非日常への階段3
「鼻血、止まったみたいだね」
野見山克美の周りに女子が集まる。広人たち男は女子らに場所をゆずり、グランドの見える窓際へと集まっていった。
「いや~、前田の箱ティッシュには参ったぜ!予想外だった!」
「ポケットティッシュだけだと足りないかもしれないからな。助かったよ」
二人で前田を挟むようにし、窓際に寄りかかる。俺ら以外にも佐々木や安藤などが集まり、適当な席に腰を下ろしていた。前田はニコリともせずに呟く。
「たいしたことはしていない。役に立ったのなら何よりだ」
「いや、いい男だったよ。コジローが少女のために我が身を盾にする戦士なら、君は颯爽と現れ危機を救う紳士みたいだった」
安藤が両手を広げ、少し大げさに天井を見上げた。相変わらず台詞や行動が芝居めいている。しかしそれが鼻に付かない、独特の雰囲気も持っている不思議な奴だった。
「それにしても……」
安藤が大仰に振り向いた。つられて視線の先を追う。
「女子はなぜ、集まるとああも騒がしいんだか………」
野見山克美を中心に騒ぐ女子たちを見て、男子一同は苦笑いにも似た表情を浮かべた。
四時限目、化学。
化学担当の平野先生は、今年就任してきたばかりなので青春真っ盛りの若者たち相手になかなかうまく授業を行うことができなかった。
それでもなんとかしようと工夫を凝らし、毎回プリントを作ってくるという努力家だったりする。
「えぇと、今日はこのプリントをやりまーす。問題は難しくないので、みんなでやってみましょうー……」
できるだけ大きな声を出そうとしているが、元気ありあまる少年少女の私語に阻まれてしまっている。平野先生のちょっと涙ぐむような表情が、一部の男子に好評だったりする。
プリントを一枚やるだけなので私語も多いが、それなりの勉強にはなっているとおもう。
「いや~いいね、あの涙目。なんか守ってあげたくなるようなオーラ出してるよな!あれで年上なのがまたいい」
「そう思うんだったら黙ってプリントをやってやれ。それが一番の助けになる」
こいつの大声がなくなるだけで、だいぶ静かになるだろう。平野先生だって泣かずにすむ。みんな幸せ、万々歳だ。
「それもそうだが、あの表情をもっと見ていたいと思うのも、人としての性じゃないかな?」
野郎二人の会話に割り込んできたのは、教室右端前から三番目。
安藤だった。
「そうそう、安藤の言うとおり!この男心がわからないなんてな、広人も堕ちたもんだ。少しは安藤を見習え」
変態は突然の助け舟に調子にのって、イスから身を乗り出した。
「おや、それは喜んでいいのかな?これでも僕は女なんだが?」
安藤はいかにも心外といった様子でシャープペンをこめかみに当てる。舞台衣装のように着こなされたセーラー服は、確かに女子の証だ。彼女は顔つきも美人だしスタイルもいい。なのに女子よりも男子に近い雰囲気をまとっているため、この仕種も女の子役を演じる美少年といった感じがする。
「ああ、そうだった。安藤はなんっかな~……男っぽいんだよな」
「それはなんとも失礼な話だ。これでも休日は、スカートを履いてショッピングに出かける一般的な十六歳の乙女なんだがね」
安藤は立ち上がると(突然立ち上がった生徒におろおろする平野先生)、腰に手を当て言い放った。
「「「え~~~~~~っ!?」」」
聞き耳を立てていなくても教室の会話は聞こえるものだ。今の台詞を聞いてクラスメイト四十五名がいっせいに安藤に視線を注ぐ。
安藤はなぜドクターストップをかけられるのかわからないボクサーのような目で教室を見渡し、
「なんだい?」
と言った。
安藤の問いに、俺たち二人はクラスを代表して心境を語る。
「いや……オレはてっきり、安藤は普段ズボンをはいているものだと………」
「スカートを、履いているのか?」
傷つきはしないかと少し心配したが、そのそぶりは見せなかった。安藤はいつもと変わらぬ口調と表情で、
「心外だね。僕は普段着で、スカート以外のものをはいたことは一度もないよ。太陽の下、風と戯れる僕の姿は可憐そのものさ」
いうとその場でスカートをなびかせ、体を斜めにポーズをとって見せた。深い緑色を帯びた黒髪がしなやかに揺れる。なるほど。安藤の濡れるように艶やかな髪には、スカートがよく似合いそうだった。
それを聞くと、俺の親友である変態はいきなり頭を抱え、ぶるぶると身を振るわせ始めた。
「なんてこった……っ!!じゃあオレは…安藤をパンツ(ここではズボンのことだぜ)派だと思い込み、統計に必要なデータ収集を怠っていたというのかっ!?ということは、今日のパンツはレギュラータイプのパッチワークフラワーじゃなく………」
「レギュラータイプは合っているが、残念だね。レースだ」
衝撃を受ける親友。レギュラータイプってなんだ?
「レギュラータイプはパンツの基本形、武道で言うところの自然体だ!!敵のあらゆる攻撃に対応し、無限の変化を生むことができる。その姿、まさに無敵(スキ無し)!!」
「レギュラータイプはヒップをしっかりと包み込んでくれるからね。僕は好きかな」
知らん。
「くっ…二年七組の『変態主神』と呼ばれたこの俺が、こんな失態を犯すなんて………っ!!」
歯噛みするとはこのことだろう。下らぬことに命をかけた、真の男と呼ぶにふさわしい『彼』はがっくりとひざをつき、両手を床につけ、己がこぶしを握り締めた。
「…このような失態、二度と犯さんっ!!のっち!のっちは普段、パンツとスカートどっちをはく?」
負け犬から復活。バカは勢いよく立ち上がると、『男心』と書かれた手帳を片手に克美に向かって質問を開始した。
「えっ!?えと…どっちもはくけど……」
「スポーツは?」
「ん…特にしよらん」
「好きな色は?」
「白」
克美は素直に質問に答えて言った。親友は真剣な顔つきで手帳にペンを走らせる。その指が止まると、『復活の変態神』はほっとしたような顔になり、自信に満ちた声でこう言った。
「間違いない。のっちの今日のパンツは……白地に青ラインの『しまパン』だ!!」
クラスの女子らは太いほうのキャップをはずした油性マジックを、アホに向かって一斉に投げつけた。それらは寸分たがわず女の敵に命中。学ランをさらに黒く染め、少年の顔に髭を生やしていった。
「うぉおおっ!?一本口んなか入った……苦っ!!苦まずっ!!」
「最っ低!こいつ最っ低!!」
「そんなことしか頭にないの!」
女子の罵りをうけ、ゴミ箱に向かってつばを吐いていたちょび髭はゆっくりと眼をつむり、
「それが男というものだ!!」
カァッと眼を見開いた。
「「「一緒にすんな!!」」」
男子一同から放たれた大小無数の消しゴムが、うなりをあげて変態を襲う。
惨劇後の床には無数の油性ペンと消しゴム、そして力尽きた変態主神が転がっていた。
「まったく、アホが………」
クラス全員を敵に回した友人を見下ろして、広人は自分の消しゴムを放った。
私の別作品『お揚げの乗ったSS』、第7部『絶望的な時こそポジティブに』と第26部『可愛い安藤とイチャコラしたい』の安藤はこの子です。