あせ
扉が開き、咲の母、琉美子さんが怪訝な顔でこっちを見ていた。
「あんたたち、何やっとるん?」
さっきまで張り詰めていた水の気配は、私たちの緊張が解けるとともに、ひとしずくも残さず消えていた。
まるで、何事もなかったように。
私達がテーブルから降りると、
「こちらに資料があるといいのですけど、蒼、教えて差し上げて」
琉美子さんの背後から長身の男性が姿を現した。
「あっ」
思わず声が出た。
お墓ですれ違った、あの男の人だった。
日陰に射し込む光の中で、彼は目を細め、柔らかな声で言った。
「こんにちは」
男性の高く爽やかな声が、蔵の中に響く。
「初めまして、三宅為晴です。フリーのライターで平家に関する取材をしています」
口調は穏やかで、抑揚にどこか品がある。
彼は一歩、また一歩と蔵の中に入ってきた。
足元の赤いワークブーツがひときわ目立つ。
黒のポロシャツに、黒のパンツ。
色白の顔が映えて見える。
「じゃあ、蒼、お願いね」
琉美子さんはそう言うと、私達を残して去って行った。
「時村蒼です。こっちは妹の咲、そして従妹の澪です」
蒼兄は、落ち着いた声で淡々と紹介する。
私はペコリと頭を下げる。
「ああ、あなたたち、水月寺でお会いしましたね」
目尻が下がり、人懐っこい微笑みの三宅さんに、私と咲は黙って頷く。
「ご用の趣は、温御前と砂振姫のことですか?」
蒼兄は勝手を知っているのか、慣れた感じ。
「ええ、その資料を拝見させて頂けないかと」
「どうぞこちらへ、お前たちは先に戻っていいよ」
私は咲と視線を合わせ、三宅さんに会釈をした。
そして咲と手を取り合い、蔵から出て行く。
外の空気は、夏らしくまとわりつくように熱いはずなのに、なぜかその熱が心地よく感じられた。
まるで、湿った闇の中から這い出た後の、地上の温もりが安堵に変わるような感覚。
「咲、大丈夫?」
「うん、たぶん」
私はそっと咲の背中に手を添えて、家の中へと入った。
咲の足取りはまだ心もとなくて、台所で一緒に麦茶を飲んで、咲の部屋がある二階へ向かった。
「はあ……」
咲はエアコンのスイッチを押すと、思い出したように体を小刻みに震わせ、肩から力が抜けるように座り込んだ。
真夏の昼近く、涼しい風がカーテンをふわりと揺らす。
こんな時に聞くのもって思ったけど。
聞かないと忘れそうだったから、私は咲の隣に腰を下ろして、その手を握る。
「あの、揚羽踊りの数え歌って、咲歌えるよね?」
「ん? うん、歌えるよ」
咲は私の顔を見て、ふうーっと長く息を吐く。
「いちにち ひとりが みをとざす
ににんで うたえば こゑがよぶ
さんどの よるには しろきてに
よにんめ かぞえず いなくなる
ごにんの すがたが みずにさく
ろくねん すぎれば おもいでに
ななつの いしぶみ つきのした
やみの むこうに こえがする
こころ つれてく みずのおと」
拍子を付けながら咲は歌い上げた。
「最後の方が気味悪い感じがしない?しかも水の音って」
「ああ、確かに、今までそんなん気にならんかったけど……」
私は咲と一緒に歌詞を書き出して、スマホのメモ帳に打ち込んだ。
「やっぱ怖いよね、いなくなる、とか、こころつれてく、とか」
「ほんまやな、水も出て来るし、夜とか闇とか、声がとか……」
「神隠しの場所は、『蛙が池』、『星見城跡』、『お輿の森』、『木津根ヶ淵』」
「歌詞には入っとらん」
「うーん……でも、美那さんがいなくなったのって、星見城跡だよね?」
「そうや、十五年前は蛙が池やった」
「じゃあ、残りの二つ、『お輿の森』、『木津根ヶ淵』ってこっから近いの?」
「え? 澪、行く気なん?」
「ち、違うよ! 行きたくなんかない、怖いし。ただ、どの辺りなのかなって思っただけ」
「ちょい待って」
咲はすっと立ち上がると、机の引き出しを開けて、中から夕凪島の地図を引っ張り出してきた。
それを私の前に広げると、隣にペタンと座る。
「えーっと、ここが家、それからここがお寺……」
咲は指を使って、神隠しが起きた場所を一つひとつ示していった。
「ん?」
「どうしたん?」
「四角だね。ほら、神隠しの場所。正方形みたいだよ」
「ちょっとまって」
咲はフッと立ち上がってちょこちょこと机からシャーペンを持って来た。
こっちを見て、ニーッと笑って、地図に丸を付けていく。
「ほんまや」
「ああ、お寺と、咲の家ってその真ん中になるんだ」
「ええ?……ほんまやな」
何だか分からないけど、胸騒ぎがする。
ひとすじの汗とともに、ゾクッと背筋に悪寒が走る。
「揚羽踊りっていつ頃からあるんだろ?」
「そんなん知らんよ」
「蒼兄は知ってる?」
「どうやろ……」
「ていうか、なんで“揚羽踊り”って言うの?」
「……」
咲は質問攻めにあって、眉間に皺を寄せて膨れる。
「あ、ごめん……」
「ええよ、さっきのあの、イケメンなら知ってるんちゃう?」
「確かに!」
私は広げた地図を手早く畳み、勢いよく立ち上がる。
咲はその様子をじいっと見つめて、口元に笑みを浮かべた。
「?」
「澪さ、あの人、気になるん?」
「ん?どの人?」
「はあ……」
咲は大きくため息をつくと、むくっと立ち上がる。
「澪は、あれやんな」
「あれ?」
「恋とかキュンとかせえへんの?」
「?」
「はいはい、もうええわ、行こ行こ」
咲は私の背中をぽんぽんと押して、軽やかに歩き出した。
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