第1章 始まり 1
~時は2015年。人々はただ平凡な日常を過ごしていた~
「………………」
そこは極東の島国日本。
「………………」
その中の竹前という町のとある一軒家。
「………………」
食卓についている少年が一人。
「………………」
鳥のさえずりが聞こえる中、朝日に照らされ…
「………ぐぅ…」
…座ったまま寝ていた。
「治広!!早く起きなさい!」
「ふぇ……何が……?」
「何ねぼけてんのよっ!」
今、少年を怒鳴っているのは見た目40歳くらいの少しふくやかな女性。
そして、怒鳴られている少年は、その外見にこれといった特徴の無い…いわば、平凡な中学1年生である。
女性の名前は真田香。
夫である真田洋一が今から10年前に病で他界したため、今は彼女が女手一つで2人の息子を養っている。
「雅広はもう学校に行ったわよ!」
「は~ぃ………」
2人の子供のうち、弟の名は雅広。
小学4年生の彼は既に家を出発している。
「よしっ、準備できた!行ってきます!!」
「行ってきますって……あんた、パジャマで学校行く気?」
「……………あっ」
もう1人。
今パジャマから制服へと着替えているのが兄の治広だ。
「……できたっ!」
「えっ?早っ!」
「今度こそ行ってきます!」
「あ、うん…」
治広は学校指定の鞄を勢いよく掴むと、そのまま家を飛び出した。
「あの子、大丈夫かしら……?」
「うぉぉぉぉっ!!頑張れ!俺!!」
治広は自らを鼓舞しながら、学校への道を爆走していた。
(登校完了時間まであと10分…間に合う!!)
「うおぉぉぉぉっ!!」
そもそも本当はこんな予定では無かった。
とはいえ、治広が昨夜遅くまで起きていたのかと言われるとそうでもない。
…まぁ、簡単に言えば、彼は朝にものすごく弱いのだ。
よって予定通り起きられず、走って学校に行くことになったというわけである。
「よし、間に合うぞ!」
どうやら学校が見えてきたようだ。
「おぉ……」
治広は驚きの声を上げた。
彼の視界に入って来たのは白桃色。
校舎に沿って並び立つ満開の桜が、地味な校舎に美しい彩りを添えていた。
治広が今日から通う学校は竹前中学校という。
比較的新しいその学校は『自由』を校訓としている。各学年平均3クラスぐらいの中規模校であり、ここ竹前町にある唯一の中学校なのだ。
「すげー、きれいだ……とか言ってる場合じゃない!」
治広は今年中学生になる男の子だ。
今日がその最初の登校日である。
言い換えれば、今日は入学式の日ということになる。
「はぁ…はぁ…」
学校の前の道をダッシュで渡り、校門前までたどり着いた治広は足を止めた。
(ん?あれは…)
彼の視線の先には2つの見慣れた顔があった。
「拓摩!航輔!」
「おはよー、治広」
先に挨拶を返して来たのが相川拓摩。
少し茶色がかった髪と、おとなしそうな表情が特徴だ。しかし、友達思いで友情等に関しては時々熱くなってしまうという一面も持っている。
「………あぁ、治広おはよぅ~。…ふぁ~」
そしてもう1人。
眠たそうに目をこすりながらあくびをしているのが篠原航輔だ。実は彼も治広と同じように…いや、それ以上に朝に弱い。
とはいえ、彼はただ朝に弱いだけだ。
いつもは意志がとても強く、一度決めたことは決して曲げようとしない。
まぁ、そんなわけだから融通がきかないという欠点もでてくるのだが…。
この2人は治広の幼なじみだ。
治広が小さい頃に引っ越して来たのに対して、拓摩と航輔の2人は生まれもここ竹前町である。
3人が初めて出会ったのは、今から8年ほど前。
治広の家族がここ竹前に引っ越して来た時のことだった。
そんな3人は小学校の6年間ずっと同じクラス。
ほとんどの時間一緒にいたため、小学校の先生方から『いつもの3人』とか言われるようになった。
治広は中学生になってもそうなるだろうと踏んでいたのだが……
「拓摩だけ別のクラス?」
「そうなんだよ、ほら!!」
確かに、『相川拓摩』の名前だけ少し離れた場所にある。
「…ふっふっふっ……」
「?」
「?」
突然聞こえた不思議な声に、首を傾げる治広と拓摩。すると…
「遂に俺の出番かぁー!」
「「!!」」
さっきまで眠たそうにしていた航輔が急に叫んだ。
「拓摩、お前だけ違うクラスかぁ~」
「何が言いたいんだよ…?」
(あっ、またいつものか…)
治広はこの時点で分かっていた。
そう。彼の思っている通り、このやり取りはいつものことだ。
まず航輔が拓摩に何かを含んだ物言いをすると、拓摩がそれに反応する。
「別にいいでしょ!別に2人しか友達いないわけじゃないし!!」
「そうは言うがなぁ~」
「…分かった。僕が一緒のクラスじゃなくて、寂しいんでしょ?」
反撃する拓摩。
「何ぃ?」
思わぬ反撃にたじろぐ航輔。
そして……
「だから!僕が同じクラスにいなくて寂しいんじゃないかって言ってるんだよ!!」
「そ、そんなわけねーし!!」
言い合う2人。
「テメェ、ふざけんなよ!」
「別にふざけてないけど?」
「はいはい、そこまでだ!」
あまりに白熱しているように見えたので、治広は止めに入った。
「……………」
「…………?」
しかし、拓摩も航輔も不思議そうな顔をする。
「なんで止めるんだ?」
「いや、とりあえず落ち着けよ2人とも」
「落ち着けも何も…」
「もう、落ち着いてるじゃん」
「…そ、そうだな…」
この2人の面白い所はここらしい。
いつも一緒にいる治広でも本気の喧嘩か、ただふざけているだけか分からないほどに白熱した状況からでも、すぐに元に戻っている。
治広曰わく「こんな器用なこと俺にはできない」らしい。
まあ、それが器用なことかどうかは置いておこう。
と、こんな2人を治広は友人としてとても大事に思っている。
「いや、そうじゃないだろ?」
「そうかな~?」
どうやら再び始まったみたいなので、後ろを振り返ってみた。
その瞬間風が吹いて───
「これは……」
絶景だった。
風に飛ばされた桜の花びらが、ヒラヒラと踊るように地上へと降っていく。
治広はつい見とれてしまった。
彼に桜を愛でるような雅な趣味があるわけではない。彼はある時の情景を思い出していたのだ。
「……………」
「………治広?」
「腹でも痛いのか?」
「……えっ!?」
ただ何もせず、突っ立っているだけの(ように見えた)治広に拓摩と航輔が声をかける。少し心配そうだ。
そんな2人の様子を面白く思った治広はわずかに笑いながら答えた。
「大丈夫…何でもないよ」
「そうか、ならいいんだ」
「だね」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
『キーンコーンカーンコーン』
「!!」
「!!」
「!!」
3人の沈黙をかなりポピュラーなチャイムの音が破った。
「やべぇ、遅刻する!!」
「走るぞ!2人とも!!」
「いや、僕逆方向なんだけど……」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「……………しまったぁー!!」
「お前ら漫才やってる場合かっ!」
治広は航輔の手を掴み、走り出した。
「じゃあまたな、拓摩」
「うん、また後で」
別のクラスの友人と一旦の別れを告げ、全力で。
果たして間に合うのだろうか?