お食事処カモミールへ(下)
「いい加減にしろ! この店では、ずいぶんと程度の低い用心棒を雇っているようだな。料理の味は上々なのに、これでは料理長も救われない」
揉めているの二人。片方は今しがた声を荒げた一人の女性客、もうひとりは見るからに傭兵然とした姿の男だ。
「おうおう、ずいぶんとお高く《・・・》とまってくれるじゃねぇか。いくら美人だからって、そいつはいただけねえなあ……」
「口を開くな。私は自分を安売りするつもりもなければ、貴様如きに釣り合うとも考えてはない。……とっとと失せろ」
女の言葉に男の顔色がみるみる赤らんでいく。なかなか強気な発言をする女だ。それに今もなお、その女は自分の姿勢を崩さず、椅子に座ったまま、髪をかきあげている。
聞こえてきた内容からして、この店の用心棒があの女に何やらちょっかいをかけたみたいだが、あの様子だと玉砕もやむを得ない。容姿こそ優れど、あの女は気位が高すぎる。翡翠に輝く瞳は拒絶をはらみ、肩口まで伸ばした銀髪は刃物にすら見える。
(いくら綺麗どころでも、あの手の人間とは関わり合いになりたくないな……)
「あっちゃあー……、すいませんお客様。すぐに止めてきますね?」
そう言いながら、リナは問題の机へと向かおうと踵をかえす。しかし、それよりも早く、もうひとりの女性がその机へと駆け寄っていた。
その女性は二人の間に入り、用心棒と二、三の問答を交わすと、銀髪の女性客に頭を下げている。どうやら、この店の店員で間違いはなさそうだ。おおかた騒ぎを聞きつけ、二人の仲裁に入ったのだろう。
しかし、次の瞬間、用心棒はそのやり取りに納得がいかなかったのか、その店員の女性を思い切り突き飛ばしてしまう。
――ちっ、面倒なことを……!
俺はすぐさま、その場から跳ぶように駆ける。
常人の動きでは成し得ない速度も、俺が学んできた『雅流一仭』という流派なら、…………
「っと、大丈夫か……?」
「……え!?」
この程度は簡単にこなすことが可能になる。
抱えた女性は呆気にとられた顔をしているが、何も大したことをしたわけじゃない。
俺はただ、突き飛ばされたあんたの身体を支えに走っただけだ。
「……テメー、いつの間に現れやがった!? 見たところ東洋人のようだが、……なんだ? その挑発的な目は……?」
用心棒殿は、俺の行動が気に食わなかったらしい。
しかも、どうやら相当酔いが回ってるらしいな。目の焦点が全然あっていない。
(さて、どうしたものか……。こんなことで腰のものを抜くのもつまらない……)
下手に騒ぎを大きくすれば、店側にも迷惑がかかる。それに、この国の法律に疎い俺では、何をどこまでして良いのかも判断が出来ない。俺は両手に抱えた女性を地面に下ろしながら、頭を悩ませいていた。
しかし、そんなことで悩む必要なんてどこにもなかった。それは、……
「キサマ、その髪、その格好からして倭国の者に間違いないな」
俺の首筋に、そっと、剣が添えられたからだ。
しかも、その剣を持っているのは、先ほど用心棒に絡まれていた女の方ときている。
(どうして、こんなことに……!?)
若干の混乱状態に陥いっている俺を尻目に、目の前で剣を抜かれた事に恐怖を覚えたのか、用心棒の男は我先にと店の外へ逃げ出してしまう。
(やれやれ、あいつ……、あれでよく用心棒だなんて名乗れたな……)
「質問に答えろ! キサマは、倭国の『侍』か?」
しかし、女にそれを気にした様子はない。どうやら、この女がご執心なのは、俺だけのようだ。
何が何だかよく分からない状態だが、……首筋に刃をあてられ黙っていられるほど、俺も寛容な人間じゃない。
「……なあ、もしも、あんたがこの剣で俺の首を跳ねるつもりだったなら、少なくとも初動でそうするべきだったとは思わないか?」
「なに……!?」
俺は首元に置かれた剣と逆方向に腰を捻り、女の首筋めがけて手刀を放つ。
女の目には俺の姿が一瞬で消え去ったかのように見えただろう、刹那の出来事に反応もできていない。
「……これが、倭国の『居合』というものか……」
女は首元で寸止めされた俺の手を見ながらそう呟く。
先に仕掛けてきたのはそっちの方だ。寸止めしただけでもありがたく思ってほしい。
しかし、少し派手にやり過ぎた。突然の出来事に、店内の客が静まり返ってしまっている。
「お客さま、申し訳ありませんが、店内での揉め事はお控え頂きたいのですが……」
その静寂を突き破るかのように、俺たちの方へとひとりの女性が声をかけてくる。この女性は、――さっき俺が助けた女性だ。この混乱の最中にいながらも、その女性は笑みを絶やしていない。さっきの言葉も、俺たちに対して文句を言っているわけじゃなく、やんわりと窘めているようにも聞こえた。
俺に剣を突きつけてきた銀髪の女も、その女性の態度に毒気を抜けれたのか、颯爽と背を向け、この場を立ち去ろうと試みる。
「……フェリア・ロータスだ。キサマ、名は何と言う?」
「彩霞律……」
「そうか、……その名は、刻みつけておく」
去り際にそんな言葉を残すあたり、やはり相当気位は高そうだ。
「リツ、大丈夫!? いきなり飛び出したから、びっくりしたよ」
「律、お食事中に席を立つのはおぎょうぎがわるいと思います」
騒ぎがひと段落したのを確認した後、ニーアが祈梨を連れて、真っ先に俺の元へと駆け寄ってくる。
「ああ、怪我のひとつもしてない。大丈夫だよ。それと、祈梨はちょっと黙ってろ」
そもそも、首元に添えられた刃に殺意はこもっていなかった。
恐らく、あの女も元から首をはねるつもりはなかったんだろう。
(しかし、見た感じ、ずいぶん倭国について固執しているように見えたな……)
どうにも厄介な奴に目を付けられたような気はするが、いまはこれ以上考えても仕方がない。とりあえず、食事の席へと戻るとしよう。
「お客様、危ないところを助けて頂き、本当にありがとう御座います」
そんな俺の前に立ち塞がったのは、さきほど俺がお節介を焼いた女の人だった。
その女性は俺の目の前で、深々と頭を下げている。
(やれやれ、そこまで気を遣わせる気はなかったんだがな……)
「別に気にしなくていい。……あんたこそ怪我は無かったか?」
「はい、おかげさまで。このとおり、ピンピンしています」
「そうか、それなら良かった。……悪かったな、派手に立ち回り過ぎた」
「いいえ、あの場はああしなければ納まりがつかなかったでしょうし、何より、あなたは私を助けてくれました。それだけでも十分感謝に値しますよ」
正直、そこまで感謝されるいわれはないんだが、ここまで言ってくれている以上、それを無下にするのも忍びない。ここは、ありがたくその言葉を頂戴しておこう。
「ちょーっと、姉さん、大丈夫だった? 怪我はない? あんのごろつき傭兵、今度見かけたらただじゃ済まさないんだから!」
「あらあら、リナったらはしたないわ。大丈夫、このとおり私は平気よ。それより、こちらのお客様に……」
「リッツ、姉さんを助けてくれてありがとうね。本っ当に感謝するよ」
「あら、リナのお知り合いだったの?それならもっと早く言ってくれれば……」
リナは感極まった様子で俺の手を包み込み、目の前の女性はといえば、やんわりとした笑顔を向けてきている。いまの会話を要約するかぎり、この二人は……
「お客様、ご挨拶が遅れました。私の名前はシェリ・グレイパス。この店のオーナー兼シェフを担当しております。どうやら、妹のリナがお世話になっているようで……」
やっぱり姉妹関係にあたるってことで間違いないようだ。
しかし、シェリは大きな勘違いをしている。そこだけは訂正しておいたほうがいいだろう。
「シェリ、誤解しているみたいだが、俺とリナはついさっき会ったばかりだ。知り合いってほどの仲でもない」
「リッツひっど! そんなこと言わずにもっとフランクにいこうよ。ねっ、ニーアンもイノリたんもそう思うでしょ?」
「いや、僕に振られても……」
「わたしはかまいます。ふらんくのいみがわかりませんし、リナはアホっぽいです」
懇願するリナに、ニーアも困った顔を浮かべている。……祈梨にいたっては小首を傾げ、バッサリとリナのことを切り捨てている。
「ええっと……、そちらのお二人は……?」
「……ああ、悪いな。二人とも俺の連れなんだ」
困惑した様子のシェリに、俺は二人のことを紹介する。
「……なるほど、それでは皆様、まだ食事を摂られていないんですね。それなら、先ほどのお礼もかねて、僭越ながら腕を振るわせていただきます」
シェリは妙案を思いついたとばかりに顔を輝かせ、祈梨の頭を優しく撫で付けはじめる。
いや、だからさっきのことは気にしなくてもいいんだが……
「ふわぁぁ……、シェリはリナと違って『良い奥さん』になれますね」
「あら、それは光栄ですね。イノリちゃんは、とっても『良い子』です」
「ちょーっと、イノリたん。姉さんへの急速な懐きぐあいにお姉さん嫉妬しちゃう!」
祈梨を囲んで姦しく笑うグレイパス姉妹を見ていると、何故だか自然と顔がほころんでしまう。
「リツ、どうしたの? なんだか嬉しそうだね」
「……気のせいだよ」
(まあ、わるい気分じゃないけどな……)