ほめ言葉だよな?
開いた窓の向こうから例の男子が顔を出す。
「広人はガキのころから学校とかでまじめに掃除するやつなんだ。特にきれい好きってわけでもないのに、なんでかねー」
うるさい、お前は黙って便器でもみがいてろ。
「オレ廊下掃除なのにっ!?」
「トイレ掃除手伝ってやれ」
「うぅ…わかった……」
親友はうなだれながらも男子トイレに向かって歩き出した。お前のそういう素直なところ、割と好きだぜ。
「へ~、じゃあヒロくんは昔っからそうじが得意ったいね」
克美はどこか憧れるような視線を俺に向けてきた。自分では掃除が得意だとは思っていないので、そんな目で見られても、困る。あと、何で憧れるのかがわからない。
どうリアクションすればいいのかわからず困惑していると、安藤がほうき片手にやってきた。そのまま克美に寄り添う。
吊り気味の大きな瞳が、広人に照準をあわせた。
「女子の第一班は、彼の所属する男子第二班と一緒のローテーションでね。男女で分かれてしまうトイレ掃除以外、彼がよく働いてくれるから、掃除が実に楽なんだ」
衝撃の真実。俺は安藤から、いや、他の女子もかもしれないが、そんな目で見られていたのか。なんていうか、よく働く下っ端キャラ、みたいな………?
少なからずショックを受ける広人に安藤は、
「自覚はないかもしれないが、君はフェミニストだからね。机もほとんど一人で運んでくれているし、雑巾がけのような面倒な仕事も率先してこなしてくれているんだよ」
言って左手を腰に当てた。
確かにそういう行動パターンはしているが、だからといってフェミニストとは言えないんじゃないか?
「教室のゴミ袋を捨てに行くとき、女子が持っていこうとすると君は決まって自分が行くと言い出すんだよ。男子のときはほとんどが君だからわからないが、女性に優しいという点で、君は立派なフェミニストさ」
なんだろう。安藤が相手だから言い回しは妙だが、面と向かって女子にほめられるとすごく恥ずかしいぞ。
広人は自分が三つめの机を運んでいることに気が付いた。安藤と克美はまだ一つめ。他の男子たちもせいぜい二つめだろう。
「……ごほん」
照れ隠しに咳払いをする。
自分ではまじめに掃除をしているだけなのだが、いつの間にかそういう印象を与えていたのか。
なんとなく恥ずかしかったが、仕方がない。自分はそういう性格だ。
広人は自分を納得させると、四つめの机を持ち上げた。
「やっているな、手伝いに来たぞ」
古賀のひきいる男子第一班、廊下掃除組が数名応援に来てくれた。同じく廊下掃除組、女子の第三班の姿も見られる。
「よーし、さっさと運んじゃおうよ」
小宮が机を持ち上げた。
教室掃除は、机を横一列ぶん運んではほうきで掃くの繰り返しだ。頼もしい援軍たちが机運びを担当してくれるので、広人たちは掃くことに集中できる。
時間内に終わるかどうか微妙だった掃除ペースは飛躍的に向上し、残すところ集めたごみをちりとりでとるだけとなった。
「ふぅ……よっし」
足元に広がる黒いごみの集まりを見て、広人は満足げに呟いた。一見そこまで汚れて見えない教室の床も、実はこれだけの砂やほこり、消しゴムのカスが転がっていたのだ。これらを見ていると、教室がきれいになったという実感がわいて実に心地よい。
達成感につつまれている広人に雪村かえでが近づいてきた。手にはちりとりが握られている。
灰色の少女は、何も言わずに床にしゃがみこんだ。右手でちりとりを固定し、左手でひざを抱えている。
(懐かしいな……)
その光景を見て、広人は思った。
一年のときは二人でよく一緒に掃除をしたものだ。ちりとり役は決まってかえで。広人が代わろうとしても、かえでは頑なに首を横に振っていたことを思い出す。
広人はいつもそうしていたように、風でほこりが舞わないよう注意しながら、優しくゴミを掃いていった。
「……」
かえでが立ち上がり、ゴミ箱へと向かう。広人はその後に続いた。かえでがゴミを捨てた後、小さな手からちりとりを受け取る。
ほうきとちりとりを持ったまま、広人は教室の外にある掃除用具入れのロッカーへ歩いていった。そしてかえではこの間に、自分の席へと戻る……………
本当に懐かしい。一年の頃は毎回やっていたことも、久しぶりだとなんだか特別な行為に感じる。
「…うおっ!?」
ロッカーを閉めて振り向くと、かえでがいた。前髪の隙間から、灰色の瞳でじっと広人を見上げている。
「………」
かえではふいに視線をはずすと、自分の席に向かって歩き出した。一体なんだったのだろう?さっきの視線の意味がわからず、困惑する。
「俺も、まだまだだなぁ……」
広人は、少女の表情が読めなかったことが少しだけ悔しかった。自分の席に向かって歩き出す。
右から二列目、かえでの前へ。