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墓場から  作者: バスターマン
2/3

紅白戦

2月最終週。

碧海シーレオンズ2軍の紅白戦が組まれた。オープン戦を前にした実戦形式の練習試合だ。1軍は別グラウンドで1軍同士の紅白戦。2軍は2軍だけで行う。それがこの球団の序列だった。


ロッカーでユニフォームに着替えていると、藤崎監督が近づいてきた。


「柊。」


「はい。」


「今日の紅白戦、スタメンで使う。紅組だ。」


隼人の手が一瞬止まる。


「6番、ショート。打順も守備位置も、お前が一番慣れているところだ。」


「……はい。」


「結果を出せ。」


それだけ言って藤崎は去っていった。励ましでも期待でもない。事務的な確認に近い口調だった。


隣のロッカーで丸山が声をかけてくる。


「おお、スタメンじゃん。よかったな。」


「ああ。」


「俺も紅組だ。7番レフト。今日はアピールしないとな。」


笑ってはいるが、目の奥は硬い。丸山にとっても、この紅白戦はただの練習ではない。


グラウンドに出る。2月の終わりとはいえ、海風はまだ冷たい。スタンドは空っぽで、ベンチ裏に球団スタッフが数人いるだけだった。


紅組と白組に分かれる。

白組の先発は田所健二。独立リーグ上がりの29歳。最速は130キロ台前半だが、低めへの制球と緩急でカウントを作る典型的な2軍用の右腕だ。球威で押すタイプではない。ゾーンの出し入れと配球で打者を崩す投手。


紅組の先発は朝倉翔。ストレートの質はいいが、制球が安定しない。隼人と同じように「2軍では通用するが、1軍では壁に当たっている」存在だ。


打てるはずだ。

少なくとも、打たなければならない相手だ。


試合が始まる。


1回表、隼人の打順は回ってこなかった。三者凡退。

その裏、守備に就く。ショート。グラブをはめると体の感覚がはっきりする。送球の距離感、打球への初動。ここだけは今でも1軍基準に近い自信があった。


朝倉は立ち上がりに四球とヒットで走者を背負ったが、ショートフライと内野ゴロで切り抜けた。隼人はゴロを処理して二塁に送る。ダブルプレーは取れなかったが、送球は正確だった。


「ナイス。」


ベンチから桐生の声が飛ぶ。

守備では評価される。だが、今欲しいのはそれではない。


2回表。

6番、柊隼人。


名前がアナウンスされる。観客はいない。それでも自分の打席だという現実だけははっきりと響いた。


バッターボックスに入る。マウンドの田所を見る。構えに無駄がない。セットに入るまでの動作が小さく、リリースポイントが安定している。球速は遅いが、タイミングは取りづらいタイプだ。


初球。

外角低めへのストレート。


思ったよりも伸びてくる。

振り出したバットの先を、ボールがわずかに追い越す。


空振り。


球速の問題ではない。フォームの再現性と、指にかかった回転数。打者の目線で見ると、表示以上に「速く見える」球だ。


二球目。

内角に沈むチェンジアップ。


見送る。ボール。


三球目。

外角へ緩いカーブ。


わかっていた配球だった。ストレートでカウントを取り、緩い球でタイミングをずらす。2軍で何度も見てきた組み立てだ。それでもトップが下がりきらないままバットが出る。


ファウル。

芯を外した乾いた音。


追い込まれた。


四球目。

真ん中低めへのストレート。


来るとわかっていた。

それでもスイングがワンテンポ遅れる。


打球はセカンドゴロ。

インパクトで押し込めず、角度もつかない。


アウト。


遅い球なのに差し込まれる。

田所のストレートは1軍では通用しない球質だ。だが、その球を2軍ですら完璧に捉えられない自分がいる。


ベンチに戻る。

村瀬は何も言わない。スコアシートに視線を落としたままだ。


なぜ合わない。

なぜ、振り遅れる。


球速ではない。

体の反応だ。初動、踏み込み、上半身と下半身の連動。わずかなズレが、そのまま凡打になる。


自分は今、技術的に下り坂に入っているのか。


そう考えたくはなかったが、バットの感触がそれを否定してくれなかった。


3回、白組の攻撃で朝倉が崩れた。四球と安打で走者を背負い、2番手の左腕・石井に交代する。だが流れは止まらず、外角の直球をライト前に運ばれて2点を失った。


0対2。


2軍の紅白戦とはいえ、点差はそのまま評価に直結する。


4回表。

再び隼人の打順が回ってきた。


田所はまだマウンドにいる。球数は多くない。テンポもいい。2軍で長く投げ続けてきた投手特有の、省エネで無駄のない投球だ。


バッターボックスに入る。

深く息を吸い、スタンスをわずかに広げる。踏み込みを早め、差し込まれないように意識する。


初球。

真ん中やや高めのストレート。


来た。

本来なら、叩くべき球だ。


だが体が反応しない。

一瞬の躊躇。その分だけバットが遅れる。


見逃し。ストライク。


2球目。

外角低めに沈むカーブ。


スピード差に対応しきれず、スイングが泳ぐ。


空振り。


3球目。

内角へのストレート。


今度は振りにいく。だが踏み込みが浅い。インパクトが体の前に来ない。


ファウル。根元に当たった鈍い音。


追い込まれた。


4球目。

外角低め、チェンジアップ。


わかっていた。決め球はこれだ。


それでも体は前に突っ込む。

ブレーキが利かない。


空振り三振。


ストレートについていけず、変化球にも対応できない。

技術の引き出しは頭にある。だが体がその通りに動かない。


ベンチに戻ると、桐生が小さく声をかけた。


「ドンマイ。」


慰めだとわかっているからこそ、胸に重く残った。


5回、白組がさらに1点を追加し、0対3。


6回表。

隼人の3度目、そしてこの試合で最後の打席。


白組は投手を交代していた。

荒木大輔。24歳。球速は145キロ前後まで出るが、制球が荒く、ゾーンにまとまらないタイプだ。


速球派。

田所とは対照的な投手。


バッターボックスに入る。

今度は差し込まれないよう、始動をさらに早める。


初球。

真ん中高めに浮いたストレート。


振る。


ファウル。

ヘッドは出ている。だが芯を外した。ミートポイントがまだ前に来ていない。


2球目。

外角へのスライダー。


見送る。ボール。


3球目。

内角高めのストレート。ボール球だが威圧感がある。


手が出かかり、止める。1ストライク2ボール。


4球目。

甘い。

真ん中やや低め。


今度こそ。


振り切った。


打球は上がる。

角度はついた。だが初速が足りない。


レフトが数歩下がって捕る。

外野フライ。


力負けではない。

だが、完璧に捉えた感触もない。


3打席、3凡退。


ベンチに戻る。

その直後だった。


7回表。

紅組が一死二塁のチャンスを作る。


「代打、水島。」


藤崎監督の声。


水島勇気。

20歳。隼人の後輩で、ショートのライバル。


荒木の初球。

甘いストレート。


水島は迷いなく振り抜いた。


インパクトの音が違った。

ヘッドが走り、打球に強烈な回転がかかる。


打球は伸びる。

レフトが下がる。

フェンス際。

そのまま、越えた。


ツーランホームラン。


3対2。


ベンチが沸く。

若い身体が、速球に正面から負けない。


隼人は立ち上がり、拍手を送る。

その手が震えていることに気づいた。


なぜ震える。

悔しさだけではない。


荒木のストレートは、今の自分にも打てる球種のはずだ。

だが、水島のような初速と角度は出せなかった。


反応速度。

スイングスピード。

踏み込みの強さ。


若さという言葉で片づけたくない差が、そこにあった。


試合後、ロッカーで藤崎監督に呼ばれる。


「今日の打撃、見た。」


「……はい。」


「田所も荒木も2軍レベルだ。それでも結果が出ない。」


事実だった。


「当分は2軍だ。上で使える内容じゃない。」


「……わかりました。」


ロッカーの鏡に映る自分の顔を見る。

28歳。

目の下に疲労の影。


バットを握る手を見つめる。

あの震えは、恐怖でも嫉妬でもない。


――この球速帯で、もう差し込まれ始めている。


プロとして、その事実を理解してしまった身体の反応だった。


寮に戻る。

弁当を前にしても、箸が進まない。


2軍では打てるはずだった。

その前提が、音を立てて崩れ始めている。


窓の外、海鳴り。


墓場と呼ばれるこの場所で、

自分はもう、埋まり始めているのかもしれない。


それでも、明日もバットを振る。

振らなければ、何も残らないから。

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