奪われた村へ
「グッテー、それは美味いのですか?」
「なんだ、イノリは林檎を食べたことがないのかい。ちょっと待ってな、ふん!」
ゴシャっという音を立てて林檎が握りつぶされる。
俺は夢でも見てるんだろうか。
さっきまでいけ好かない話を聞かされ、宿舎に戻った途端、目に飛び込んできた光景が、こんな感じの光景だった。
「さあ、食べてみな」
「おーう、何だか汁がどばどばしてます」
グッティーから林檎の欠片を手渡され、祈梨はそれを口にし「うまぁー」と言いながら叫びまわっている。
どうやら俺の存在にはまったく気付いていないようだ。
「オイコラ、お前はいったいそこで何をしてるんだ?」
はしゃぎ回る祈梨の首元をガシッと捕まえ、目の前の高さまで持ち上げる。
「?? おー律ですか。いきなり浮かび上がったからびっくりしました」
「おやおや、保護者のお帰りかい? それなら、あたいの出番はここまでのようだね」
グッティーはワイルドな笑顔でそう言うと、祈梨の頭をガシガシと撫でつける。
「グッティーすまないな、どうやら迷惑を掛けたみたいだ」
俺は祈梨の面倒をみてくれたであろうグッティーに頭を下げる。
「気にすんじゃないよ、こっちも楽しくやらせてもらってるんだ。そうだろイノリ?」
「おうです。グッテーは『はくしき』なのです。グッテー、律の分も『りんご』をもらえませんか? 律にも食べさせてあげるのです」
「おやおや、いい娘じゃないかい。そういう事ならお安いこった。それじゃあ、もう一つ砕こうかね」
グッティーはそう言いながら林檎を片手に持ち、力を込めようと腕を膨らませる。
おいおい、あんたの握力は一体どうなってんだ。
なんて事を言えるはずもなく、俺はさらっと話題を変える方向にもっていく。
「そういえばニーアは何処に?」
もともと祈梨の面倒はニーアに頼んでいたはずだ。
あいつがそれを放り出してどこかに行くとは考えにくい。
「ああ、ニーアならフェリアって嬢ちゃんに連れて行かれたよ。『特訓の相手をしろ』だとか何とか言われて引きづられて行ったね」
俺の作戦は見事に成功したようで、グッティーは林檎を握りつぶすのを中断し、そう口にする。
それにしても。ご愁傷様ニーア、お前の事は忘れない。
俺が合掌をしていると、祈梨も見よう見まねで手を合わせる。
「ほんとうに可愛らしいったらないねイノリは。この子を見ていると、この国が戦争中だってことを忘れちまうよ」
グッティーは目を細めてそう言ったあと、急に真剣な顔をして俺に切り出してくる。
「あんた、ライアス中将の話は受けたのかい?」
俺はその言葉に少し動揺してしまったんだろう。
グッティーが見透かしたように言葉を続けてくる。
「あたいはこれでもこの施設の寮長だよ。事前にそれぐらいは聞いてるさね。後はあんたが受けたか受けなかったのかの話だけさ」
そうか、『特務』の性質上、寮生を管理するグッティーにも何らかの打診があってもおかしくない。
そうでもしないと夜中におちおち出歩くことも出来ないからな。
しかし、それならライアス達も俺に一言ぐらいは言っておいてくれれば良いものを。
「受ける事にしたよ。あいつ等の手の平で踊らされるのは癪だが、それなりの理由はある。俺自身が決めた事だ。後悔はない」
グッティーの顔に苦みばしったものが走りぬける。
「そうかい。あんたが留守のあい、イノリの事はあたいに任せておきな。理由がどうであれ死ぬんじゃないよ。あたいはあの娘の悲しむ顔なんて見たくないからね」
この人は、きっとここから多くの兵士を送り出してきたんだろう。
だから必要以上に余計なことは口にしない。
戦地に行く者にとっては、これほどありがたい事はない。
「感謝する」
その言葉だけで、きっと伝わったんだろうと思う。
グッティーは背を向けて宿舎の中に入っていってしまった。
俺は祈梨に礼を言うように促し、その背を見送る。
「律、グッテーはおねむの時間ですか?」
「おまえ、ひょっとして眠いのか?」
「いいえ。まだまだ走る『どりょく』は充分です」
努力じゃなくて体力だ。
こいつにもちゃんとした言葉を覚えさせないとな。
「とりあえずニーアの様子でも見に行くか。このまま放っておくのも気が引けるしな」
「またニーアですか。本当に世話のやける人です」
まあ、そう言うなよ。
どう考えても今回に限っては俺の責任が大きいしな。
◇◇◇◇◇
その日の夜、俺は祈梨を寝かしつけたあと、ライアスに指定された場所へと向かう。
ライアスからは指定の時間にその場所に行けば、案内人兼パートナーが待っていると聞いているが。
さてどんな奴が待っている事やら。
ライアスの部下というだけでロクな予感がしない。
これは俺の被害妄想か?
待ち合わせ場所は明かりの少ない路地裏だった。
辺りから聞こえていた酒場の喧騒もこの場所には届かない。
しかもこの先は行き止まりになっていて、事実上の袋小路。裏の仕事にはもってこいの場所だな。
三歩ほど足を踏み入れた途端、漂う殺気に身体が引き締まり、自然と柄に手が伸びる。
「出てこいよ」
闇に向かってそう言うと、まるで影が形をもったかのように黒装束の人間が浮かび上がる。
「そう、よかった気付いてくれて」
女か。ずいぶん小柄だな、祈梨よりも少し大きいくらい。
別に、この類の仕事を子供が受け持つのは珍しいことじゃない。
そうでもしないと生きていけない奴がいるなんて事は、俺自身が身をもって経験していることだ。
「お前が俺の見張り役か?」
俺に言葉に彼女はコクっと頷き、ふるふるっと首を横に振る。
どっちなんだよ。
彼女は無表情なまま、小さな手を差し出してくる。
「カエラ。私はあなたのパートナー。お目付け役じゃない。少しだけよろしく」
カエラ、どうやらそれが彼女の名前らしい。
俺は差し出されたその手を握り返す。
「俺の名前は彩霞律。頼りにしてるぜ」
彼女は俺の言葉に首を縦に振る。とはいっても彼女の首には何重にもマフラーが巻かれているのでよくわからない程度だが。
「付いて来て」
そう言った途端、彼女は民家の壁を蹴り上げて屋根の上に。
道具もなにもない状態で、ずいぶん身軽な奴だな。付いて来てと言われた以上は、とりあえず後を追うしかないか。
「よっ」と壁を蹴り上げて彼女の横に並ぶ。
「少し驚いた。できるんだ?」
感情が乏しすぎて本当に驚いているのかどうか分からないが、「まあな」と無難に返事をし先を促す。
『コロン』はここから10キロ程度の場所にあるらしい、夜明けまでに戻ってくるには少し急がないとな。
◇◇◇◇◇
街を出てからは街道を外れ、森の中をひたすら走り抜ける。
俺の前には特徴的なマフラーをなびかせながら、何の迷いもなく木の枝を飛び渡るカエラの姿が。
よくあれで引っかからないもんだと感心していると。
「なに?」
どうやら視線がバレたらしい。怪訝な顔をして俺の横に並んでくる。
「そのマフラーが枝にひっかかりでもしないのかと心配に思ってな」
会話中も走る速度は落とさない。
「そう、大丈夫」
それだけ言うと、またしても速度を上げて俺の前に出る。
どうやら無駄な会話はお気に召さないらしい。
森を抜け、道なき道を二刻ほど走っただろうか。
視界に街の灯りが見え始める。
どうやらあれが『コロン』のようだが。
「どうやって街の中に這入るつもりだ?」
街道に沿うように建てられた街には勿論、城壁などあるはずもない。
入口となる場所にはもちろん見張りが立っているだろうし、容易に街の中に這入れるとは考えにくい。
「大丈夫、私たちの任務は隠密行動に制限されてない」
なるほど、強行突破ってわけね。
思ったよりも、俺のパートナーは好戦的な思考をお持ちのようで。
闇に紛れて入口の見張りに近付いていく。
見張りの数は二人。装備は軽度の鎧と槍を一本。
あれくらいならどうとでもなるかと考えていると、カエラが懐から苦無によく似た短刀を取り出し、勢いよくそれを投擲する。
放たれた短刀は風を切りながら一直線に見張りに突き刺さり一人を絶命、残った一人が異変を察知した時にはもう遅い。
小柄ゆえの俊敏性を生かし、相手の懐に飛び込み短刀で首を掻っ切る。
手際よく見張りを倒したあと、カエラは無表情なまま俺の方を振り返る。
「行こう。街の中にはまだたくさんいるから」
そう言って街の中に這入っていく姿は、あまりにも夜の闇に慣れすぎていた感じがした。