非日常への扉2
体育の時間、男子はサッカーで女子はソフトだ。
広人たちは二つある校庭のうち、駐輪場近くの小さなほうでゴールポストを移動させていた。通常のサッカーコート内に四つゴールを並べ、二つのコートをつくる作業である。
ゴールを置いて準備完了。一息つきながら女子のほうを見る。女子がソフトボールをやっている校庭はここと通路を挟んだ向こう側にあり、隔てるものもないので良く見える。
野見山克美は一人だけ体操服の色が違うので、すぐに見つけることができた。次のバッターなのだろう、でこぼこの金属バットを持って同じチームの女子と話している。
広人の視線に気付き、克美が手を振ってきた。広人はそれに軽く手を振り返す。
「お、のっち見てんのか?」
「ああ…なんとなく気になってな」
俺は野見山克美に違和感を覚えていた。どことなく自分たちと言動が違うというか、考え方が違うというか。でも、本質的には変わらない。そんな感じだ。
「うんうん。広人も男だった、ということか……」
目を細め、頷きながら肩をたたいてくる。何言ってんだ、お前?
「思い起こせば過去十六年、オレの『広人好きな人いるー?』の問いに答えてくれたのはたったの三人、それも一人は無邪気な子供の言ったこと、残る二人も『かわいいと思う』止まり。そんなお前が一人の女を『気になる』とは、ね……」
なんだ、その『弟の成長を喜ぶ兄の目』は。すぐ勘違いをするのは貴方の悪い癖です。
「敬語で遠く離れゆく心の距離を表現しないでくれ友よ。まぁなんだ、向こうもお前のこと気にしているみたいだし、恋愛に発展する可能性は大だぜ?」
確かに、克美はやけに俺のことを気にしている。女の子に注目されるなんて初めてだから、俺も克美が気になるのかもしれない。
「さて、そんじゃサッカーするか!行こうぜ、広人」
おう、と返事をしたとき、危険を感じた。脳で考える前に体が動く。さっきまで頭があった空間を白球が通り過ぎ、ゴールポストにぶつかると『ゴガンッ』と音を立て地面に転がり落ちた。
「ヒ、ヒロくんっ!!大丈夫!?」
バッターボックスから克美が叫ぶ。どうやらファールボールがここまで飛んできたらしい。無意識に聞いていたカァンッという音と視界に入った白い影がなければ直撃していたかもしれない。危ないところだった。
「ああ!平気だ!」
叫んでボールを投げ返してやる。遠かったので二回バウンドしたが、きちんとピッチャー田宮さんに投げ返すことができた。
「ありがとー!ごめんね、ヒロくん!」
克美のすまなさそうな声が届く。わざとじゃないんだから気にすることは無い。
その様子を見ていた相棒が広人に声をかける。
「ナイス回避」
「まぐれだよ」
さ~て、サッカーするか。
広人が男子の輪へと加わる様子を、悲しそうに見つめる姿があった。
「………本当に、ごめんなさい」
誰にも聞こえないくらい小さな声で、その姿はつぶやいた。
「よしっ広人!!俺に続け、速攻ぉお!」
うるさい。ボリュームおとせ。ゴールに向かってひたすら進むパートナーにパスを出す。タイミングはどんぴしゃ、変態の左足に打ち出された白い閃光はゴール上隅を通過し、敵ゴールのネットを揺らした。
「くっ…!!あの二人は本当にやべぇ……無駄に高いテンションで荒れ狂う『左手の槍』と、それをうまく誘導し活かす『右手の盾』!!勝てねぇ…っ!」
肩を落とし、あきらめかけた佐々木の心に仲間の激励が飛ぶ。
「あきらめんな佐々木!二年七組のナイスペアはこっちにもいるだろ!」
相手チームのディフェンダー二人が攻めへと転じた。城戸と小宮、広人たちと共に『二年七組の四天八衆』に名を連ねる猛者たちである。
城戸と小宮は不敵な笑みを浮かべながら、息のあったコンビネーションでパスを出し合う。広人はおもむろに二人に近づくと、あっさりとボールを奪い取った。
「あぁっ!?『美声の重奏』、『バス』城戸と『テノール』小宮がっ!!」
「やはり文科系のペアでは『暴走する晴天』の相手は荷が重かったか!?」
あきらめがチームを支配する中、敵ゴールキーパー古賀の眼鏡が妖しく光った。
「いや、『四天八衆』をなめてはいけないな…」
あてずっぽうや負け惜しみではない、確信を帯びた声色。そして、皆もこの違和感に気付く。
「広人の動きが、鈍った…?」
「神導時くんステキ~♡こっち向いてぇ」
筋肉質な体を持つ身長一八〇センチの城戸が、『バス』の二つ名にふさわしい野太い声で言ってきた。
「くっ……!!」
「やぁん♡ひろひろと目があっちゃったー♪」
城戸から目をそらした先には小宮がいた。細身で小柄、女の子と見間違うほどの美少年が澄んだ声で言ってくる。
人間は外部の情報の約七割を視覚に頼っている。これに聴覚を加えると九割近く。それらの情報収集機能を利用して不快感を与えてくる城戸と、マジで洒落になっていない、本気で言ってんじゃないだろうなと不安を与える小宮の結界、『不協和音』に捕らわれ、広人は身動きがとれなくなってしまっていた。
「おい、広人がやべぇぞ。助けなくていいのか?」
敵ゴール近くに配置された安武が心配そうに言う。しかし、それに広人の相棒は笑って答えた。
「ははっ、広人をなめんなよ?」
あいつはオレの親友だぜ?
その顔は誇らしげに見えた。
城戸と小宮のコンビネーションは完璧だった。俺の動きを完璧に封じる集中力は半端ではない。
「さあ、あきらめたらどう?神導時くん♡」
「あんまり無理すると、体に毒よ?」
勝ち誇った顔で言ってくる。それに広人は笑みを見せた。
「あきらめる?何をだ?」
「決まってるでしょ?ボールをこっちに渡……っ!?」
「……えぇっ!?」
二人が驚いた声をあげる。そりゃそうだろう、俺はボールを持っていないんだからな。城戸は俺の脚と、長年多くの生徒たちに踏みしめられたグランドを見続けながら驚愕した。
「馬鹿な…いつの間にっ!?」
最初からだよ。お前らからボールを奪ってすぐ、俺はパスを出していたんだ。
「そんな…」
「じゃあ、ボールはどこに!!」
「……あっちを見てみろ」
広人は相手ゴールを指差した。
広人に指差され、敵ゴールキーパーの古賀は怪訝な顔をした。どうした?何を話している?
広人たちに気を取られていると、後ろでネットの揺れる音がした。風でも吹いたのだろうか?何気なく振り返ると、そこには六角形と五角形で形成された白黒の球体が転がっていた。
「なっ!?」
「……お前らそろいもそろって広人に気を取られすぎなんだよ」
『左手の槍』っ!!こ、こいつ…いつの間に!?というよりもなぜボールがここにある!!
「広人の言葉を借りれば、『目的と手段を見誤ったな』ってとこか?」
油性のちょび髭を生やした男は、古賀に向かってにやりと笑った。
大きく坂になった公道から、広人たちのいるグラウンドを眺める一人の男がいた。
サッカーという競技で最も優先すべきことは『勝つ』ことである。
そして、その『目的』を果たす手段として『神導時広人を封じる』というものがあった。
あの二人は神導時広人に対抗するという『手段』にとらわれており、『目的』を見失っていた。
それを見抜いた神導時広人はあの場にいる全員の注目を自分へと集中させ、ボールの存在を希薄にし、相方にパスを出すという『目的』を完遂させた。
そのすばやい判断能力、流れるような手並み、着眼点―――正直驚いた。
何の訓練も受けずにあれだけの動きができるとは……基礎的な判断能力、運動神経はかなり高いといえよう。
「素質はあり…か」
男は神導時広人から目をそらすと、学校を後にした。