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8.優しさと似た棘の中で


 文化祭が終わってから、俺と(はやて)先輩はまた一緒に下校をするようになった。

 ただ、文化祭から一週間が経った、金曜日のこの日。夕方のSHRが終わっても、先輩は俺の教室には現れなかった。

 最近、深緑のネクタイをした三年の先輩たちを、よく図書館や職員室で見かける。受験まであと少しなのだと思うと、颯先輩も今頃、他の先輩たちと一緒に勉強に励んでいるのかもしれない。

 俺はスマホを開いて、颯先輩とのトークアプリを開いた。


《颯先輩、今日は忙しいですか? 勉強が大変なら、俺は一人で帰ります》


 とりあえず、一通だけ送ってみる。だが、しばらく経っても颯先輩からの返信はない。

 颯先輩は連絡先を交換してからというものの、時々、俺がメッセージを送れば、すぐに返事が来るような感じだった。待ち侘びたように連絡を返してくれる。

 だから、ちょっと、あれ? と違和感を覚えた。


「もしかして、寝てる……とか?」


 たまに颯先輩を校内で見かけるとき、眠そうにあくびをしていることが多い。

 俺はリュックを背負って、三年生の校舎の方に向かってみることにした。

 渡り廊下から建物に入ると、下校中の上級生からじろじろと視線を向けられた。

 見慣れない顔──というよりも、たぶん、俺は姉さんのおかげで、だいぶ有名なのだろう。

 通りすがりに「え? あいつ雪音先輩の弟?」「めちゃくちゃ綺麗な顔してんな」「この前の文化祭も、あいつのおかげで一年二組が売上トップだったらしいぜ」なんて、俺のことを言う声が聞こえた。


 顔が綺麗だとかそういうのは、高校に入って何度も言われたので、だいぶ慣れては来たけれど。それでも、じろじろ見られるのはやっぱりまだ怖い。

 たった、二歳の差。でも、その二歳の違いが、高校生にとっては大きい。先輩たちのテリトリーに足を運ぶのはほんの少し、緊張感が走る。

 でも、颯先輩は三年生で特に目立つというのに、いつも俺のクラスまで迎えに来てくれる。俺も、頑張らなきゃ。


 たしか、颯先輩のクラスは三年八組。三年生は文理わけされてるから、一組から五組が文系で、六組から十組が理系だと聞く。

 三年の校舎は一階に校長室やら保健室やら、何かとあるので、二階からが教室だ。俺たち一年と同じ並び順なら、たぶん、三階にあるはず。

 俺は颯先輩が前回、誕生日プレゼントの受け取りを拒否していた階段へ近づき、一度だけ深呼吸をした。そして、いざ出陣とでも言わんばかりに、俺は覚悟を決めて階段をのぼりはじめる。


 三階まで上がると、三年生のクラスも俺たちと同じ教室の配置だった。六組から十組までがこの階にある。どうやら、三年生でも放課後すぐに帰る人もいれば、教室に遅くまで残っている人もいるらしい。手前の六組と七組には大体、クラスの三分の一くらいの人がまだ残っていた。

 その人たちの視線を少しだけ感じながら、俺は八組へと近づく。

 前のドアから八組を覗くと、他のクラスと違ってほとんど人がいない。クラスによっても全然違うんだな──と思いながら、教室の中を見回したとき、俺は颯先輩と思わしき人を見つけた。

 予想通り、眠っていたらしい。教卓から近い前から二番目の席に、机の上にうつ伏せている茶髪の先輩がいる。身体も大きいし、絶対、颯先輩だ。


「あ……起こす……べき、なのかな?」


 颯先輩のクラスに来たものの、そこまで考えてはいなかった。気持ちよく眠っているのなら、邪魔してはいけないだろうし。うーんと、俺は廊下で考え込む。そのとき、教室の一番後ろの席で勉強していた女の先輩がこちらを向いているのに気がついた。


 美人という言葉が凄く似合う、綺麗な人だ。でも、どこか見覚えのあるその人は、ペンを握る手を止めたまま、にらみつけるように俺をじっと見つめている。嫌悪感を露わにしたようなその表情に、俺はたじろいだ。

 なんでそんな顔をされているのか、俺には分からない。


 もしかして、告白してきてくれた人の中に、あの先輩がいたとか?

 でも、これだけ綺麗な人だったら、俺でも覚えていると思う。

 頑張って思い出そうと視線を逸らして考えていると、ガガッと椅子を引く音がした。

 その先輩は不機嫌そうな顔をしながら立ち上がって、後ろのドアから廊下に出た。そして、俺の方に向かってくる。

 あ、もしかして「受験生の教室を覗かないでくれる?」とか「勉強の邪魔になるから他で待ってもらえないかな」とか、言われるのかもしれない。

 俺は今さらそんな考えに至って、むやみやたらに三年の教室に来てはいけないと反省した。

 ところが、その先輩は本当に、ただ俺が嫌いなようだった。


「ごめんね。じろじろ見ちゃって。……君さ、最近、颯の隣によくいる子だよね? ちょっとこっち来てくれる? ここで話したら、颯が起きちゃうかもしれないから」


 有無を言わさない圧をかけてくる先輩の声音は、これまで聞いたことがないくらい、冷たいものだった。

 この先輩は、俺よりも随分と身長が小さい。俺の方が下から見上げられている状態だし、力なら男の俺の方が勝てるはず。それなのに、美人の鋭い眼光は怖い。

 俺は一度だけ、颯先輩の方に視線を送る。でも、この場で声をかけて助けを求めるわけにもいかないから、仕方なくその先輩の言う通りにすることにした。

 大丈夫。大丈夫。俺のブレザーのポケットには、シラユキさんとハヤカゼさんがいる。ふたりがいるんだから、きっと怖くない。


「はい。大丈夫です」

「そう? ありがと。じゃあ、こっち」


 その先輩は俺が着た道とは違う、三階の奥に向かった。

 先輩に連れてこられたのは、選択授業などで使われるであろう少人数教室だった。他の教室とは違って、こぢんまりとしていて、机や椅子の数も少ない。

 先輩はすぐ近くの机の上に腰を下ろして、俺の方を向く。


「いや……別に、颯の隣に誰がいたっていいんだけどね。……君、ほんと、雪音先輩にそっくりで、びっくりしちゃったの。思ってた以上に、似すぎててさ……。雪音先輩本人かと、ちょっと間違えちゃいそうなくらい」


 女の先輩はそう言いながら、口元を緩ませる。でも、その目は全く笑っていなくて、俺は「えっと」と、戸惑った。


「……君さ、颯のこと好き? あ、ほら……別に今ってさ、男同士とか女同士とか、色んな恋愛に寛容な時代じゃん。だから、そんな身構えなくてもいいよ?」


 まさか俺の気持ちが第三者にバレているなんて思いもしなくて、俺は息を呑んだ。

 俺はまだ颯先輩に、自分の口ではっきりと 好きって伝えていない。

 それなのに、こんなに簡単に知らない誰かに俺の気持ちを口にされるなんて思いもしなかった。俺の気持ちを踏みにじられているような気がして、悲しさと悔しさが胸に生まれる。

 いつの間にか、俺はきゅっと握り拳を作っていた。


「でもさ……ほら、颯って優しいでしょ。誰にでも。……だから、君も、勘違いしちゃっただけなんだと思うの」

「え……?」

「だって君、ほんとは男の人が好きなわけじゃないでしょ? ゲイって言葉知ってる?」


 先輩に問われて、俺はすぐに答えられなかった。

 だから、余計に先輩は俺になら強く言えると思ったのかもしれない。

 

「君、もともと人との付き合い苦手そうだし、颯が優しくするから、恋って勘違いしてるんだと思う。たぶん、それ優しいお兄ちゃんが出来たみたいな感覚だよ。……それか、人として好き、とか。颯によしよしされて、そう思っちゃったんだよね?」


 先輩は柔らかい口調で言ってきたけれど、俺の颯先輩に対する気持ちを確実に否定してきた。


 俺は颯先輩に対するこの感情を、恋愛だと思ってる。だけど、俺はたしかに、この先輩が言う通り、男の人に惹かれるわけじゃない。今まで、一度として男の人に好意を持ったことはなかった。

 というか、そもそも女の子に対してもそうだ。好きになった相手が颯先輩以外いないから、俺の恋愛対象が男か女かなんて、わからない。

 

 それでも、俺は……颯先輩にだけは触れてみたいって思った。颯先輩が靴箱の前で俺の目線に合わせてしゃがみ込んでくれたあのとき、たしかに俺は、あの人に触れたくて手を伸ばした。

 それなのに、俺のこの気持ちって……周りから見たら“勘違い”って思われるような軽いものなのだろうか。

 それとも、他の人から見たら、颯先輩がくれる優しさは単なる後輩への気遣い──または、元カノの弟への優しさであって、俺が勝手に“先輩の意図しない意味”で受け取っているように見えるのだろうか。


 悔しかった。なんで、颯先輩への気持ちを、この知らない先輩に否定されなきゃいけないのか。

 だって、颯先輩のことを考えただけで、俺はこんなにもすぐ苦しくなるのに。

 颯先輩の誕生日のときだって、この校舎の階段で、俺なんかを好きになるわけがないって思って、胸が張り裂けそうだった。

 もし、本当にただ単に、颯先輩がただの優しさを与えてくれていただけだとしても。それを、俺が“勘違い”して受け取っていたとしても。颯先輩は、家族以外で俺のことを丸ごと、受け止めてくれた人に変わりはない。

 俺はそんな先輩に、惹かれた。それがすべてだ。

 俺が好きって思ったなら、もう恋でいいと思う。

 たとえ、颯先輩のこれまでの言動がすべて、異性に思うような感情じゃなくたって、いい。俺が……勝手に颯先輩を好きなんだから。俺が颯先輩を好きなだけだから、別に……同じ気持ちを返してもらえなくてもいい。

 目の前にいるこの先輩に、俺の颯先輩への気持ちを伝えたくなんかないけど、こんな俺にだって、プライドがある。


「……それでも、俺は颯先輩が好きです。その気持ちを、勝手に否定されたくはありません」


 まっすぐ先輩の顔を見て言った。


「へぇ……君、女の子によくモテるし、うちの学年でも気になってる子いっぱいいるよ。それでも、お姉ちゃんの元カレでいいんだ? 変わってるね。……颯、まだ雪音先輩のこと、忘れてないと思うよ」


 この人の言葉で、俺はようやく思い出した。階段のところで、颯先輩に姉さんのことを話していた人だ。颯先輩に誕生日プレゼントを渡そうとしていた──……たしか、浅川先輩だっけ。

 もしかして、浅川先輩も颯先輩のことが好きだから、姉さんのことがちらつく俺に、そばに居て欲しくないのかな?

 俺だって、颯先輩を好きだって思ってから、その目で他の人を見て欲しくないって思うようになった。颯先輩が他の人には見せない優しい顔で、自分以外の人に話しかけないで欲しいって思うようになった。

 それに俺も時々、姉さんの影には全く追いつける気がしなくて、情けなくもなる。姉さんは完璧だ。俺と、違う。

 ……だから、この先輩の気持ちも、よく分かる。

 颯先輩の隣に立ちたい気持ちも。その場所を誰かに奪われたくない気持ちも。姉さんの影ばかりを追って欲しくない気持ちも。

 でも、それでも俺は誰に何を言われても、颯先輩のそばにいたい。颯先輩が俺を遠ざけようとしないなら、姉さんの元カレだって知ってても離れたくない。


「えっと……浅川先輩ですよね? ご忠告、ありがとうございます。……それでも俺、頑張ってみたいです。姉さんにはちょっと敵わないかもしれないけど……振り向いてもらえないかもしれないけど……俺自身が、颯先輩のことが大好きなんです」


 浅川先輩は驚いたように目を見開いた。でも、すぐに平常心を取り戻したように、すんとした顔に戻る。


「あっそう。でも、忠告はしたからね? あとで泣いても知らないから。颯って、へらへらしてるけど、実は鉄壁のガードしてるから、あいつに泣かされる子、多いんだからね」


 浅川先輩はそう言うと、すぐに教室の扉を開けて、廊下に出た。

 なんだか、浅川先輩が慌てた教室を出た様子を見て、俺はちょっと不思議だった。あの人の気持ちが、少しだけ透けて見える。まるで、俺が傷つかないように助言でもしようと呼び出したかのような──。


「もしかして……浅川先輩って、不器用?」


 ずっと凄むような雰囲気があったけれど、ただ単に、俺に忠告したかっただけなのかもしれない。そう思ったら、あの人は良い人なのかもしれないと感じた。少し怖かったけど。


「えっと……颯先輩のところに行くの、どうしよ」


 浅川先輩が教室に向かったなら、颯先輩のところに行くのは少し気まずい。俺はどうしたらいいか途方に暮れた。

 けど、やっぱり颯先輩のところに向かうことにした。

 今日は、俺の、颯先輩への気持ちを守ることができたのだ。ちょっとくらい、先輩の前で胸を張りたい。

 だから、俺は誰もいない教室を後にして、颯先輩のもとへ急いだ。



***



 颯先輩のクラスに戻ると、浅川先輩はもういなかった。あのあと、すぐに荷物をまとめて帰ってしまったらしい。受験勉強をしていたはずなのに、俺が邪魔したような形になって申し訳なくなる。

 それに、他にもいた先輩たちもいなくて、夕暮れが差し込んだ教室にはたったひとり、颯先輩だけがいた。


「……先輩ってば、ほかの人に起こしてもらえなかったのかな?」


 颯先輩がクラスで浮いてたらどうしよう……と一瞬考えたけど、さっきの先輩とか、たぶん他にも気にかけてくれる人はいると思い直した。颯先輩は交友関係も広いみたいで、誰から構わず話をしてるイメージ。すっと人の懐に入っていくから、みんなに好かれてる。

 だから、意図的に、先輩をそのままにしてあげているのだろう。いつも、眠そうだし。


 俺は「失礼します」と教室に入る前に挨拶をして、颯先輩の隣まで行く。

 颯先輩はすっかり夢の中らしい。うつ伏せているので顔は見えないけれど、寝息を立てているのは分かった。

 とりあえず、俺は隣の席を拝借することにして、椅子を引く。腰を下ろして、ちょっとだけ、先輩と同じクラスになったような……そんな気分を味合わせてもらう。


「……颯先輩と同じクラスだったら、こんな風に見えるのかぁ」


 きょろきょろと教室を、見回す。俺のクラスとは違う受験まであと何日という黒板の文字や、三年の時間割。机と椅子はほとんど同じなのに、目に入る風景は少しずつ違う。

 そして、ちらっと、颯先輩の方を見た。

 もし、ここが本当に俺たちの教室なら。同じクラスなら。俺たちはどうだったんだろう?

 俺には一緒に授業を受けるなんて、一生来ることのない未来。少しだけ想像する。


「もし、同級生だったら……こほんっ。……西野くん、起きなよ。……ううん、違うな。西野、起きろー。……これも違う。……颯、起きなよ。……うん。たぶん、同じクラスだったら、こんな風に颯先輩に、声かけたのかな。…………今の俺には出来ないや」


 自分でも何をしてるのか分かんないけど、颯先輩は寝てるから、少しだけ楽しませてもらった。

 絶対に有り得ない未来だけど、虚しくも、悲しくもない。一緒のクラスじゃなくたって、まだほんの少しだけしか一緒にいなくたって、これまで颯先輩は俺の隣に居てくれようとしてくれた。それだけで十分。

 それに、今、少し同級生ごっこできるだけでも、幸せだなって、俺は思う。後輩だから、先輩とそんなことを妄想する楽しみがあるんだから。

 なんて思っていたら、颯先輩が「ん……」と声をあげながら、身じろぎした。


「……起きたかな」


 小声で呟くと、颯先輩が「……さっきから、ユキちゃんの声がする気がする」と言い出す。急にのそっと起き上がって、俺の方を見た。


「……おはようございます。ゆっくり寝られましたか?」


 俺がそう言うと、颯先輩は瞬きを数回繰り返した。そして、勢いよく目をごしごしと擦る。


「ユキちゃん、なんで? 俺の教室に? あれ……? 夢?」

「……夢じゃないですよ。起こしに来ました。颯先輩に、会いたかったから」


 颯先輩は口を開きかけたけれど、すぐに閉じた。そして、顔を背けて机に肘をついて口元を覆う。


「なんでユキちゃんはいつも……そんな可愛いことばっか」


 そう言う先輩の耳が、ほんのり赤く染まっている。

 これが俺の“勘違い”なら、それでもいい。

 颯先輩の可愛い一面を知れるのなら、それでよかった。



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