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7.それでも今日も、普通のふりをしていた


 (はやて)先輩の誕生日から一週間が過ぎ、文化祭二日目の朝。一日目の疲れが取れないまま、俺は教室の隅でうずくまっていた。

 どうやら、うちのクラスの目論見は当たっていたらしい。

 普段から和装する機会が少ないからなのか、和装限定コスプレ写真館は大盛況。昨日は、長蛇の列ができて、うちのクラスはてんてこ舞いだった。

 俺もお客さん(ほぼ女子)とのツーショット撮影をたくさん撮ることになり、ほとんど休憩をとることもできなかった。途中から息も絶え絶えで、柳川が俺の水分補給をひたすらさせてくれてたっけ。


 今日も忙しくなる可能性もあるけど、三輪(みわ)さんや香川(かがわ)さんから「今日は休憩とらせてあげられるようにするから!」とは言われた。ただ、俺だけじゃなくて、彼女たちも働きっぱなしだ。

 すでに二日目が始まる前から疲労困憊だけど、女子二人が頑張っているのに、男の俺がへばってどうするんだって思う。パシッと両頬を軽く叩いて、俺は自分に気合を入れる。


「お疲れ、書生さん。秋だからって、油断してたら脱水になるよ~」


 その声に顔を上げれば、颯先輩が俺の目の前に立っていた。


「噂で聞いてはいたけどさ……思ってたより、ユキちゃんの和装が似合い過ぎてて、今日の模試どうでもよくなってきたかも」


 わけのわからないことを言って片手で口元を押さえながら、颯先輩はその手にあるスポーツドリンクを差し出してくる。

 色んな人に和装が似合ってるって言われ過ぎて、俺はだいぶ賛辞には慣れた。

 それなのに、やっぱり颯先輩からの言葉は別らしい。初めてコスプレ姿を見られてしまった羞恥心もあったけど、褒められたことで一気に身体の熱が上がるのを感じた。


 ただ、ちょっとだけ複雑な気持ちもある。

 この人は……なんで、普通に俺に話しかけられるのかなって。

 颯先輩の誕生日に、夕暮れの靴箱で俺が頬に触れたことも。キツネの名前を明かしたことも。颯先輩って呼んだことも。全部、俺にとっては特別だった。

 だけど、文化祭のドタバタの中に流されてしまったみたいに、颯先輩からなかったことにされている感じがする。


「あの日のことって……夢だったのかな」


 颯先輩には聞こえないように、ぼそっと呟く。


「ん? 何か言った? てか、ほんとユキちゃんこれ飲んで。顔、赤いから心配になる」


 俺の独り言は届いていなくて、颯先輩はしゃがみ込んで、ペットボトルの蓋を開けてくれた。あの日のことをなかったことにされるのは嫌だけど、俺は颯先輩の好意で差し出されたそれを「ありがとうございます」とだけ言って、素直に受け取る。

 すると、颯先輩は満足げに「うん。じゃ、模試行ってくるねー」と言って俺の頭をひと撫でして、ひらひらと手を振って去っていった。

 本当に、ただの善意で俺のところに来てくれたみたいだ。


「……颯先輩は俺のこと、どう思ってるんだろ」


 俺は膝を抱えるようにして頭を伏せて、またひとり呟く。

 でも、一度でも声に出してしまったら、疑問が表に顔を出しかける。

 知りたかった。

 あの日、颯先輩は俺と同じ気持ちだったのか。

 もう、姉さんのことはどうでもいいのか。

 それとも、俺を姉さんと重ねているのか。

 好きという感情の分だけ、俺の心の奥に残る複雑な想いが、今にも口からこぼれ落ちてしまいそうだった。



***



 文化祭二日目ともなれば、少しは客足も遠のくかと思ったのだけれど、やはりこの日もうちのクラスは盛況だった。

 教室の奥には縁側風と書庫風の撮影ブースが2つ作られていて、手前にはパーテーションで区切られた着付け場所が男女別にある。受付は廊下にあるけれど、パーテーション前には椅子が並び、着替え待ちの人はそこに座っている。だから、お客さんに見られながらの撮影だ。


 着付けが終わった人から順番に写真を撮っていくのだけど、書庫風ブースは指名料を取るというのに、同じく大正感のある袴姿の女子たちが次から次へとやってくる。

 こういうとき、おばあちゃんの店の手伝いをしていてよかったと思う。俺には、颯先輩のように初対面の人とでもぐいぐい距離を詰められるスキルはない。けど、ある程度の接客姿勢は身についているからか、疲れを顔に出すことなく写真撮影に臨めていた。

 

 とはいえ、一緒に撮影しようとする女子の視線や会話がどんどん俺の周りを騒がしくしているはずなのに、その声は全く近くなかった。くぐもった音が周りを包み、ただ四方で映像が流れているような感じ。

 いつの間にか、疲れすぎて感覚がおかしくなっているのかな。この場の賑やかな雰囲気は、俺だけを置きざりにしているようだった。

 そんな風に、ぼんやりと俺という存在が薄まっていく中で、ふと誰かの視線を感じた。

 色んな視線がこちらに向けられているのに、俺はピンポイントで教室の入り口の方を見る。そこには颯先輩がいて、どこか不機嫌そうな顔をしていた。


 もう、昼過ぎだっけ……。なんて考えていたら、先輩が着付け待ちの椅子に座るわけでもなく、俺の方へと近づいてくる。


「ねぇ、ユキちゃんいつから休憩してない?」


 撮影をしていた三輪さんに、颯先輩が話しかける。

 三輪さんは一瞬ぽかんとしたけれど、すぐに「え、あ……えっと、たぶん、朝からです」と答えた。颯先輩は一拍おいて、にっこりと笑う。


「じゃあ、ユキちゃん、俺と交代しよっか」


 その場の空気が「え……?」と、凍る。

 俺も、頭が働かなさ過ぎて、颯先輩が何を言っているのか分からない。


「……せんぱい?」

「休憩してないんでしょ」

「……きゅうけい……あ」

「少しでもいいから休憩して。その間は俺がなんとかしてあげる」


 颯先輩は、俺に有無を言わさないというような顔を向けてそう言う。そして、続けざまにとんでもないことを口にした。


「ねー、みんなー? どうせならさ、俺とユキちゃん二人の撮影会にしたほうが、色んな意味で、良いと思わない?」


 教室内が一拍の静寂を挟んで、一斉にどよめいた。


「着付け係の男子! 早く来て! 西野先輩の着付け頼んだ!」

「先輩は……えー、もう何色でも似合いそう」

「篠宮くんが茶色系だからー……先輩はクールに紺とか黒とか?」


 着付け係がパーテーションの向こうから飛び出してきたかと思えば、早速数名で作戦会議を始める。みんな、本気で売上一位を目指しているのもあって、目が真剣だった。

 あっという間に颯先輩は、男子の着付けが行われているブースに連れて行かれる。

 その間も、俺は撮影を続けていたけれど、頭の中では、颯先輩の顔が焼き付いていた。


 先輩は軽い口調で撮影を提案していた。けど、あのときの目が「俺を誰にも触らせたくない」って言っているように見えた。

 ……なんで、俺にそんな顔をしたんだろう。ねぇ、姉さんのこと好きじゃないの? 颯先輩。俺たち、同じ気持ちって……思ってもいいの? 

 あれは俺の気のせい……?

 俺の心は、台風の日の荒れた海のように、激しい波に襲われていた。


 しばらくして、颯先輩の着付けが終わったらしい。パーテーションの向こうから、香川さんの「あのっ、西野先輩、ぜひうちの店のモデルしてくれませんか!」と勧誘する声があがる。

 出てきた颯先輩は、薄墨の長着に黒の羽織を着ていた。

 先輩も、俺のように袴を着てくるものだと思っていた。でも、たしかに羽織の方が絶対に、先輩の雰囲気に合っている。飄々とした先輩は、同じ十代の青年だというのに、相変わらず色気をまとっていて、つい見惚れてしまう。

 周囲の皆も、颯先輩の存在感に圧倒されたかのように、息を呑む音が聞こえたような気がした。


 そんな颯先輩は周りの視線を楽しむように、やんわりと笑いながら「モデルとかその辺は、あそこにいる俺専属のマネージャーに聞いてくださいな」なんて言って、俺の方を見た。

 教室がざわめきで沸く中、俺だけは頬の奥がじわりと熱くなる。

 颯先輩から“俺専属”って言われて、嬉しくないわけがない。俺だけが特別だって言われているようなその答えに、胸が高鳴らないわけがない。


 俺のその様子に気づいたのか、颯先輩は満足げに目を細める。そのすぐあと、俺のもとに戻ってきて「こっちの方がユキちゃんと並んだとき、画が映えるでしょ?」と、皆に聞こえるような声で言った。

 すると、三輪さんが「先輩! その着物のチョイス、最高です!」と親指を立てる。椅子に座るお客さんも、次に撮影を待っている子も、耳まで真っ赤にして頷いていた。


 先ほどまで、うちのクラスの女性客は俺とのツーショットを楽しみにしていたのに。一瞬で、颯先輩が搔っ攫っていく。もうここにいる大半が、俺ではなく先輩を見ている。この教室の空気が、すべて颯先輩のものになっていた。

 その瞬間、颯先輩のあの目がもし、俺以外の“誰か”に向けられてしまったらどうしよう──なんて、俺の心は気が気でならなくなった。

 あぁ、まただ。胸の奥がぐっと締めつけられる。

 だめだ。落ち着け、俺。これはただの文化祭の写真なだけで……。そんなことを考えていると、先輩が俺の両肩を掴んできて、教室の窓の方に移動させられた。

 ちょうどそこには椅子があったので、ゆっくり座らせられる。


「てなわけで……ユキちゃん、ちょっとここで休んでてね」

「え……でも」

「でもじゃなーい。……それと……この場にいるお客さんたちには申し訳ないけど、ちょっとだけ、ユキちゃん休ませてもらっていいかな? 代わりに俺がサービスするから。……ユキちゃんも、そこで俺のこと見ててね?」


 颯先輩は周りを見回しながら、言う。

 立ち姿ひとつでその場の空気を変えてしまうこの人は、顔は笑っているけれど、俺を守るように戦っているように見えた。

 思い返せば、颯先輩はいつも俺のことを助けてくれる。誰にも気づかせないように、俺の前に盾を持って現れてくれるように。

 じわりと涙腺が緩む。

 あなたに守られてばかりで、俺はどうしたらいい?

 どうやったら、もらった分だけの優しさを返せる?

 俺は眩しい光に目を細めるふりをして、滲む視界を必死に誤魔化そうとした。


 俺が休んでいる間、颯先輩は色んな女の子と楽しげに写真を撮っていく。俺はただの背景になったように、その様子をじっと見つめていた。先輩が女子の肩に手を置くだけで、歯ぎしりをしそうになる。腰に手を回されるだけで、声が出そうになった。

 もう何度、自分を保つためにパシッと頬を叩いたか、もう分からない。


 そんな俺を見かねたのだろう。柳が「ほら、これ食べな。こっちも飲めよ」と、他のクラスの模擬店で買ってきた物を渡してくれる。俺はハムスターのごとく、口の中に食べ物を運んで気を紛らわせた。

 ただ、いくら咀嚼しても、飲み込んでも、口いっぱいに広がる苦い気持ちだけはいつまでも、喉の奥に張り付いているような気がした。

 この苦さを解消できるのは、たぶん、颯先輩ただ一人だけ。早く、俺のことを呼んでよと思いながら、もぐもぐと口を動かし続けた。



***



 夕焼けは沈みきって、空は薄墨色に染まりはじめている。

 文化祭二日目が終わり、片付けをしようとしたら、柳をはじめ数名の男子たちが「ずっと動きっぱなしだったし、疲れたろ」「俺らのせいで文化祭も回れなかったよな……?」「あとは俺たちが片付けるから、早く帰れよ」なんて、フォローを入れてくれた。

 俺は「助かる。ありがとう」って、ちゃんと伝えたかったけれど、なんだか上手く言葉が出てこなくて、「あっ。あっ」なんて言いながら、ただぺこぺこと頭を下げまくるだけになった。

 そして今、俺は颯先輩と一緒に、自転車を押しながら帰っている。


「ふぅー……今日はほんと、疲れたねー」


 学校の敷地を出てすぐに、颯先輩は俺の方を見た。

 きっと、俺よりも先輩の方が疲れたと思う。二日間に渡って模試を受けて、そのあと自己採点をして。すぐ、俺のところに駆けつけてくれたのだ。

 本当は今にも崩れてしまいそうなくらい、へとへとなはずなのに、俺にそれを見せないよう、静かに笑っている。

 そんな颯先輩に、ありがとうもごめんもまともに言えてなくて。俺はただ一言「……ですね」と同意しながら、歩調を合わせるように自転車を押し続けた。


「ねぇ、ユキちゃん。……今日の俺、かっこよかったでしょ? 惚れた?」


 ふと、颯先輩は軽口でも言うように、簡単にそんなことを聞いてくる。

 先輩はきっと、俺がツンとした返しをするとでも思っているに違いない。でも、たまには俺の方だって、やり返してみてもいいと思う。


「惚れましたよ。……すごく」


 静かに、伝える。俺の気持ち、少しくらい伝わってもいいよねって。


「……え?」


 颯先輩は数秒間、固まって、その場から動かなくなってしまった。俺は立ち止まって、後ろを振り向く。先輩はうろたえているような顔をしていて、してやったりと俺は笑う。


「え……って、そっちが聞いてきたくせに、なんでそんな顔してるんですか? 冗談で言うなら、最初から言わないでくださいよ」


 俺がそう言ったら、先輩は「あー……もう、それはね……ずるい」なんて言いながら、ぽりぽりと頬をかいて、気まずそうに笑った。でも、すぐに俺の隣まで来てくれる。


「ユキちゃんさぁ……ほんとに惚れてくれてるなら、俺……めちゃくちゃ困っちゃうからね? ユキちゃんこそ、もう冗談は言わないで」

「……さぁ、どうでしょう?」

「あーもう……いつ、そんなの覚えてきたの……?」


 颯先輩が動揺したようにそんなことを言うものだから、俺はちょっとだけ得意げに笑った。


「ずっと、颯先輩に仕込まれてきたんですよ。颯先輩のおかげです」

「……うっ。……それは、俺が悪かったです。てか……ユキちゃん、今、あの日以来はじめて『颯先輩』って呼んでくれたよね?」


 颯先輩のその答えに、俺はもうそれ以上なにも言わなかった。

 俺が名前を呼ぶだけで嬉しそうに反応をする颯先輩が、まるで本当に俺のことを好きでいてくれるようで、嬉しかったから。

 もう少しだけ、この余韻を楽しみたかった。




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