非日常からの訪問者1
「ただいまー……っ!?」
自宅。靴を脱ぎ、廊下を渡る途中で一瞬のフリーズ。広人は目の前の光景が理解できなかった。
「やあ、おかえり少年」
自宅のリビングで、昨日の男性が軍服姿でお茶を飲んでいた。
白髪交じりの黒髪をオールバックで固めた五十代前半の男性。口元の髭が老紳士のような品の良さをかもし出し、その鍛え上げられた肉体からは戦士の貫禄が漂っている。
「あら、ひろちゃんおかえり~。お客さんが来てるわよ」
そして今年三十六になる母親が、現在進行形で軍人さんの前にシュークリームやら大福やら、家にあるものをとにかく並べていた。どこからこれだけの菓子をかき集めたのだろうか。テーブルはちょっとしたお菓子の王国みたいになっていた。
広人はいたたまれない気持ちになった。
「すいません、うちの母、天然なもので…」
「いやいや、急に訪れた私を快く迎えてくれた、よきご婦人ではないか。君が私を助けてくれたのも、ご両親のご教育の賜物であろう」
まったく気にしていない様子で湯呑みを傾ける。さすが軍人さん、この程度のことではまったく動じない。母は「あらまあ……」と照れた様子で頬に手を当て、新たにきんぴらごぼうをテーブルに置いた。
もはやお茶菓子ですらないが、さすが軍人さん。やはり動じない。
広人はとりあえず、鞄を入り口近くの壁に立てかけた。
「は、はぁ…それであの、なぜここに?」
暴走する母親を尻目に、そろそろ聞いておきたい素朴な疑問を投げかけた。
「いやなに、一言礼を言いたくてね」
男性は湯飲みを置き立ち上がると、
「あの危険な状況で、私を助けてくれたことを感謝する」
広人に向かって深々と頭を下げた。
「あ、いえ、大丈夫です。頭を上げてください」
大の大人に頭を下げられるのは、やはり恐縮してしまう。
「この方、わざわざお土産を持ってお礼にこられたのよ」
母が包みをかかげて見せる。あの大きさは和菓子の詰め合わせだろうか。男性は当然の礼儀ですといって母に向き直った。お菓子を持ってきてお菓子に圧倒されるとは思わなかったのだろう。男性は不自然な汗をかいていた。
いや、待て………
その様子を見て、広人はあることに気が付く。
「…体のほうは大丈夫ですか?」
あの時、男性の上に乗っていたコンクリートの重さはかなりのものだった。どこか骨折をしていたり、内蔵を怪我していてもおかしくはない。本当はきついのを無理しているのではないか。
「ん?ああ、骨にひびが入ったが、心配は要らないよ」
力強く、優しい目を広人に向ける。もしそれが本当ならおそろしく頑丈な体をしている。嘘だとしても、日常生活をするぶんには問題がない程度なのだろう。
「命に別状がなくて、なによりです」
広人の真摯な言葉に男性は目を丸くして、
「なんとも、神妙な子だ……」
感嘆の声をあげた。
「…少年、君に話しがあるのだが、ちょっといいかね?」
悩むそぶりの後、真剣な表情を広人に向ける。広人は、目にこもった迫力に気圧されながらもうなずき、肯定の意を伝えた。
「ありがとう。それでは、場所を変えよう」
男性の言葉が終わると同時に、玄関から扉の開く音と無数の足音が聞こえてきた。視界にヘルメットと防弾ジョッキを装備した兵士たちが飛び込む。彼らは皆、服の上からでも一目でわかるごつい体つきをしていた。
(なんだ…っ!?これ!!)
その人たちは広人の四肢を拘束し、かつぎ上げた。視野に映るのは白い天井のみ。重力に逆らう動きから、広人は自分が家の外へと移動を始めていることを知った。
「いってらっしゃ~い」
拉致される息子を朗らかに見送る声が聞こえる。広人は「いってきます」を言うべきか迷ったが、状況が状況なのでやめておいた。
砂漠だろうが山だろうが関係なく突き進めそうなタイヤを持つ軍用車の中、広人は右と左をいかにも屈強そうな兵士二人でかためられていた。平均男性よりも身体の大きな二人に挟まれてなお、後部座席にはゆったりとしたスペースが確保されている。そういう造りなのだろう。シートも丈夫そうで、なおかつ座り心地もよかった。
後ろを向くと、バスを戦地仕様にしたような大型車が見えた。家に入ってきた人たちは、両脇の二人を除いてすべてあれに乗っている。
「すまないね、突然。びっくりしただろう?」
助手席に座る初老の男性が言った。
「ええ…」
そりゃびっくりしますよ。家に武装した男たちが入り込んでくるのも軍用車に乗るのも、生まれて初めてです。
「すまない」
男性が振り返った。
「君にしたい話は……特別でね。手荒だとは思ったが、ああしてでも場所を移す必要があったのだよ」
「それはどんな話です?」
広人が尋ねるも、男性は答えない。
「ここではまだできない。もう少しだけ、待っててくれ」
そう言って、男性は顔を前方に向けた。その動作は、広人の質問を拒否しているようにも見えた。男性に背中を向けられた広人は、説明してもらうのをあきらめる。
両隣の兵、寡黙そうな二人に話しかける気にもなれず、何もすることのない広人はシートに身を預け、ぶ厚い窓ガラス越しに外の景色を眺めた。
老舗の電気店にバカでかい十字路。信号待ちをする買い物帰りの主婦に、洋服店から出てくる大学生………
さっき克美と別れたばかりの、街の風景が広がっていた。
「…今から、どこに行くんです?」
窓を見たまま、ポツリと言ってみる。意外なことに男性は返事をしてくれた。
「内緒だよ」
ダンディな口髭が楽しげにゆがんだ。
車は街を通り抜け、広人の帰路を逆走してゆく。軍用車は国道を走って土手を通り過ぎ、上り坂へと差し掛かった。ここを過ぎれば大賀高校だ。
そして車は大賀高校の前を通過した。
「こっちは……」
かえでの家がある方向だ。広人はここから先に行ったことがない。今までは知った道だったのでそうでもなかったのだが、広人はだんだんと不安になってきた。あまり遠いと帰りが遅くなるし、なにより帰り道がわからない。
ミラー越しに男性と目が合った。
「安心したまえ、目的地までもうすぐだ。もちろん帰りも送っていこう」
心配事を見透かされる。思ったことがすぐ顔に出てしまう、単純な精神構造がうらめしい。
学校を過ぎてすぐの丁字路を車は右へ曲がり、マンションが立ち並ぶ住宅街を横切った。急に視界から建物の姿が消える。一面に広がっているのは見渡す限りの野原と、そして………山。
「………………」
沈黙。広人は自分の頭をかかえた。
なぜ今まで気がつかなかったのだろう。ヒントどころか、答えの中にいたというのに。軍人が大人数、重装備、軍用車で移動している。さて、どこに行くでしょう?
答えは?決まっている。
曲がりくねった山道を上ったさきで、車が停まった。
両脇の二人にかかえられ、広人は車を降ろされた。バス式軍用車の中から男たちが降りてきて、再び広人を担ぎ上げる。
「それでは、着いてきたまえ」
神輿状態の広人を見上げて男性がつぶやく。無抵抗な広人の姿が、大規模な正門を通って建物内へと消えた。
門には『日本防衛軍事基地千早』と書かれていた。




