異国での生活
ブリトゲン大陸には、大きく分けて二つの国家が存在するらしい。
大陸の中央に引かれた境界線を基に、北の軍事国家を『リクセン』、南の湾岸国家は『ララーナ』と呼ばれ、両国は様々な分野において切磋琢磨し続けていた。
しかし、その拮抗は軍事国家『リクセン』による領地侵攻により脆くも崩れ去り、かねてより徴兵制度に力を入れていた『リクセン』の軍勢に『ララーナ』の軍は後退を余儀なくされてしまった。
それを危惧した『ララーナ』の重鎮は、身分問わず傭兵を雇い、軍事力の強化を図った。
その中でも取り分け異質なのが『騎士養成施設』と呼ばれる代物だ。
代々『ララーナ』では仁義体を備えた『騎士』の育成を盛んに行っており、この窮地を救えるのは『騎士』しか有り得ないと考えた。
「でも戦時中にあまり呑気に『騎士』の育成を待つ訳にはいかない。だから王は身分問わず『騎士の卵』を募集し、戦争への参加も強制させることにしたってところかな」
ニーアからこの国の現状を説明して貰い、ようやく合点がいった。
どうして身分問わず、あまつさえ異国の者でさえ『騎士』になれる道を開けたのかがどうしても頭に引っかかっていたんだが、要は体の良い捨て徴兵という訳だ。
『騎士養成施設』という制度は、『騎士』という餌に釣られた腕利きを安い報奨で戦争に参加させる事が出来る『捨て駒』扱いということか。
「ありがとうニーア。お陰で大体の事情は飲み込めたよ」
「気にしないで。それにしても、リツこそどうしてわざわざこの国に?」
「『騎士』っていうのに憧れたんだ。それになれれば、俺はもっと強くなれる」
「……そっか、じゃあ僕と一緒だね」
ニーアは疑うことなく、俺の答えに首肯してくれる。
実際、本音は別にあるんだが、ここでわざわざそれを口にする必要もない。
「あっ、そこの大きな建物が『騎士養成施設』みたいだよ」
地図を確認しながらそう言うニーアの視線を追うと、そこには古びた造りの、いかにもな施設が鎮座していた。
建物の奥からは剣戟に加え、威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
「おおー、何だかボロボロですね。あっちもこっちも怪我してます」
祈梨が言ってるのは施設を囲む外壁のことだろう。
年季のせいか、運用に問題があるのか、外壁には無数の亀裂が走っている。
門をくぐり抜けると、大きく分けて三つの建物が目に付く。
中央に建つのは『本舎』、その脇に備えられているのが『厩舎』、その奥に見えるのがおそらく『宿舎』だろう。
ニーアは足早に『本舎』の入口に向かい、そこにいた兵士に声をかけている。
「この度、本施設に入隊希望のニーア・カロラインと申します。受付をお願いしたいのですが」
背筋を伸ばし、凛とした声を上げるニーアに、兵士は書類を一枚渡し、奥の方を指差している。
どうやら、受付は別の場所で実施しているようだ。方角からして、おそらく場所は『宿舎』にあたる場所だろう。
俺もニーナと同じく兵士から書類を受け取り、自分も欲しいとせがむ祈梨の手を引き、指定された方向へと足を向ける。
宿舎へとたどり着き、俺達が最初に目撃したものは、――――巨人だった。
そいつは身の丈八尺ほどの巨体を揺らし、黙々と枯葉を集めている。
(何故、こいつは割烹着を着込んでるんだ!?)
結論から言おう、あまりの衝撃に声が掛けれない。
隣に立つニーアもそれは同じようで、表情が硬直してしまっている。
「律、あれが噂に聞く『くま』ですか?」
その驚きの発言に、巨人がゆっくりとこっちへと振り向く。
「おい、馬鹿! おまえは何でそんなことを……! どう見ても、あれは人間だろうが!」
「ふむ、でも律が以前に教えてくれた『くま』というものにソックリなんですが……」
「『熊』はもっと毛深くて黒い獣だ! 断じて、こんな所で枯葉集めなんてしてない!」
「ですか。では、あなたは誰ですか?」
「そりゃあ、あたいに言ってんのかい? これまた随分なご挨拶じゃないか」
目の前に影が差したと思ったら、件の巨人が俺たちのすぐ側で仁王立ちしていた。
「あわわわ……」
ニーアはもう駄目だ。完全に戦意を喪失してしまっている。
(俺が何とかするしかないのか!?)
「あんたら、見たところ新人さんかい? 手続きなら奥だよ。付いて来な」
しかし、思いのほか気さくな言葉を残し、巨人は『宿舎』の中に入っていってしまう。
(これじゃあ、身構えた俺が阿呆みたいじゃないか)
「ニーア、還ってこい。手続きは中でするそうだ」
ため息混じりに肩を揺すってやると、ニーアはハッと顔を上げ、頭を振りかぶる。
「リツ、僕の故郷には、あんなに大きな人間はいなかったよ。倭国ではどうだったのかな?」
「……残念ながら、俺の故郷には同じ様な背丈の奴がいたよ」
「そっか、世界は広いね。じゃあ、そろそろ行こっか」
「ああ、捕って食われたりはしないだろうさ」
「あたいの名前はグレート・グッテンベアー。ここの寮長をしているもんだ。気安く、グッティーとでも呼んでおくれ」
宿舎内に通された俺たちは、入寮のための書類に必要項目を記載している。書類自体は大したことはないんだが、さっきから傍らに立つ巨人が気になって仕方がない。
「ニーア・カロラインにサイカ・リツか。これまた異色のコンビだね」
「ああ、ついさっき知り合ったばかりでね。でも、この国の事情に疎い俺としては、大助かりだ」
「そりゃあ、倭国から来たんなら無理もないさ。まあ、その辺りは人それぞれだしね。事情はあまり聞かないでおくさ」
豪快に笑うグッティーの姿は熊以外の何でも無かったが、体以上に懐も大きいようで助かる。
「律、グッテーもここで暮らすのですか?」
「そうだ。グッティーはここで一番偉い人だからな。理解したら、とっととそこから降りろ」
祈梨はグッティーが席に着くなり、その巨体をよじ登り、現在に至っては絶賛肩車の状態で上に乗り込んでいる。
いくら相手が寛容だからといって、面倒を見る俺の立場としては冷や汗が止まらない。
「いいんだよ、これくらい朝飯前さ。ほーれ、高い高ーい!」
「おおおおおおおおーーーーーー♪」
(なにをしてるんだ、あいつは……)
だが、俺の呆れ具合とは裏腹に、祈梨のおかげで、ニーアの方はすいぶん緊張がほぐれたみたいだ。これまでの緊張が嘘のように、グッティーに話しかけている。
「それで、グッティーさん。この後はどのような流れになるんでしょうか?」
「ああ、おあつらえ向きに、明日にはここにライアス教官が来られるからね。今日の所はゆっくり休んで、詳しくは明日にでもその人に聞きな」
「えっ、偉大なるライアス中将がこの地に!?」
ニーアは机から身を乗り出すほどに興奮しているが、如何せん、俺にはそのライアスって奴のことが分からない。
「なんだ? そのライアス中将ってのは有名なのか?」
「そうか、倭国から来たリツは知らないんだね。ライアス中将という方は最前線で幾つもの勲功を上げ、この国の『騎士』の最高峰である『聖騎士』にまで昇り詰めた人なんだ。この国じゃ知らない人はいない程の傑物だよ」
どこか誇らしげな顔で、ニーアはそう口にする。
その顔は、まさに『英雄』を夢見た人間のそれだ。
「それじゃあ、この国では、そのライアスって奴が『最強』ってことで間違いないのか?」
「うん。少なくとも、僕はそう思ってる。僕の故郷でも『その胆力は千の敵を前にしても怯まず、その力は万の敵にも匹敵する』とまで吟遊詩人が歌うぐらいなんだ。……でも、偉大なるライアス中将が、どうして『騎士養成施設』なんかに?」
ニーアは首をかしげて、思案げな顔を浮かべている。
「そりゃあ、あれさ、色んな意味であの人は型破りだからねえ。考えるだけ無駄ってもんだよ」
ライアス中将のことを豪快に笑い飛ばしたグッティーは、その話の流れのまま、宿舎の見取り図と部屋の割当だけを伝えて掃除の続きだと出て行ってしまう。
「それにしても驚きだよ。まさか、憧れのライアス中将に、こんなにも早くお会いすことが出来るだなんて」
いまだ、ニーアは熱に浮かされたような状態のまま、現実世界に帰ってくる気配がない。
(これは、ダメそうだな)
「祈梨、ニーアはまだ時間が掛かりそうだ。先に部屋に行ってみるか」
「はい、よろこんでお供しますです」
祈梨はビシッと片手を上げ、了解の意を示してくる。
普段からそれぐらい素直でいてくれたら、俺も苦労はしないんだがな。
個別に割り当てられた部屋は予想していたよりも随分広く、俺と祈梨が暮らしていくには十分すぎる大きさだった。
「これが新しい家ですか。わるくないですね、まんぞくです」
「おまえの言葉遣いに、俺は満足してないけどな」
祈梨の首根っこを掴みながら、俺は呆れたように溜息をつく。
こいつを好き放題にさせてしまうと、いままでロクな目にあった覚えがない。
この国に来たのも良い機会だ。これを機に、少しは勉強でもさせるのも悪くはないのかもしれない。
「まあ、でも、とりあえずは、荷物を置いたら飯でも食いに行こう。……そう言えば、食堂は明日からしか使えないとか言ってたな」
「ですね。グッテーのご飯は明日からって言ってました」
長旅で疲れただろうに、祈梨は微塵もそんな素振りを見せない。
元気よく、健やかに、今日も笑顔を見せている。
〝律、あそこにもまだ子供が……〟
〝くそっ、……俺が助けに行く。姉さんは先に逃げてくれ〟
〝……私が行くわ。火の手が強すぎる、律じゃ手に負えない〟
〝それなら二人で行けばいい。大丈夫、姉さんのことは、……俺が必ず守ってみせる〟
〝こんなときに何を……、いいえ、それは私の台詞よ。律の事は、私が絶対に守るから〟
〝生きなさい……。律は私の為に、この子を見殺しにするっていうの?〟
頭を振って、いちど呼吸を落ち着ける。もう二度と約束は違えない。その為にも、俺は強くなる必要がある。
誓いを新たに刻み込み、腰の刀を握り込む。
「なにをボケっとしているのですか。時間はゆうげんですよ? はやく支度してください」
「はいはい、それでは行くとしましょうか」
「ついでにニーアも誘ってあげるのです。寂しがっているといけませんので」
祈梨はニーアの事を、飼い犬か何かだとでも思っているんだろうか?
やっぱり、教育の必要性は否めない。