非日常への突入1
「うぃっす、おつかれ広人」
席に戻ると、ねぎらいの言葉をかけられた。机に突っ伏し、だらしなく手を振るのは俺の腐れ縁。広人はいつものように、体を横に向けた。
「お前も、おつかれ。だいぶ頑張ったみたいだな?」
「おうよ!男子トイレの小便器は、すべてオレが磨いてきたぜ!」
「……そうか」
「えぇっ!?興味なし!?」
わざとそっけなく言ってみると、思ったとおり、親友はわりかしショックを受けたようだ。
いい歳こいていじけたバカは克美のほうに身を乗り出し、無理にテンションをあげて肩肘をついた。
「へ、へんだ…広人なんかどうでもいいもん!のっち!今日はどんな一日だった?楽しかったか?」
「うん!みんな面白い人たちばっかやけん、すっごく楽しかったばい」
克美は振り向くと、心の底からうれしそうに言葉を弾ませた。
「そうか、そりゃあよかった!うちのクラスには変な奴が多いから、毎日退屈しないはずだぜ?」
クラスでもぶっちぎりの変態は親指を立て、自慢にもならないことを言い出した。安藤も俺と同じ意見のようだ、朗らかな笑顔で目の前の男子に突っ込む。
「君がクラスで一番変だと思うけどね」
「何言ってんだ!女のくせに男の雰囲気をまとった安藤や、一年中無口なゆっきーの方がよっぽど変だ」
「いやいや、君よりは普通だと思うよ。少なくとも僕らは男子の下着を調べたりはしていないからね」
確かに、変態と比べれば、この二人のほうがはるかに普通だろう。横を見るとかえでは本を読んでいた。どうやら興味がないようだ。
「ふ、なーにを言ってんだか……いいか?健全な男子というものは、すべからず女に興味があるものなんだ。クラスで誰が一番かわいいか、あの子スタイルいいなぁ、どんなパンツはいてんだろう?と、男なら誰しも考えて当然のことだっ!!」
安藤、かえで、克美の視線が広人に集まる。広人はため息を一つつくと、目の前で手を横に振った。
「っ!?広人、親友のオレを裏切るのか!?」
裏切るも何も、つまらん嘘ですべての男子を変態に仕立て上げるなよ………
下手すると、来週から女子たちの男子を見る目が変わってしまうぞ。
広人は頭を掻いた。
「…まあ、かわいいなとか、スタイルいいなくらいは考えるけど、パンツのために統計まで取るのは、お前くらいのもんだ」
「広人、お前いっつも人間中身が大事だって言ってたじゃねえか」
「服の中身じゃねえよバカかお前」
とは言うものの、広人は親友が本気で言っていないことをわかっていた。これも克美を打ち解けさせるための、単なる話題づくりだ。
克美は笑っていた。大成功といえる。
「ヒロくん、ヒロくんがクラスで一番かわいいと思うのは誰と?」
「へ?え…と」
いきなりの質問に、思わず変な声をあげる。克美の質問は純粋だが、そんなことを教えるのは十六歳の男の子としてすごく恥ずかしい。広人は克美から目をそらし、どうやって話をごまかそうかと必死に考え始めた。
「誰をかわいいと思うかは、個人個人の好みの問題だからな!オレの読みだと、広人が一番かわいいと思っているのは……」
広人は余計なことを言おうとした親友のあごを掴み上げ、小刻みに左右に振った。
「あがががっ!ご、ごめんなさい。もう言いません……」
教室に有馬先生が入ってきた。有馬先生はこの状況を見るなり、
「あらあら、相変わらず仲がいいわね」
にっこりと微笑んだ。帰りのホームルームが始まるので、親友を解放してやる。
「はーい皆さん、一週間お疲れ様でした。今週は二年四組との決闘ドッジや野見山さんの登場など、とてもにぎやかな週になりましたね?」
有馬先生は教壇の上に立つと、胸の前で手をあわせた。パチンとかわいた音のあとに続くのは、ねぎらいの言葉と五日間のダイジェスト。決闘ドッジという単語に、克美が首をひねっていた。あとで説明しておこう。
有馬先生はいつもと変わらぬ、実年齢よりも五歳若く見えると評判のステキな笑顔から一転、ケガ人の筋トレを目撃した看護師のような顔をして、
「ですが、今週起こったのは楽しいことばかりではありません。昨日は学校から数キロ離れた街で、ラピュタ軍の砲撃により建物が19棟破壊されるという事件がありました」
昨日の事件について語り始めた。身体を突き抜ける振動と、黒煙の臭い。あのときの光景を思い出し、広人の心臓がはねあがる。
全身から汗がふきだし、息が思うようにできない。壊された19棟のなかにあの本屋が入っていたなら、自分は今頃、こうして教室に座ってはいなかっただろう。
身体の内側でウゾウゾと、不安に似た感情がうごめいていた。広人は今更ながら緊張するとともに、自分が幸運だったことを思い知った。
「幸い死傷者は出ませんでしたが、非常に危険な出来事です。みなさん、注意して休日を過ごしてください」
担任の言葉がこうも心を落ち着けるものだとは。わかりました、気をつけますと100パーセントの誓いをたてて、広人は無意識のうちにうなずいていた。
「それではホームルームを終わります。起立、」
担任の号令が高らかに響く。教室はイスと床がこすれる音で満たされた。あるものは鞄をかつぎ、またあるものは机に両手をついたまま、一週間の思い出と二日間の別れを惜しんで息を吸う。
「礼!」
「「「おつかれ様でしたっ!!」」」
とたんに騒がしくなる教室内。友達とだべるグループもあれば、早くも教室を飛び出し帰路につく生徒もいる。広人は帰る用意をするため、横に引っ掛けていた鞄を机に乗せた。机の中から筆記用具やノートを取り出し、詰めていると、
「ヒロくん、いっしょ帰らん?」
広人は野見山克美に声をかけられた。
「え、俺の家あっちだけど方向は同じなのか?」
教科書をつめる手を止め、校庭方向を指差す。五時間目サッカーをした校庭の方だ。
「わぁ!方向もいっしょったい。学校出るまでで良かったっちゃけど。そしたら、いっしょ、帰らん?」
克美の顔が輝いた。体を曲げ、前髪の間から広人の顔を見上げる。今日は図書委員の仕事もないし、まあ、いいだろう。
「おっ!初日から一緒に帰んのか?こりゃあのっちに広人とられちまうかもしれないな!」
十六年間聞き親しんだ声が聞こえる。鞄にふで箱と弁当しか入っていないお前、茶化すな。
「今日は金曜だから体操服も入れてますー」
手でおにぎりを作る動きをしながら、足でボックス(ダンスステップの基礎)を踏み始めた。うわっ、むかつくこの野郎。おい、その動きやめろ、踊るな。
「あれ?ヒロくんたちはいっしょに帰りよらんと?」
踊りを完璧に無視した疑問文。野見山克美、やはり只者ではない。
「こんなのと一緒に帰りたくない」
「っおっい!?親友!マブダチ!もう一人のme!冗談でもそんなこと言うのはやめよう!?オレが部活生で広人が帰宅部なだけの話さのっち!!」
ダラダラと汗をかきながら肩を抱いてくる。触るなクズ。広人は隙だらけのわき腹をひじで強めに突いた。
「あははっ!二人とも仲よかね、うらやましかー」
「…うらやましいか?」
時々うざいぞ?ひじ打ちがいいところに入ったのか、隣の男は横っ腹を押さえ、身悶えている。
「うん!やけんウチもヒロくんといっしょ帰って仲良くなろー」
克美は言うと、こぶしを天井に向けて突き出した。なんだかやけに浮き浮きしているな。何でそんなにうれしそうなんだ?
「ヒロくんといっしょに帰れるけん!」
「…やめて」
「うぬぅ、広人、マジでとられそうだ……」
お前も本気で心配するな。
アホの相手はしていられない。広人は振り向くと、雪村かえでに声をかけた。
「帰るか?」
かえではうなずき、立ち上がった。机の横にかかった茶色の鞄を両手で持ち上げる。
「ヒロくん、かえでちゃんとは一緒に帰りよーと?」
克美が興味深そうに広人とかえでを見比べた。広人は体をひねり、かえでを見た。かえでは広人の顔を見上げている。
広人は克美に向き直ると、その疑問に答えた。
「ああ、一年の頃から同じクラスの図書委員でね。帰る方向が違うから正門までだけど、よく一緒に帰ってるよ」
そうやったと?と克美。はたと腕を組み、何かを考え始める。
「う~ん……もしかしたらウチ、邪魔やない?」
「ん?何が?」
「だって、いつも二人で帰りよったっちゃろ?なんか、横から二人ん時間引き裂いたみたいで悪い気がする………」
顔を曇らせ、ばつが悪そうに二人を見る。広人は苦笑すると、うなだれる克美に向かって口をあけた。
「別に。邪魔じゃないさ」
後ろでかえでも頷いていることだろう。それでも克美は不安そうに二人を見つめていた。どうやら克美は人に迷惑をかけるのが嫌いな性格らしい。
「二人で帰るのも三人で帰るのも、楽しいことに変わりないだろ?」
な?と言って振り返る。かえでは克美を見ながら頷いた。克美の顔がぱっと輝く。
「そお、よかった~。まだかえでちゃんの考えとうことがようわからんけん、嫌がっとったらどうしようかと思ったっちゃん」
かえでは横に首を振る。別に嫌がってはいない、ということだろう。現にかえでの目から、嫌悪は微塵も感じられなかった。
「よかった!」
克美は胸の前で両手をあわせる。そして「あれ?」と何かを思いついた。
そのまま横を向き、騒がしいクラスメイトに一言。
「けど、ウチが取る前からヒロくん、かえでちゃんに取られとるっちゃない?」
「ぐふはぁっ!?」
よろめいて心臓を押さえた。『最近自分よりかえでが広人と一緒にいることには気付いていたが、他人からあらためて言われるとショックだ!』といった表情を浮かべる。
「と、取られたわけじゃない、共有しているんだ!そうだよな!ゆっきー?」
かえでが慌てふためく男子を見つめる。かえでの表情を読めないマブダチは、肯定されているのか否定されているのかわからず、リアクションが取れない。ギギギギギッ…と、ぎこちない動きでこちらを見た。仕方がないので通訳してやる。
「『…さあ、』だってさ」
「ハァアートッブレェエーイク!!」
出た。持ちネタ『ハートブレイク』。少なくとも肯定されなかった悲しみに、たまらず魂の叫びを咆哮する。このクラスに来てまだ日の浅い克美は、急に奇声を上げた変質者に驚いた表情を浮かべている。大丈夫だ、噛み付きはしない。かえではというと…そうか、『うるさい人』か。同感だ。
「安心しろよ。別にかえでに取られなんかいないさ」
「ひ、広人………っ!!」
広人の言葉に感極まった様子で涙ぐむ。広人は、振り向きざまに微笑むと、人生最高の友に想いを告げた。
「だって、元からお前のじゃないし」
「くふおうっ!?」
持ちネタその二。『クフ王』。俺とのやりあいでダメージを受けるときは、クセなのか必ずそう叫ぶ。これは本気で傷ついてはいないことを意味しているので、放っておいて問題はないだろう。広人は扉に手をかけた。
「じゃあ、また来週な。怪我するなよ」
「おう!この両手に花が!二人がかわいいからって襲うなよ?」
やはり傷は浅い。瞬時に回復をとげ、いやらしく茶化してきた。
前言撤回、転んで骨折れ。
「ヒロくん……」
克美の消え入りそうな声を聞き、顔を向ける。必要以上の目の潤み。何か仕掛けてくるな……
「ウチ…初めてやけん、優しく…」
「の、な、克美っ!?何言ってんのーーー!!」
頬を染め、うぶな視線で大胆な想像をする美少女がそこにいた。少女の持つ純情さ、可憐さにエロというギャップを持たせる高等テクだ。さすがにこれは予期していなかった。完全にふいを突かれ、広人は珍しく大声を出す。
「わっ!?ごめん、びっくりさせたかいな?」
克美がビクッと体をすくませ謝罪する。克美はおろか、十六年来の腐れ縁以外、残っていたクラスメイト全員が驚いた表情を浮かべてこちらを見ていた。かえでも少しだけ目を見開いている。かえでのこんなわかりやすい表情は初めて見た。
「はぁ…はぁ…いや、大丈夫。こっちこそ急に大声出してごめん」
大きく息を吸って、吐いた。広人の目に落ち着つきが戻る。
「じゃあ今度こそ、またな」
広人はもう一度、声を殺して笑う友人に別れを告げると、野見山克美、雪村かえでと共に廊下へと出て行った。ガラガラと音を立て、ステンレスのドアがスライドする。
「ふう……」
久々に失態を犯してしまった。高校生になってからは冷静な知的キャラで通っていたのに、来週からクラスでの立ち位置が変わるかもしれない…………
しかしまあ、今更どうすることもできない。成るようになるだろう。
「じゃあ、行こうか」
広人は気を取り直し、歩み始めた。




