夕焼けに染まる帰路
別用に向かうと言うフェリアとはその場で別れ、いつも通りカモミールへと足を運ぶことにする。
戦が始まれば、数日の間は都市部へと戻ることは出来ないだろう。
グレイパス姉妹には、しっかりと挨拶をしておかなければいけない。
あの二人には、何だかんだと世話になりっぱなしだったからな。
「いーらっさいませー。カモミールに、ようこそで御座あーい」
カモミールの入口をくぐった瞬間、元気いっぱいに挨拶をしてくる馬鹿姫の頭をわしっと掴んでおく。
「わっぷ。ぐぬぬ、、律。まだ何か間違えてますか?」
この前よりも悪化してるじゃねえか。
なんだ、その『御座あーい』ってのは。
「リナ。やっぱりダメでした。このとおり、律にお仕置きされてしまってます」
「ありゃりゃ、それは失敬。リッツも本当に細かいところにうるさいね~。愛らしくてイイじゃない」
祈梨に大声で呼び出されたリナが、いつも通りの様相で、こちらに向かって歩いてき、その後ろにはシェリの姿も見える。
「あらあら、イノリちゃん。ちゃんとお客様のお出迎えを出来なかったのかしら」
「いえ、ちがいます。律の姿が見えたものですから、とっておきのあいさつを披露したはずなのですが、、、」
「それならサイカに問題があるのかしら。駄目よ、せっかく、うちの看板娘が頑張ってるっていうのに」
「シェリまで祈梨側かよ。それになんだ? その看板娘っていうのは」
「リナが最初に言ってたでしょ。祈梨ちゃんをカモミールの看板娘にして見せるって。お客様にも好評なのよ?」
「ほんと、祈梨ちゃんが来てから、うちの常連さんは、みんな骨抜きにされちゃったもんねー。もう、私と姉さんなんて見向きもされないもん」
へぇー。こいつが人気者ねぇ。
俺の手の下でジタバタともがいている姿を見ると、とてもそうは思えない。
「褒めてつかわしてもいいですよ、律。わたしは立派にしごとをこなしています」
「おまえは、その言葉遣いを何とかしろと何回言えばわかるんだ? あと、調子に乗りすぎだ」
「もんだいありません。げんじょういじで良いと、シェリには褒めてもらえました」
まさか、淑女然としたシェリに限って、そんな妄言は吐かないだろう。
そう考え、俺は事の元凶と思われる人物に目を向ける。
「ちょっとリッツ。まさかまさかと思うけど、私がイノリたんに悪影響を及ぼしてるなんて考えてるんじゃない?」
ご名答だ。
お前以外の選択肢なんて、あってたまるか。
「律。リナじゃありません。しかっり聞いてください。げんじょういじで良いって言ったのは、シェリです」
両手をバシバシと俺の体に叩きつけながら、祈梨が不満そうに頬を膨らます。
だから、それはおまえの勘違いだ。
「サイカ。イノリちゃんのその口調は、お客様にとても人気がるあるんですよ。子供なのに子供らしからぬ物言いと言いましょうか。大人心をくすぐるんだそうです」
「……冗談だろ。なら、こいつがさっきから言ってる現状維持で良いってのは」
「ええ。私の判断です。看板娘なんですもの、オーナーの指示には従ってもらいませんと」
なんてことだ。
破天荒なリナならともかく、この国で出会った数少ない良識人であるシェリまでもが、こんな事を口にするなんて。
意図してなかった事態に頭を抱える俺の横腹を、リナが指先で突っついてくる。
「あのさぁー。リッツは私に何か言わなくちゃいけない事があるんじゃないかなー?」
ジトっとした目をしているくせに、口元は、やけにニヤついてやがる。
これはこれで、とてもつもなく鬱陶しいんだが、先に疑いをかけたのは俺の方だ。
「ああ、その、なんだ。わるかったな、疑って」
押さえつけたままだった祈梨を解放し、リナの頭をガシガシと撫でつける。
「うなああああああ! リッツ、それはいくら何でも子供扱いしすぎじゃないかなあ!」
リナは慌てて俺の手を振りほどき、シェリの後ろに身を隠してしまう。
こいつの普段の行動からして、祈梨と同じような反応をすると思ったんだが。この反応を見る限り、逆効果だったか?
「もうっ。イノリたん、こんな女の敵は放っといて、あっちで一緒に皿洗いの続きでもしよう」
「おお、そういえばお皿を放ったらかしにしてました。これはたいへんです」
肩をいからせながら、リナは祈梨を連れて厨房の奥へと歩いて行ってしまう。
「ふふっ。やっぱり、サイカ達が来てから賑やかになったわ」
うっすらと聞こえてくる二人の姦しい声を聞きながら、シェリが感慨深くそんな言葉を口にする。
「まるで母親みたいな言い方だな。その言い方だと、俺たちが来るまでは、まるでリナが大人しい奴だったかのように聞こえる」
「ふふっ。たしかに、昔から大人しい子じゃあなかったわね。でも、あの子はあれで繊細な部分があるのよ」
俺がリナについて知っている事は少ない。
精々が、倭国に興味津々な元気娘ってところだろう。
そんな俺の内心を見透かしたかのように、シェリは言葉を続ける。
「あの子はね、周りの人達のために、いっつも笑っていようと頑張っているの。さっきだって、レアサンドロス様の演説を聞いてからサイカが来るまで、ずっとイノリちゃんの側を離れなかった」
「それは……」
「駄目よ。あの子には、あの子の事情があってそうしてるんだから、下手な詮索はなし。それでも、とても優しい子なの」
そう言うシェリの目は、どこか慈しみを含み、憂いを帯びていた。
この姉妹は、俺とそんなに歳が離れているわけじゃない。
それにも関わらず、この店の経営を、たった二人で担っているんだ。
そこには何かしらの事情があってしかるべきだろう。
出会って間もない俺が、踏み込んで良い話じゃない。
「サイカ。貴方はやっぱり戦場に向かうのね」
「ああ。俺は騎士になるためにこの国に来たんだ。ここで二つ目の選択肢は存在しない」
「イノリちゃんはどうするの? よかったら……」
「祈梨はグッティー……、寄宿させてもらってる寮長に預けようと思ってる」
「そう。それならいいわ。絶対に帰ってくるのよ」
「心配はいらないさ」
この手で守ると誓った者は、必ず守り通してみせる。
行く先が死地であろうとも、その誓いだけは絶対に守り通す。
だから、そんなに不安そうな顔をするなよ。
◇◇◇◇◇
日も暮れた頃、カモミールから寄宿舎までの帰路を、祈梨と並んで歩く。
『リッツ。イノリたんを泣かせたら承知しないからね!』
『今日は用心棒の仕事は大丈夫よ。帰ってイノリちゃんとゆっくり過ごしなさい』
つくづく、お人好しな姉妹だ。
自分達の心配よりも他人の心配をするなんて。
これは帰ってきたら相応の礼をする必要があるみたいだな。
「律。みてください。お城が真っ赤です」
祈梨の指差す方向に視線を向けると、確かに、城が夕日に照らされ真っ赤に染まっている。
「おおー。あれは確かに真っ赤だな。絶景ってやつか」
「真っ赤なお城はぜっけいですね」
いまいち言葉の意味を理解はしてないんだろうが、今はこの光景が綺麗だと感じれていればそれで良い。何故だか、そんな気分だ。
「祈梨。少しのあいだ留守にする事になる」
俺の言葉に祈梨は首を傾げ、その後すぐ、思いついたかのように、手の平をポンと合わせる。
「あれですね。いくさが始まるってリナが言ってました」
「ああ。その通りだよ。だから俺が留守のあいだは、グッティーのところで世話になってろ」
「わかりました。律がいない間は、グッテーと遊び倒します」
胸を張ってそういう姿が、どこか可笑しくて、自然と口元がほころぶ。
「遊んでばかりじゃなく、きっちりと寮長の手伝いもしろよ?」
「まかせて下さい。わたしひとりで十分です」
「また、おまえはそんな言い回しを」
「でも、律がいないと少しモヤモヤします。しっかりと早めに帰ってきてくれると助かります」
ひしっと抱きつくように、祈梨が俺の礼装を掴んでくる。
「大丈夫だよ。おまえの事は、俺が守ると決めたんだ。出来るだけ早く帰ってくるさ」
「はい。知ってます。わたしのことは律が守ってくれますから」