覆すは定石
「ヴィンセント。その言葉、何か考えがあっての事なんだろうな」
自分の意見に水を差されたからだろうか、大将である老兵の声が、この場に重く響き渡る。
「いえ、滅相もない。だがオレが聞いた話では、そこの東洋人はあの『焔のクロウ』に手傷を負わせるほどの腕前だとか。その様な逸材をみすみす逃すのは、戦時として些か理にかけると考えたまでです」
ヴィンセントと呼ばれた銀髪の貴公子は、それでも進言を取り下げることはない。
この男の考え方は、ライアス寄りの考え方のようだ。
この戦争でこの国が勝利する事を大目標とし、使えるものは全て使おうという魂胆。
合理的ではあるが、この国が積み重ねてきた騎士の持つ歴史とは相反する。
「騎士道を蔑ろにするような輩に騎士団の敷居を跨がせる訳にはいかん。いかにその者の腕が立とうが、それは覆ることのない事実。それはお主も存じている事だろう。自重せよ」
それはそうだろうな。ヴィンセントと呼ばれる男にどれだけの発言権があるのかは知らないが、この場を取り仕切っているのは大将であるこの老兵に違いない。
一度下した判決を覆すなんていう行為は、自分の顔に泥を塗る行為に他ならないからな。
しかし、その頑なな態度も、ヴィンセントが懐から取り出した一枚の洋紙を目にする事で激変する。
「・・・貴様。何のつもりだ」
その感情は間違いなく怒り。
こちらの身さえ震わすほどの圧倒的な怒気が、老兵の体からは漏れ出している。
それでもヴィンセントは涼しげな顔でその怒気を受け流し、何食わぬ顔で言葉を言い放つ。
「何のつもりも何も。ご存じのとおり、これはレアサンドロス王からオレが直々に頂いた『内命』に他なりません。この直書にはこう書かれている。「貴公を王家直属の『近衛騎士』として任命する」と」
なに!? この男、雰囲気からして一介の兵士じゃあないとは思っていたが、まさかこの若さで『近衛』の身分だったのか!?。
『近衛』の身分といえば古今東西問わず、主君の側付きであるが故、技量はもちろんのこと、作法および全学の修練を必須とする最高峰の身分。
それが事実だとしたら、いや、その身分を偽るなんて愚行を犯すはずもない。
この男は間違いなく『近衛騎士』であり、しかしだからこそ理解できない点が出てくる。
どうしてそれほどの身分の男が、わざわざこの様な場所に顔を出しているんだ?
軍そのものを統括している大将ならともかく、近衛がこの場に相応しいとは到底思えない。
「そんな事は百も承知しておる。その様な直書をわざわざこの様な場所まで持ち出して、いったい何のつもりだと私は聞いているんだ」
なおも苛立たしげに声を荒げる老兵を尻目に、ヴィンセントは俺に向けて妙な視線を送ってくる。
残念ながら、この類の視線には覚えがあるな。あれは明確な悪巧みを考えている人間の目だ。
「ここまでしてもお分かりにならないか? 近衛騎士の特権の中には、オレの補佐を担う人間を任意に一人選択する権利がある。オレはその権利を、今ここで行使しようと言っているのですよ」
場に沈黙が落ちたのも一瞬。
「馬鹿な!」
先の叱責が堪えたのか、それまでは大人しくしていたクラウスという男が、机から身を乗り出して声を荒げる。
「二つと叶わない近衛の人事行使を、貴様はこの様な場所で消費しようというのか! それも、たかが訓練生の東洋人ごときの為に!」
そう言いながら俺の方に指を差してくるのはいいんだが、まずもって俺には、いったい何が起こっているのかが理解できていないんだ。
会話の内容からするとあのヴィンセントって男が、俺の身柄を預かろうとしているのは間違いなさそうなんだが、そもそもその意図も経緯もまるで理解できない。
「ヴィンセントよ。先の言葉、嘘偽りは無いな?」
「もちろん、騎士の名にかけて」
状況についていけない俺を差し置いて、ヴィンセントと大将のやり取りは続いている。
視線を横に向けてみるも、ライアスはいつも通りの澄まし顔で、状況の成り行きを見守るばかり。
流石に背後にいるアルゴに視線を向ける訳にはいかないが、何の口も挟んでこない以上、俺に助け舟を出すつもりは無いと判断して良いだろう。
「大将、俺は認めねえぞ! 騎士の風上にも置けねえ様な東洋人に、近衛の補佐なんざ任せられるか!」
クラウスは机を拳で殴りつけ、あろう事かそのまま身を乗り出して、腰の剣に手をかける。
ちっ、何が何だかわからないが、この男が怒り心頭なのは俺でも理解できる。
そっちがそのつもりなら相手になるぞ。
なかばヤケクソ気味に、俺が腰の刀に手を置いたその時、
「抜くな、彩霞律!!!」
ヴィンセントの怒声が耳を打ち、何故だかわからないが、本能的に身体がその場で硬直してしまう。
ヤバい。このままじゃあ、叩き切られる。
そう思ったのも束の間。突如として俺の目の前に現れた影が、自らの剣でクラウスの剣を払い飛ばしてしまう。
「クラウス。激情にかられたからとはいえ、この様な場所で剣を抜くのは問題です。流石に見過ごす訳にはいきません」
ライアスはそう口にしながら、剣先を真っ直ぐとクラウスの喉元に突きつけている。
「てめぇ、、、、」
これはヤバイな。クラウスのあの目、もはや怒りを通り越して狂気すら感じる。
元からライアスとは因縁浅からぬ間柄だった様だし、今のが止めとなった様だ。
二人の間に不穏な空気が流れ始める。
しかし、そこは流石にこの場を取り仕切る大将として、見逃す事は出来なかったらしい。
「静まれっ! 大馬鹿者どもが!!!」
いったい何処から発すればそこまでの音量になるのかというほどの大喝が響き渡る。
無論。聴覚すら破壊しかねないその声は、俺はもちろん、ライアスやクラウスの動きでさえ完全に停止させてしまう。
「クラウス。城内においての抜剣が法に触れることは承知しているな」
「し、しかし、、、」
「言い訳は聞かん。貴様も将校を名乗るなら、己の行動にはそれ相応の責任を持て」
「ぎょ、、、御意に」
「ライアス。貴様の行動も褒められたものではないぞ。此度、貴様は呼び出された身であるということを自覚せよ」
「御意に。出過ぎた行為であった事は、私自身自覚しております」
「まったく、将校が二人も揃ってこの体たらくとは。この国の先が思いやられるわ」
ため息混じりに吐き出されたその言葉に、どうにも居心地の悪い空気が部屋中に蔓延する。
「よいか、此度の不祥事についてはこの場限りの事とし、不問とする。それとヴィンセント、貴様の先の提案。それが貴様に与えられた国王からの報奨である以上、軍部の責任者としても無下にする訳にはいかん」
「それでは?」
「うむ。貴様の好きにするがよい。しかし夢々忘れるなよ。貴様は此度、軍の決定に背いたのだ。後悔することになるぞ」
「有り難きお言葉。それについては、オレも重々承知の上ですよ」
「それと一つ答えよ。貴様、何を考えているのかは知らんが、最初からこの為にこの場に姿を現したな?」
「さて。未来予測などオレには出来ませんので」
「ま、待て! 大将、こんな事がまかり通って良い訳が、、、」
「クラウス。それ以上の発言は大将であるこの私だけでなく、国王に対しての侮辱に値するぞ」
「・・・・・御意」
肩を落とし、クラウスはその場で糸の切れた人形の様に佇む。
ヴィンセントはそれに構うこともなく、席を立つやいなや俺の肩を叩き、
「とりあえずここから出ようぜ。詳しい話はその後だ」
そう言い残すと扉に手をかけ、振り返りざまに片目をつぶってくる。
これはまたひしひしと厄介事の予感がするな。