紛うことなく密やかに
ヴィンセントに先導されてやって来たのは、城内のとある施設の中だった。
扉もなく、ゆうに百人程は収容することが出来るであろう開放的なその空間の中には、女神を象った彫像が起立してある。
まさか、城内にもこんな場所があるなんてな。
よっぽど、この国にとって信仰というものが大切に扱われているのかが良く分かる。
ここは礼拝堂だ。
見渡す限り、今は俺たち以外誰もいない。
「女神像がそんなに珍しいか?」
そう言って笑うヴィンセントの顔はあまりにも無邪気で、まるで先の出来事など無かったかの様に感じてしまう。
本当に掴めない男だ。
飄々としているくせに抜け目がない。
「そんな事はどうでもいい。説明はして貰えるんだろうな」
だからこそ搦手は無しだ。
俺は真っ向からヴィンセントを見据え、そう口にする。
しかし、、、
「説明。説明ねぇ。あんまり小難しい話は好みじゃないんだが。・・・アルゴ、お前に任せた」
「ああ!? ふざけんな、テメーがやらかした寸劇くらい、テメーで説明しやがれ」
「――アルゴ・クライン少将。これは近衛騎士である俺からの命令だ。従いたまえ」
「ちょいと上に上り詰めたからって、調子こいてっとぶっ飛ばすぞコラ!」
「ああ。それも面白そうだな。お前とも長い間、剣を交わした覚えがない。これを機に決着を付けてみるもの悪くはないな」
「上等だ、この野郎。こちとら今でも最前線で体張ってんだ。泣きを見るのはテメーの方だぜ」
当のヴィンセントはというと、俺の質問など何処吹く風で、アルゴと共に子供じみた喧嘩を繰り広げる始末だ。
どうやら見た感じでは旧知の仲のようだが、それこそ今はどうでも良い。
こいつ等、二人とも叩き斬ってやろうか。
俺が頭の中でそんな物騒な事まで考え出していた時、冷静沈着を絵に描いた様な男が、ようやく口を開く。
「ヴィンセント、アルゴ。それぐらいにしておきなさい。今は貴方たち二人が主役ではないはずです」
二人はその言葉を耳にした瞬間、一瞬で硬直し、まったく同時にライアスの方へと視線を移す。
よく見ると二人とも小刻みに震えている様な気がするのは気のせいか?
直属の部下であるアルゴはともかく、なぜ、近衛騎士のヴィンセントまでそこまで怯えることがある。
考えれば考えるほど理解不能な事が増えていく。
そんな俺の心境を汲んでくれたのかどうかは知らないが、ライアスの視線が、ようやく俺の方に向けられる。
「彩霞くん。色々と聞きたい事があるのは理解できますが、これより先は少々込み入った話になります。それこそ、この国の騎士制度という基盤そのものを揺るがすほどに」
ライアスはそこで言葉を止め、俺を試す様に視線を投げかけてくる。
また、回りくどい言い方を。
これ以上この場で話を聞くのなら、それ相応の厄介事も背負う必要がある。だからこそ、俺にその覚悟があるのかどうかを聞きたいって魂胆だろ?
まったく、あんたが絡むと大抵ロクなことが起きない。
とはいえ、ここで大人しくこの場を去るのも何かが違う気がする。
はぁ、、、やむ無しか。
「いまさら後戻りも出来そうにもないしな」
諦め半分で俺がそう口にすると、視界の端で、ヴィンセントが何やらニヤついているのが確認できる。
何がそんなに嬉しいのか。俺にはまったく理解が出来ない。
まあいい、これ以上の脱線はごめんだ。さっさと話を進めよう。
「それで、何から説明してくれるんだ?」
「相変わらず理解が早くて助かります。ではまず、、、」
「ちょいと待ってください旦那。真面目な話をする前に、そこの小僧には、俺個人として言っておきたい事があるんですわ」
せっかくライアスが仕切り直そうとしたところを、途中でアルゴが遮る。
しかも、その顔つきは先程までとは打って変わって精悍そのもの。
どうやら、ただ事では無い様だな。
何だ? そこまで真面目な顔しやがって。
そんな甘い考えを頭の中で巡らせていたその瞬間、左の頬に強い衝撃が伸しかかる。
血の味が一気に口の中に広がり、身体全体が宙に浮く。
――ああ。殴られたのか。
そう気付いた時には、俺の身体はまともに地面に打ちつけられてた。
不意打ちとはいえ、受身こそまともに取れたが、脇腹の傷が疼き、すぐには立ち上がれそうもない。
「よくも一騎打ちに水を差してくれたもんだ。お前さんは俺の騎士としての誇りに泥を塗った。そのケジメは、ちゃんと付けて貰わねえとな」
俺を見下ろしながらそう言ってくるアルゴの顔には、どうしようもない程の苦悩と、やるせない程の怒りが映し出されていた。
何故、そんな顔を?
だが、俺が疑問を口にするよりも先に、その場でアルゴは膝をつき、地面に頭を擦り付けだしてしまう。
「いまの一発は騎士として、お前さんの上官としてのケジメだ。・・・不甲斐ねぇ。俺がクロウとの一騎打ちに敗れてさえいなけりゃあ、お前さんをこんな事に巻き込まずに済んだ」
なんとか上体を起こした俺の目の前には、ただただ頭を下げ続けるアルゴの姿が映るのみ。
他の二人も、一切口を挟んでくる様子が無い。
「いくらなんでもそれは拙い。上官が部下に頭を下げる道理なんて、この世界に在りはしない。それは、あんただって十分承知のはずだ」
「あたりめぇだ。そんな事は百も承知している。だが、ここで下げる頭もなけりゃあ、俺は戦士として、人間として失格だ。帰ってカミさんや娘に合わせる顔がねえ」
俺の言葉にも、アルゴは顔を上げる素振りすら見せない。
ただひたすらと、地面に頭を擦り続けるばかり。
「あれは、、、あの時の俺の行動は、俺が自分の信念を貫き通そうとしたまでのことだ。オッサンに頭を下げられる謂れは無い」
「たとえお前さんがそうであろうとも、これは俺なりの礼儀だ。黙って受け取ってくれや」
「だからいい加減に、、、」
「そこまでだ」
どうにもなりそうにない俺達のやり取りに終止符を打ったのは、それまで静観を決め込んでいたヴィンセントだった。
ヴィンセントは両手を組んだ状態で、一歩一歩、俺の方へと近付いてくる。
「彩霞律。いや、ここは親しみを込めて律と呼ばせてもらおうか。律、お前はこの国の騎士道についてどう思っている?」
あまりにも唐突すぎる質問に、すぐさま言葉を返す事が出来ない。
それを知ってか知らずか。そもそも答えなんて求めていなかったのか。目の前まで歩み寄ってきた男は続けて言葉を口にする。
「オレはね。騎士道っていうのは美しくて、精悍で、尊いものだと思っている。でも、それは一種の美学だとも思える。歴史の上では美談として語られる事が多いが、その為に散った命も少なくはない。その為に、守れなかった命もね」
ズキっと胸の奥に痛みが走り抜ける。
「騎士道を蔑ろにするつもりはない。その道を選び、理想を抱いたのも、紛れも無くオレ自身だ。そして今、オレは近衛という立場まで上り詰めた。それこそ、そこにいる二人にも多くの力を貸してもらった結果だ」
その言葉を受けて視線を移すも、ライアスは両の瞳を閉じたまま、ヴィンセントの言葉に耳を傾けている。
「だが、現実はやはり甘くなかった。いや、むしろ上に上り詰めたからこそ、目の前の守るべき人々を守り抜く事が出来ない様になってしまった」
そう言いながら強く拳を握り締める様は、いつかどこかの記憶を思い出させる。
「オレはこの国の人々を守りたいと考えている。それは今でも褪せる事のないオレの矜持だ。その為には、純粋にオレの意思に通ずる仲間が必要不可欠となる」
ここまでは分かって貰えたかなと嘯くヴィンセントと、俺の視線が正面から重なる。
「律。その理想を叶えるために、オレはお前が欲しい」