エピローグ
颯先輩が高校を卒業して、三週間と少し経った三月末のこの日。俺は今、ぬいカフェの二階にある先輩のおじさんの家で、荷造りを手伝っていた。
颯先輩が使っていた部屋は、家具はベッドと机、小さめの本棚だけのシンプルさ。荷物もそんなに多くはないので、段ボールもすぐに封をできた。
「全寮制……って知らなかったです」
俺は入寮の手引きと書かれた資料を手にして、ベッドの上に座る颯先輩の方を見る。でも、自分では思っていた以上に不機嫌な顔をしていたみたいで、先輩は俺に嫌われたらどうしようっていうような顔をしていた。
「えっと……雪音先輩も寮だから知ってると思ってたんだけど……もしかしてユキちゃん、俺がゲイって言ったのが引っかかってる?」
颯先輩はそう言いながら、おろおろとした様子でベッドから降りる。俺が座る座布団の隣に来て、正座をした。
「……うん」
「大丈夫だから! たしかにゲイではあるんだけどさ……俺が全部の男に惹かれるわけじゃないからね? 寮でも部屋は個室だし、あー……風呂は一緒でも、時間ずらすし。それに、俺が変なことしないの分かってるでしょ? ユキちゃんにだってまだ……キスしかしてないのに」
颯先輩がお願い信じてって言ってるように、慌てて弁解してくる。わたわたと両手を動かす姿が可愛くて、俺もつい悪戯したくなってしまう。
「タイプの人いたらどうするんですか」
「え、待って。ユキちゃん、今嫉妬してる? 可愛すぎて煩悩がまた沸きそう……って! 違う違う。えっと、ユキちゃんがタイプだから。てか、ユキちゃんみたいな美形で、天使みたいな中身の子、そうそう探してもいなくない?」
「世の中、いっぱい人間っているんですよ……?」
「いるのは分かってるけど。ユキちゃんってほんと……自分がどんだけ綺麗で可愛い存在なのか知らないよね?」
「俺……そんなに言うほどですか?」
颯先輩は俺をいつも誰よりも一番、尊いものかのように言う。それが不思議で、俺は首を傾げた。
「そりゃもう、美人だから。前にぬいパ行った時、東京でも少しぶらぶらしたでしょ? あの時の俺が、どれだけ話しかけられそうになってるの阻止したと思ってんの……?」
「え? そんなことありました?」
「あったよ……! めっちゃ狙われてた! 中にはスカウトっぽい人もいた! ユキちゃん気づいてなかったけどさぁ!」
「えぇ……」
記憶になさ過ぎて、俺はほんと颯先輩しか見ていないんだろうな。自分でも怖くなった。
「だから、ユキちゃん。気にしなくていいから。俺は見た目も中身もユキちゃんが一番なので! それより俺はユキちゃんに変な虫がつかないか心配。俺がいなくなった途端、絶対……またモテるよね。あーやだやだ。綺麗な上に性格まで優しいから、ほんと女の子にモテちゃって。どれだけ俺が追い払って──」
颯先輩はしまった、とでもいう顔をしている。
言われてみれば、先輩と一緒にいるようになってからというものの、俺は告白される頻度が格段に減った。バレンタインは颯先輩がいなかったから、いっぱいチョコもらったけど。
でも、もし、先輩が俺のために暗躍してくれていたのだとしたら、告白を断るたびに辛かった日々から、助けて出してくれていたということなのだろう。
ますます、愛おしい気持ちにさせてくるから、この人には困った。
「颯先輩。大丈夫ですよ。俺は颯先輩しか見てません。……俺、理系科目苦手なので、たぶん、同じ大学には行けないですけど、東京の大学に行きます。だから、住んでる場所は違っても、ちゃんと会いに行ける距離に行くから……二年間、待っててください」
「関東に出て来てくれるの……?」
颯先輩は信じられないという顔をしている。
「行きますよ。颯先輩の近くに居たいから。4年制大学なら、先輩と同じタイミングで卒業ですし。それに、ぬいパも近いから、年パス買っていっぱい通いたいんです……!」
「待って。ユキちゃん。なんか……ぬいパに行きたいって方が気持ち強くない?」
俺の言葉を聞いた瞬間、颯先輩は肩をがしっと掴んでくる。前のめりになりすぎていて、おもしろい。そこがまた、先輩の可愛いところだと思う。だから、俺はつい口元を緩めてしまう。
「違いますよ。ぬいパは『颯先輩と一緒に』行きたいんですから」
「……えぇ~、ほんと、俺の彼氏かっこよすぎるでしょ。美人で可愛くて、その上、中身はかっこいい……あぁもう、泣いちゃうところだった。あぁ~もう、ユキちゃん好き。大好き。一生、大事にする」
颯先輩はそう言いながら、俺を抱きしめてきて、何度も繰り返しほっぺたにキスをしてくる。
俺の彼氏は、想像していた通り、恋人を溺愛するタイプだった。
自分に自信のなかった俺のことを、全部包み込んでくれて、自己肯定感を上げてくれる、そんな彼氏。自分が傷ついてきた分、俺を必死に守ろうとしてくれる優しい人。
だから、きっと大丈夫。この先もずっと、俺たちは手を取り合って、生きていける。
開け放たれた窓から春の風が入り込んでくる。荷物よりも先に、俺たちを未来へ運び出そうとするその風を感じながら、俺は愛しい人に囁く。
「颯くん、俺を見つけてくれてありがとう」