非日常への突入2
広人の横に並ぶように克美が、その斜め後ろにかえでが続く。
「…………」
沈黙。三人は無言で足を動かす。広人は元来、女の子と話すのが苦手だし、かえでは日常で声を聞いたことが無いほどの超無口。克美はどうにか話しかけようとするものの、かえでの表情が読めないし、広人にだけ話しかけるわけにもいかないしで、おろおろとしている。
「……克美は猫、好きか?」
「へ?」
重苦しい沈黙を破ったのは、広人の声だった。このままだと克美は、この沈黙まで自分のせいだと考えかねない。
「う、うん。好いとうよ」
戸惑いつつも笑顔を見せる。広人はちらりとかえでの方を向く。克美もつられるように後ろを向いた。
「俺とかえでも、猫、好きなんだ」
かえでが顔を上げる。その視線は俺ではなく克美へと向けられていた。
その視線を要約するとこうだ。「うん」。
その意志は伝わったらしい。克美はかえでに向かって話しかける。
「へ~、どういうとこが好きと?」
かえでは答えるかわりに、広人へと顔を向けた。広人にしかわからない、少しだけ困った表情。
「わかんないけど、好きなんだってさ」
「あはは、猫はかわいかけんね!ヒロくんは猫のどこが好きと?」
かえでの回答を聞き、克美が口に手をあてて笑う。克美は手を下ろすと同時に、くるりとスカートを翻らせた。茶色に輝く二つの眼が広人の顔を覗き込む。
「なんて言うか、あの目が好いんだよな。綺麗で、なんとなく神秘的な……」
何も動物に限ったことではないけどな。
広人が他人のどこを最初に見るのかというと、迷うことなく『眼』だった。まるで心の写し鏡のように正直で、その者の意志によって輝く、宝石。
小さな頃から眼ばかり見続けてきたおかげで、広人は初対面の人間でも、一目見ればその人がどういう性格で、どんなことを考えているかが大体わかるようになっていた。
『目は口ほどにものを言う』とはよく言ったものだ。この特技はかえでとの交友にも大いに役立っている。
「うん、猫って独特な目ぇしとるけんね。ウチはなんといってもあの仕種!無愛想やったり急に甘えてきたり、駐輪場とかで丸まって寝とったりされると、もうたまらんもん!」
言って、ぎゅうっと抱くモーション。克美は自分から積極的に話しかけてくるし、感情もはっきりと表に出す。他人とのコミュニケーションに消極的で、あまり表情を変えないかえでとは真逆の性格だ。
だからこそ、この二人は気が合うかもしれない。と、広人は思った。
かえでだって、ちょっとおとなしいだけの、普通の女の子だ。男の俺より、克美のほうがなにかと心を開きやすいだろう。
この機会にちょっとだけ、自分を表現することに慣れてほしいと思う。小さな花のように儚い。なんとなく放って置けない少女を見て、広人は切に願った。
正門。暖かな日差しが世界を照らす。広人は空を見上げ、目を細めた。大空の向こうで、雲がいつもより早く流れている。
「じゃあ、かえで。また来週」
かえではコクンと頷くと、克美へと視線を向けた。その仕種を見て、克美はひまわりの種を見つけたハムスターのように微笑むと、この灰色の少女へ小さく手を振った。
「またね。かえでちゃん」
頷く。かえでは音も無く背中を向けると、氷の上をすべるように、静かに、ゆっくりと歩き始めた。
「……なんか、かえでちゃんって猫みたいやね」
かえでの背中を見つめながら、克美が言う。そうかもしれないな。と、広人は思った。なかなか人になつかず、音を立てずに移動する。アッシュブロンドの毛を持つ高級猫、といった感じか。
「んん~……もっとこう、可愛いとこが似とるっちゃけど………」
「……可愛いところ?」
克美が歯切れ悪く苦笑する。広人はこれ以上、猫とかえでの共通点が見つからず、克美に向かって疑問の声を投げかけた。
「うん。特定の人にしか懐かん一途さとか………あと、眼じぃっと覗き込むときの表情とか」
広人はかえでの仕種を思い出した。かえでは、確かに可愛い。はっきり言って、クラスでも一二を争う美少女だ。しかし、その『可愛さ』は猫とはどうしても結びつかない。
「………ん…そうか?」
「ふふ。女ん子にはわかると!」
首をひねる広人に向かって、野見山克美は意味深に笑いかけた。さっ、行こ?と天真爛漫な転校生は歩み始める。
「……猫、ねぇ…………」
木々の立ち並ぶ道の先。遠く離れたかえでの後ろ姿を見て、広人が呟く。
(………まあ、かえでが可愛いことに変わりはないか)
広人はぼんやりと、そんなことを考えた。………何恥ずかしいこと考えてんだろ、俺。微笑を浮かべ、吐息とともに頭を振る。
広人はかえでに背を向けると、元気いっぱいに駆けてゆく転校生のあとを追った。
「すまん、待たせたな」
グランド横、サッカー部の部室近く。学年ごとに区分された二段構成の駐輪場を降りた先で、克美に話しかける。
「うん、よかよ。そげん待っとらんけん」
克美が微笑む。広人は昨日、奇跡的に無傷で公園に横たわっていた自転車のかごに鞄を入れると、克美の方向にハンドルを切った。
「よかったら鞄、乗せな」
克美は口に手を当て、声を殺しながら鞄を乗せる。
どうした?と、広人は尋ねた。
「教室でのあわてっぷりを思い出したっちゃん。今のヒロくんとぜんぜん違うっちゃもん、どっちがホントのヒロくんと?」
その言葉で、広人は高校生活始まって以来の失態を思い出した。額にしわを寄せ「う~ん……」と唸る。
「どっちも俺だよ。ただ、普段は冷静さを失わないように、自分を律するようにしている」
騒がしいのはあのバカだけで十分だ。あいつが思いっきり馬鹿やって、俺が冷静にツッコミを入れる。それが子供のころからのそれぞれの立ち位置だったからな。
「ふ~ん……ウチはどっちかというと、思いっきり叫ぶヒロくんのほうが親しみやすくていいかな?クールなヒロくんもかっこよくていいけど、慌てとるヒロくんはかわいいっちゃもん!」
克美の好みがわからない。広人は、親友のように大声で騒ぐ自分を想像して額を押さえた。
「えっ、そう?とっつきやすい感じがしていいと思うっちゃけど……ヒロくん普段は敬語っぽいけん、なんか壁ば感じるっちゃん」
「あぁ…それは」
おそらく、当たっている。あまり親しくない人と話すとき、広人は自分の中にいつも壁があるのを感じていた。敬語うんぬんというよりは、俺の人見知りが原因だろう。
「ふ~ん…ヒロくんがこころ開いてくれるのに、どのくらいかかると?」
「短くて一ヶ月、長くて半年」
「幅広かねー」と言って克美は笑った。
自分でもそう思う。子供のころから人見知りが激しくて、初対面の人に自分から話しかけたことなんてなかった。そのため、二年七組以外には友人と呼べる知り合いすらほとんどいない。考えてみれば、俺のことを親友と呼んでくれるのは、あいつしかいないな。
「男の友情ったいね…ヒロくんはかえでちゃんと安藤さんの他に女友達はおらんと?」
「いないよ。異性と話すのは苦手なんだ」
だから、かえでとはうまくやっていけるんだけど…………かえではおしゃべりする性格じゃないからな。
俺の言葉を聞いて克美はうれしそうに顔をほころばせたかと思うと、急に頬を膨らませ、複雑そうな表情を浮かべた。
「それって、ウチはどうなん?特別と?それとも女ん子として見とらんだけ?」
「克美が、特別」
期待と不安が入り混じった問いに、即答する。
同年代の女の子と一日でここまで打ち解けるなんて、初めてのことだからな。自分でも驚くほどすっと出た言葉に、少し恥ずかしくなってきた。横を見てみると、野見山克美はみるみると顔を赤くさせ、あぅ…と俺よりも恥ずかしそうにうめいていた。
そんな様子を見て、克美のことを少しからかってみたくなる。教室でのお返しだ。広人は克美の顔をまっすぐに見つめ、極力かっこいい顔を作った。
「かわいいよ」
「ひぇうっ!?」
急にそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。やさしい口調でささやくと、克美は聞いたことのないような声を上げ、どうすればいいのかわからない様子で広人の顔を見上げた。
目と目が合う。
恥ずかしいのなら目をそらせばいいのに、そんなこともわからないほど狼狽しているらしい。
耳まで真っ赤にし、焦点の合わない目をした克美は、抱きしめたくなるくらい愛らしかった。
「…っはは、本当、かわいいな。克美は」
あまりの赤面っぷりに思わず噴出す。克美が照れを隠すように「な、なにがおかしいとよっ!!」と騒ぎだした。
女子と話すどころか一緒にいるだけで緊張していたのに、たった一日でこうやってからかうことができまで打ち解けるなんて、今までになかった。
そういった意味で、克美は特別な存在なのかもしれない。
「へー、克美には妹がいるのか」
「うん、ウチよりもスラッとしとって、頭もいいっちゃん!」
克美は言って胸を張る。仲のいい姉妹なんだろうな。ここまで誇らしげに妹を自慢されるとは、克美はシスコンなのかもしれない。
「ヒロくんには兄弟とかおらんと?」
「残念だけど、一人っ子なんだ。本当は弟か妹が欲しかったんだけど」
「うん、ヒロくん面倒見がよさそうやから、いいお兄ちゃんになれるとおもうな。近所の子供とかに好かれるやろ?」
「…それなりに」
あれから二十分ほど経って、二人は大分打ち解けていた。
友達の話、家族の話、好きなものや嫌いなものなどを言い合い、克美の性格や考え方もずいぶんわかってきたし、向こうもそうであろう。
そんな中、広人はふと思い出す。
(そういえば、昨日はこの土手を急いで通り過ぎたっけな…)
空は昨日と変わらぬ快晴だけど、昨日の今日でずいぶんと状況が違うもんだ。
町に入ってすぐ、都心と駅の分かれ道。
「あ…ヒロくん、ここまっすぐったい……」
野見山克美が残念そうに言った。克美はここで電車に乗るのだろう。
「じゃあまた、来週な」
広人は鞄を手渡すと、優しく微笑んだ。
「うん、またね」
神導時広人の背中を見送る。
鞄を持ってくれたし、自分に合わせて歩いてくれた、やさしい男の子。ちょっと甘えるとすぐに赤くなる、かわいい男の子。日本を救えるかもしれない、特別な人材―――
自分のことをただの転校生と信じ、いろいろと気を使ってくれたのに、ウチは、嘘をついてだましとる…………………
克美の良心がチクリと痛んだ。
黒塗りの車が横に停まる。克美は、広人が見えなくなるまで振っていた手を下ろし、その車へと乗り込んだ。




