お食事処カモミールへ(上)
食事を摂るために寮を出た俺たちは、揃ってその光景に見蕩れていた。時間帯も相まり、街は夕暮れに染まりきっている。この景色だけを見れば、この国が戦争をしているとはとても思えない。
「戦地になっているのは、この街からもっと離れた場所らしいね」
ニーアが感慨深く街並みを眺めながら、現在の状況を説明してくれる。
どうやら両国間での戦争において、『市街戦』というものはあまり行われていないらしい。
その意味はだいたい理解ができる。
いずれ自分の領土になるだろう土地を、わざわざ自らの手で破壊する必要はない。
可能な限り綺麗なまま手に入れ、後は残った住民から支持を得る方がよっぽど効率的だ。
「それにしても、……傭兵の姿が目立つな」
この国が積極的に傭兵を募集しているというのは聞いていたが、さすがにここまでの数は想定していなかった。さっきから数歩歩くたびに、武装した傭兵連中とすれ違っている。それに、ここまで傭兵連中を囲いながら、どうしてこいつ等は戦地ではなく市街にとどまっている?
「うーん、これは僕も道中で聞いた話なんだけどね。どうやら、ここにいる傭兵たちは『守備』の名目を大々的に掲げているらしいんだ」
「守備? それは衛兵の役目だろ?」
傭兵の役割なんてのは、戦地で敵の首をあげることだ。
とてもじゃないが、国防に関わる仕事を任させられるような連中じゃない。
「そうなんだけどね。優秀な衛兵をどんどん戦地送りにしてたら、街に滞在する兵士が足りなくなっちゃったみたいなんだ。傭兵たちはそこに目をつけて、うまい具合にこの国に取り入った。……なんとも情けない話だよね」
頬をかきながら苦笑いを浮かべるニーアからは、この国の一員としての恥ずかしさがにじみ出ている。目先の利益を優先したがために失敗することなんて往々にしてあることだ。ましてやそれが戦時ともなれば、そんなことは掃いて捨てるほどあるだろうに。
「なるほど。それで、……あんなゴロツキ紛いの連中がいるわけか」
「あははっ、……確かに。僕もついさっき絡まれたばかりだしね……」
守備名目で居座る連中が、治安を乱すようじゃ呆れてものも言えない。
想像していたよりも、この国は迷走しているのかもしれないな。
「そういえば、リツ。あの時、助けてくれた人のことなんだけど……」
思い出したかのように、ニーアが尋ねかけてくる。
(ああ、そういえば、そんな奴もいたな)
銀髪をなびかせた秀麗な美丈夫――――その腕前は、傭兵崩れでは相手にならないほどのものだった。それに、アイツが最後に言ったあの言葉、どうやら、俺の行動まで予想していたみたいだが……
(まあ、もう関わり合いになることはないだろう……)
「あの時はそれどころじゃなかったけど、今度会ったらお礼を言わないと……」
「ニーアはお礼のひとつも言えないのですか? それじゃあ立派な大人になれないと聞きましたよ」
「いや、イノリちゃん。僕はお礼が言えないんじゃなくて、たまたま、あの時は言えなかっただけで……」
「……なにが違うのですか?」
「それは全然違うよ。説明するのはちょっと難しいんだけど……」
「ですか。では説明出来るようになったらお願いします」
ニーアは困り果てた様子で俺に助けを求めてくるが、その馬鹿姫の相手はごめん被りたい。それに、どうやら目的地に着いたみたいだしな、
目の前には『カモミールへようこそ!』という看板が掲げられた小さな建物がある。
ここはグッティーが出がけにお勧めしてくれた『お食事処』だ。何でも「あたいの料理の次に旨いのがあそこさね」とのことだ。さすがに長旅の疲れも相まって、腹も減っている。さっさと飯を食って、今日は早めに休むとしよう。俺は、まだまだ言い足りないと騒ぐ祈梨の首根っこを掴みながら店の扉をくぐり抜けた。
店内へと足を踏み入れると、そこには木造を基調とした暖かみのある空間が存在していた。机も椅子も、そのどれもが木製で統一されており、全体的に柔らかな印象を醸し出している。
「いらっしゃいませー、ようこそカモミールへ」
俺が内装に感嘆の念を抱いていると、ひときわ元気の良いウェイトレスが駆け寄って来る。この店の店員で間違いないだろう。彼女は後ろ頭でくくった茶色の髪を振りながら、お決まりの案内を口にしてくる。
「お食事でよろしいでしょうか、それとも、お酒を…………」
だが、彼女は案内もそこそこに、俺の顔をじーっと凝視してくる。
(なんだ……? そんなに倭国人が珍しいのか?)
「うん、間違いない。やったぁ。――――おっと、すいませんお客様、どうぞこちらの席へ、さあさあ、どうぞどうぞ!」
ウェイトレスは何事かを小声でつぶやくと、颯爽とした足取りで俺たちを空き席へと案内し始める。
当然、俺とニーアは顔を見合わせるが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
若干、挙動に問題があるように見えるが、ここは大人しく案内されておこう。
「さあ、お代は据え置き! どのお料理を選んでも、決して後悔なんてさせませんよー!」
席に着くやいなや、ウェイトレスは俺の方へと品書きを差し出してくる。
だが、あいにくと俺は選べるほど、この国の料理を知っているわけじゃない。
「ニーア、悪いが注文は任せるよ。美味そうなものを適当に見繕ってくれ」
「うん、任せて。それじゃあ、この国の名物料理から……」
「オススメは『猪肉の焦がし焼き』と『根菜のポタージュスープ』となっておりまーす!」
自然と割り込んできたウェイトレスの声に、ニーアの身体が硬直してしまっている。
見た感じ、押し売りをしたいわけでもなさそうだが、このウェイトレスの真意が掴めない。それに、何やらウズウズとしているようにも見える。
「……ええっと、じゃあ、それを二つと、何か子供向けの食べ物はあったりするのかな?」
「ニーア、子供とはわたしのことでしょうか。……随分と偉くなったものですね」
「え!? 偉くなったわけじゃないけど。……それなら、イノリちゃんは香辛料の入った料理とかでも大丈夫?」
「自慢ではありませんが、以前、律が食べさせてくれた『からいやつ』は全然ダメでした」
「じゃあ、イノリたんには特製の『甘口ディッシュ』を用意させてもらおうかな?」
またしても喜色満面で会話に割り込むウェイトレスに、いよいよ、ニーアの顔も引きつりだしだ。
(やれやれ、そろそろ口をはさんだ方が良さそうか……)
「あんた、一体さっきから何がしたい? 俺達に構ってられるほど暇でもないだろうに……。言いたいことがあるんなら、さっさと言ってくれ」
俺は出来る限り穏便かつ丁重にお下がりいただこうと声を掛けたつもりだが、残念ながら、そのウェイトレスにはそうは聞こえなかったみたいだ。
ウェイトレスは「やっと構ってくれました」といった感じの顔で、喜びを露わにし始める。
「リナです! リナ・グレイパスといいます! お客様、ひょっとしてひょっとしなくても、倭国の方ですよね? 黒い髪に腰に下げた刀、いえいえ、リナの目は誤魔化せませんよ。こう見えてもリナは大の倭国ファンなんです。ほらっ、リナの髪も見てください、倭国をイメージして自分で結ったりしてるんです。漆器や陶器も素敵で夢中になってて……。良かったら、これも何かの縁だと思ってリナに倭国のあれこれを教えほしーなーなんて思ったりしてるんですけど……」
弾丸みたいに巻くし立てるリナに、祈梨は目を丸々と見開いている。
「あっ、イノリたんも倭国の人ですよね? いやぁー、いいですねー、結えられた黒髪がよく似合ってます。頬ずりとかしちゃっても平気ですか?」
そう言うが早いか、リナは祈梨の体を持ち上げて自分の頬に擦りつけ始めてしまう。
(これは、……俗に言う『変態』って奴か?)
「あう、……すべすべしすぎです!」
「痛ったぁぁーい!」
祈梨はその変態行為に我慢がならなかったのか、両手をじたばたとさせ、リナの顔面に程よく気合の入った一撃をお見舞いしていた。これには少し俺も同情したが、そそくさと変態からの束縛を逃れ、俺の後ろへと隠れてしまった祈梨のことを考えると、まあ、因果応報なんだろうと思う。
「なんなのですか! なんなのですかあの人は!? ……食べられるかと思いました」
「痛ったたたあー……。うー、ごめんよイノリたん。ちょっとお姉さん、自分を抑えきれくなっちゃって……」
「律、この人がうわさに聞く『阿呆』というものですか?」
「ゔっ……!? アホって……、それはちょっと、お姉さんも傷ついちゃうんだけど……」
「リナはあれですね。『良い奥さん』にはなれそうにない人ですね」
「うがっ……!? 幼女の暴言に、お姉さん挫けちゃいう……」
リナは祈梨に向かって必死に弁明を繰り返しているが、祈梨もどうやら萎縮してしまったようで、俺の後ろからちっとも出て来ようとしない。
(やれやれ……だな……)
ため息混じりに、俺はリナへと声をかけようと歩み寄る。――――だが、その時、何やら物騒な言葉が店の中から聞こえてきた。