記憶の断片(上)
訓練の終わりが告げられようと、訓練生はいまだに広場から離れない。
各々が自分の実力と対戦した相手との力量を推し量っている。
「お疲れさま、リツ。凄い訓練だったね。まさか、いきなり模擬戦をしろだなんて……、やっぱりライアス中将は凄い……!?」
そんな中、息を切らせたニーアが歩み寄ってくる。
しかし、ニーアはすぐさまその足を止め、その顔を驚きの色へと変貌させていく。
「……どうして、この人がここに?」
原因は言わずもがな、ニーアも昨夜の一件に立ち会っていた一人だ。フェリアの姿を目にして、そう思ってしまうのも不思議じゃない。
「うん? ……貴殿は私のことを知っているのか?」
「いやあ、知ってるっていうか……、昨夜、律と喧嘩してた人だよね?」
ニーアの言葉に、フェリアは得心がいったと首を揺らす。
そういえば、この二人には直接の接点は無かった。フェリアが覚えていなかったのも無理はない。
「なるほど、昨夜の一件を見ていたのか……。そうか、いまさらではあるが、昨夜の件に関しては謝罪しておく、少し熱くなってしまったようだ」
「いやいや! ちょっと、別に頭なんて下げてもらわなくても……」
「ニーア、こいつが謝りたいって言ってるんだ。素直に頭下げさせとけよ?」
「……調子に乗るなよ? キサマに対して下げる頭はないぞ、彩霞律!」
ニーアと俺への対応差が酷い。
何がそこまで気に食わないのか、フェリアはまたしても俺に向けて剣を突きつけてくる。
「あははっ……、何だか知らない間に仲良くなったのかな」
ニーアは俺たちを見ながら笑い声をあげるが、冗談でもそんな事は言わないで欲しい。現に、フェリアは俺のことを刺すような視線を向けてきている。
「それはそうと、何だか大変な目に合ってたね? 何でいきなりアルゴ少将はリツに……」
「ああ、そのことなら、彩霞律がアルゴ少将を挑発するような真似をしたからだ。……あれだけの剣気を放てば、それは少将も黙ってはいられなかったんだろう。まったく、馬鹿も休み休みするべきだ」
悩ましげな顔をするニーアに、何故か、フェリアが俺の代わりに答えを言い放つ。しかも、その顔には呆れの色がありありと浮かび上がっていた。
「おまえ、物には言い方てものがあるだろ? それは俺にも、あのオッサンのことを、噂のライアス中将と間違えたって落ち度はあるが……」
「いやいや、リツ!? 例えあれがライアス中将だったからって、そんなことしたら駄目だよ!?」
取り繕うつもりで言ったはずだったんだが、それさえもニーアにとっては許せる発言じゃなかったらしい。ニーアは子供を叱るかのように、俺に向けて説教をし始める。
「アルゴ少将にだって、異名はたくさんあるんだ。『雷の騎士』『鬼のアルゴ』……覚えているだけでも、物騒なものばかりなんだ。そんな人を敵に回したら、命がいくつあっても……」
「……貴殿は何やら思い違いをしているようだな。見た感じ、彩霞律は、あのアルゴ少将と喧嘩する気満々だったようだが……?」
またしも横からフェリアが余計なことを口にし、ニーアが閉口してしまう。
俺は非難の目をフェリアへと向けるが、この女はそれを素知らぬ顔で受け流してしまう。
(こいつ、いったい俺に何の恨みが……)
「……はぁ、リツはまだこの国に来て間もないから仕方がないけど、少しは自重してくれると助かるよ……」
「……悪い、ニーア、どうやら心配かけたみたいだな」
疲れた顔をするニーアに、俺は素直に頭を下げる。
どう考えても、今回は俺に非がある。ましてや、本気で俺の身を案じてくれているニーアには、感謝の念が絶えない。
「いいよ、気にしないで。……じゃあ、そろそろイノリちゃんを迎えに行こう? カモミールで預かってもらってるんだよね?」
「ああ、そうだよ。どうせ昼飯もカモミールで食べるつもりだし、……ニーアも一緒に行くだろ?」
俺の言葉にニーアも頷き、広場を後にしようと歩き出す。
「……ふむ、カモミールというのは昨夜のレストランの事だな。丁度いい、私も同行させてもらおう」
しかし、その足は三歩も進むことなく、その場に縫い止められてしまう。
(いやいや、まさかあの女がそんなことを言うはずが……。冗談だろ?)
俺が恐る恐る振り返ると、やはりそこにはフェリアの姿しかない。
「あの店の店主には昨日の侘びを入れなくてはならない。お前たちがあの店に向かうというのであれば、丁度良い機会だ」
「そっか、なるほど。義理堅い人なんだね。それじゃあ、あらためまして、僕の名前はニーア・カロライン。よろしくお願いするよ」
「私の名前は知っての通り、フェリア・ロータスだ。こちらこそよろしく頼むぞ、ニーア・カロライン」
俺としては、是非ともお断りしたい所存だったんだが、すでにニーアはフェリアと意気投合してしまっている。こうなったらもう、断るのは難しい。俺には、黙って後を着いていくしか選択肢が残されていなかった。
「いーらっさいませー! ようこそ、かもみーるへー!!」
カモミールの入口を潜ったとたん、元気の良い声に迎え入れられる。
(……手伝いをしろとは言ったが、まさかこんな役割を任されているなんて……)
目の前にいるのは、間違いなく祈梨だ。ニコニコと両手を広げ、給仕もどきの割烹着を着込んでいる。
「おっ!? なんだ、律ですか。もう終わったのですか? おつとめごくろうさまです」
相変わず言葉遣いがおかしい祈梨を適当に押しのけ、リナを探すことにする。
(元凶はあいつに違いない……)
「あれれ、リッツじゃん? もう終わったの? 早かったねー……って昨日の美人さんまで!?」
俺が探すまでもなく、リナは店の奥から姿を現し、いきなり驚き声をあげ始めた。
(……おまえ、いくら何でも、それは客に対して失礼なんじゃないか?)
「昨日は世話をかけた。今日はその謝罪の意味も兼ねて食事に赴いたのだが、……迷惑だっただろうか……?」
「いえいえ、そんな……! ありがとう御座います。それでは、お席に案内させて頂きますね」
リナは外面を整えつつも、俺に肘打ちをするのは忘れない。
「……ちょっと、どうしてあの人と一緒にいるのよ。詳しく聞かせなさいよ」
説明するのも面倒くさい。それ以前に、俺にはおまえに聞きたいことがある。
「おまえ、祈梨のあの格好はなんだ?」
「そんなことはどうでもいいのよ! リッツは私の質問に答えなさい!」
しかし、リナは俺の質問に取り合うことなく、ガシガシと肘打ちを連打してくる。
「……あのー、そろそろ席に座ってもいいのかな?」
見かねたニーアが助け舟を出してくれたおかげで、ようやく俺たちは席へと案内される。もちろん、さっきのやり取りは棚上げ状態だ。
「それではお客さま、ご注文が決まりましたらお呼びください。……フンッ!」
「ぐあっ……!?、リナ、おまえ俺の足を思いっきり……」
怒り肩で去っていたリナに恨みがましい目を向けていると、膝の上にちょこんと祈梨が乗ってくる。
「さあ、律。なにを食べますか? わたしは朝に食べた汁物をいただこうと思います」
祈梨がこんな事をしてくるなんて珍しい。
(あまり人前でこういった行動に出ることは無かったんだがな……)
俺が怪訝な表情を浮かべていると、隣に座ったニーナが耳打ちしてくる。
「リツ、きっとイノリちゃんは寂しかったんだよ。考えてもみてよ、短い時間とはいえ、異国の地でいきなり保護者と離れることになったんだから」
なるほど、自分の至らなさを痛感する。仮とはいえ、これじゃあ確かに保護者失格だ。
俺が謝罪の意味を込めて祈梨の頭を撫で付けると「にゃははっ」っとくすぐったそうに笑い声をあげる。
(もっと、精進しないとな……)