記憶の断片(下)
「……彩霞律、その方はキサマの妹か?」
「こいつの名前は彩霞祈梨。訳あって俺が育てることになった。こいつと俺の間に血の繋がりはない」
「ええそうです。わたしは律の『ほごしゃ』ですから」
フェリアの質問には、そう答えておく。あまり込み入った話をする気はない。これは、俺と祈梨の問題だ。
それにしても、祈梨の発言は許容できない。罰として、祈梨の頬をむーんと引っ張っておくことにする。
「ほう……、なにやら込み入った事情がありそうだが……、それを聞くのは些か無粋が過ぎる。嬢、私の名前はフェリア・ロータスだ。覚えておいてくれ」
「ほへ? なるほど、暴れん坊の銀髪さんはフェリアですね。しっかりと胸にきざみつけておきます」
(こいつ、よりにもよって昨夜フェリアが言った言葉を……)
「はははッ……、確かにそれで良い。よろしく頼むぞ、嬢」
しかし、フェリアに気分を害した様子は見受けられない。いや、むしろその言動を好ましく受け取っているようだ。
「微笑ましいものだな。……しかし、彩霞律よ、キサマはどうして、このような幼子を連れてわざわざこの国へとやって来た? キサマほどの腕前なら、倭国で『侍』になる道を選んでも良さそうなものだが……?」
フェリアは純粋に疑問に思っただけなんだろう。だが、その言葉は古傷を抉るかのように、俺の胸へと突き刺さる。
フェリアが口にした『侍』という称号、それは倭国における最強の武人の証だ。
このララーナ国においての『騎士』と同等以上の意味を持つ、仁義体を兼ね備えた武人の呼称となる。
(そう言えば、昨夜もフェリアは『侍』のことを口にしていたな……)
どこで仕入れた知識なのかは知らないが、あまり突っ込まれたくはない話だ。
『律、私を恨みますか?』
『師匠……、なんで、なんで『侍』は加勢しなかったんだ? あんた達がもっと早く来てくれたら……』
『女王の判断です。逆らう訳にはいきません。それに、その判断のおかげで、この国の被害は最小限に抑えることが出来ました』
『……ふざけるなよ、人の命ひとつも守れないで、……何が『侍』だ!』
『……彼女は、その娘を守る為に?』
『そうだ。だから、これからは俺がその娘を守り抜く。それが姉さんの名残なら、俺は……』
「……律? こわい顔してますよ? お腹でもいたいんですか?」
祈梨の声が、過去から俺を引き戻す。
「リツ、大丈夫? すごい汗だよ」
ニーアまでもが、心配そうに顔を覗き込んでいる。どうやら、思った以上に酷い顔をしているようだ。
「……大丈夫だよ。ちょっと気分が悪くなっただけだ」
そう言いながら、備え付けの布で額の汗を拭う。
(どれだけ時間が経とうと、俺はあの出来事を忘れない……)
「彩霞律、……ひょっとして、私は何か悪いことでも聞いてしまったのだろうか? あまり個人の事情に深入りするつもりはなかったのだが……」
フェリアまでもがバツの悪そうな顔をしている。
大丈夫、フェリアに罪はない。悪いのは、過去に大切なことを成し得なかった俺の弱さだ。
「阿呆、気にし過ぎだ。俺はこの国で『騎士』になる。そこに『侍』がどうこうは関係ないよ」
フェリアは今ひとつ納得がいかない顔をしているが、これ以上は聞くべきじゃないと判断したんだろう。それ以上、口を開くことは無かった。
「この野菜はフェリアにあげます」
「好き嫌いはあまり関心せんな。……食べやすいように少し小さく切ってやろう」
注文した料理が一通り揃った後、何故か祈梨はフェリアの横へと移動していた。
その光景を見る限り、二人は本物の家族に見えなくもない。
(口に出したら、それこそ剣を突きつけられそうな話だ……)
「……フェリアって思ったよりも面倒見が良いんだね。まるでお母さんみたいだよ」
しかし、俺の気遣いも虚しく、ニーアは馬鹿正直に思ったことを口にしてしまう。
「ほう……、ニーア・カロライン。それは、私が『年齢以上に老けているように見える』と受け取っても構わないんだな?」
「えっ!? いやだなぁー、……そんな悪意のある捉え方しないでよ。僕は母性的というかなんというか、そういう意味で言っただけで……」
「承知した。彩霞律、これはキサマの差し金と考えても……?」
「お前は、どうあっても俺を悪者にしたいみたいだな!?」
今の会話で俺に矛先が向く理由が思いつかない。いくら俺のことを目の敵にしているとはいえ、それは無茶苦茶だ。
「……ねぇ、リッツとフェリアって仲良いよね?」
「リナもそう思う? 僕も意外とお似合いなのかなって……」
皿の回収に来たはずのリナが、何やらニーアと話をしている。その顔を見る限り、録でもない話なのは間違いなさそうだ。
「あらあら、ずいぶん賑やかね。私も混ぜてもらって構わないかしら?」
しかも、そこにシェリまでもが加わろうとしている。
辺りを見回してみると、確かに、客足は落ち着いているようだ。これなら、一休憩入れても支障は出ないだろう。
「あら、よく見れば貴女は……」
「フェリア・ロータスだ。すまない、昨夜は迷惑をかけた」
「……気にしないで、フェリアさん。こうしてもう一度店に足を運んでくれただけで十分だわ。それに元はといえば、うちの用心棒が招いた争いごとですし……」
フェリアの謝罪を前に、シェリも困ったような表情を浮かべている。そういえば、事の発端はあの用心棒がフェリアにちょっかいをかけたことだ。俺も臨時としてこの店の用心棒をする以上、少し話を聞いておいたほうが良いだろう。
「シェリ……、不躾な質問だが、どうしてあんな傭兵崩れを? 用心棒なら、もっとまともな奴もいただろうに……」
「姉さんは甘すぎるのよ。困っていると見れば、よく分からない人間で採用しちゃうんだから……」
「だってぇ……」
「なるほど、大体の事情は理解出来た。どうやら、シェリはとんだお人好しのようだな。それならなおのこと、やっぱり用心棒はいた方が良い」
「ふむ、横入りするようで悪いのだが……、シェリ殿、もしよろしければ、私がこの店の用心棒を勤めても構わないのだが……」
「あらあら、ありがとうございます。フェリアさんなら安心してお任せ出来そう。……でも、大丈夫ですよ? もうすでに新しい人は雇ってますから……」
「なるほど、そういうことなら出過ぎた真似をした。それで、その用心棒というのは……」
「ええ、ここにいるリツさんです」
シェリの言葉を聞いたとたん、フェリアが射殺すかのような視線を送ってくる。その顔には「またしてもキサマか、彩霞律」と感情が明確に浮かび上がっていた。
そのことに気付いたのは俺だけじゃない。ニーアもリナも、それを見ながら笑い声を噛み殺している。
(他人事だと思いやがって……。お前ら、後で覚えてろよ……?)