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水の声  作者: ぽんこつ
7/12

波紋

生垣に囲まれた実家の入口に差し掛かったとき、咲がふいに足を止めた。

そして、こちらを振り返り、首を傾けながらあたりをきょろきょろと見まわす。

視線が定まらず、まるで何かを探すように、落ち着かない様子。

「どうしたの?」

「いや、誰かに見られてる気がして……」

咲は目を細めて、生垣の向こうをちらりと睨む。

軽口を叩くときの顔とは違う、ほんの少しだけ怯えたような横顔。

「なに。颯か」

蒼兄が冗談めかして言いながらも、目は真面目だった。

冗談にまぎらせた分だけ、鋭く周囲に目を光らせているのが分かる。

「誰もいないようだぞ」

低く抑えた声が返ってくる。

咲が肩の力を抜き、息をついた。

「ああ、気のせいやったんかな」

笑ってみせるけれど、わずかに頬が引きつっているように見えた。

「大丈夫?」

「平気、平気」

空回りしたような咲の声。

「ほんと?」

「ほんま。行こ」

咲は私の腕を取ると、いつもより少し早足で歩き出した。

私はそのまま咲に引かれるようにして、家の中へ入る。

ドアを閉めると、エアコンの涼しさに包まれて、思わず小さく息が漏れる。

汗をかいた肌から熱が、すっと引いていく。

蒼兄が「ちょっと待ってて」と言って、階段をのぼっていく。

蔵の鍵を取りに行くらしい。

私は咲と台所に向かい。

冷蔵庫の中から取り出した麦茶を飲んだ。

「はー、生き返った」

「そやね」

片手でグラスを持って麦茶をゴクゴクと飲む咲からは、さっきの翳りのある表情は消えていた。

ただ、見られている気がした――あの言葉が、水たまりのように私の中に溜まっている。

咲は椅子の背もたれを両手でつかみ、かかとを上下させていた。

まあ、何かあったら必ず咲なら話してくれる。

私もそうだから。

もう、なんなんだろう。

昨日、今日と聞こえたあの声。

ふーっと長い息を吐く。

幽霊に取り憑かれたのかな?

そうしたら、おじゅっさんがお祓いしてくれるのかな?

きっと、美那って子はもうこの世にいないのかもしれない。

でも、どうして私に……

私は美那って子知らないし、言ってみれば咲のほうがしってるわけでしょ?

はーっと大きく息を吐く。

あの声自体からは怖いという感じはしなかった。

おそらく美那の声。

「助けて」「聞こえてるの」「ねえ、ここ、どこ」「寒い」「澪ちゃん、見つけて」

ただ、声が聞こえたという事が怖かった。

けど、どうして私の名前を知ってるの。

幽霊……だから?

ブルブルと体が震える。

「フフ、お前も遊びたいのか」

少年の声。

たぶんこの声が一番怖かったし、気持ちが悪かった。

「まだ、早く」

最後に聞こえた女性の声。

ほとんど何も聞き取れなかったけど。

もしかしたら、私に何かを伝えようとしているのかもしれない。

なんて思ってもみたり。

まるで、夏休みの宿題が一つ増えたようなもやもやとした想いだけが残った。

リビングからは、母たちの楽しげな笑い声とテレビの音が重なって響いてくる。

咲の母、私の母――二人の声が涼しげに弾んでいて、夏の日常の延長線上にあるはずなのに、どこかずっと遠くに感じた。

しばらくして蒼兄が降りてきて、無造作に鍵束を手にしていた。

じゃら、じゃらと音がして、手の中の金属が陽の光をかすかに弾いた。

裏口からサンダルを履いて外に出て、蒼兄を先頭に蔵へ向かう。

家の裏手にある、大きな蔵。

白く塗られた壁はところどころに雨染みがあり、近づくと木の匂いに、少しだけ土のにおいが混ざる。

蔵の中に入るのは、これが初めて。

あんな声さえ聞こえなければ、ただのわくわくする夏の冒険の一幕だったはずなのに。

ふと脇を見ると、風呂場の曇りガラスが見えた。

白くくぐもったその向こうに、昨夜の誰かが立っていそうな気配が一瞬よぎり、思わず目をそらしてしまう。

蔵の扉には、大小さまざまな鍵が重たげについていた。

蒼兄がそれを一つずつ外していく。

「これはたしか……」

つぶやきながら手を動かす様子は、いつもの余裕とは違い、ほんの少しだけ慎重だった。

カチャッ、という鍵の外れる音が、妙に耳に残る。

その音が一つ鳴るごとに、何かが近づいてくるような気がして、まるでカウントダウンを聞いているようだった。

「よし、開けますか」

蒼兄は両手で大きな取っ手を握ると、ぐっと体を使って後ろに下がる。

ギィィ――という重たい音とともに、扉が開く。

一瞬、ヒヤリとした空気が通り過ぎていった。

「ちょっと待って、電気を点けるから」

蒼兄は一人蔵の中へ入っていき、パチパチと光が跳ね、蔵の中に明かりが灯る。

「いいよ」

声が届いたのを合図に、私と咲は蔵の敷居をまたいだ。

埃の匂いがする空間には、壁沿いには古びた木の棚が、まるでそこにいるのが当然かのように、空間にきっちりとおさまって並んでいた。

中央には比較的新しめな大きな木のテーブル。

その上にも木箱や書物が無造作に置かれている。

「どれをどう調べるん?」

咲はテーブルの上の本を指先で摘まむようにして持ち上げた。

「そうだな。文書の類だと思うんだけど」

「でも、これ読めないよ蒼兄」

私は本の表紙を捲ってみたが、中に並ぶ文字は、ミミズのようにくねくねしていて読めそうにない。

「ああ、そういうのじゃなくてね、ちょっと待って」

蒼兄は奥の棚の方へと歩き出した。

私はその後を追ってみた。

床がみしみしと音を立てる。

棚には「伝承」「民話・民族」「風俗・習慣」といった分類がされていて、手書きのラベルが貼られている。

「たぶん、じいちゃんがまとめたやつがあったはずなんだ……」

蒼兄がガサガサと書物を探している。

「これと、これ……かな」

私は隣の棚に目をやる。

「歌集」と書かれた棚から、冊子を一冊抜き取った。

それは点々とシミが付いたものだけど、それほど古いものにも思えない。

ページをめくると、ちゃんと読める文字で書かれていた。

『我が時村家の先祖たる温御前様、砂振姫様の歌、並びに建礼門院様の書簡と和歌を記す』

温御前:

「沖に発ち なおかへらぬ舟を待つ 波のまにまに 君をたづねむ」

「露しげし この世の道を 君ひとり 行かせはせじと 祈るほととぎす」

砂振姫:

「手を振りし 岸のかなたを いまも見つ 父の影追う 浜辺のまなこ」

「よるべなき 波の世にありて 母の声 月よりやさし 夢にささやく」

「あまつ風 うららに渡る 夕凪の 島にひとひら わらひこぼるる」

建礼門院:

「仰ぎ見し 昔の雲の 上の月 かかる深山の 影ぞ悲しき」

「うつし世に つなぐ命の たまゆらを 沈むかさねに 我は祈らむ」

「むかしよしの御事、海に沈みてより、

 わが胸は絶え間なく波の如く乱れ、

 心を結ぶこともなかりき。

 しかれども、たゞ御子の御魂のみ、

 いづこにても安かれと祈り、

 この文を人知れず届け候。

 もし時の果て、

 御魂をよびかふ水のさざめきに、

 この文を読みし者あらば、

 わが言の葉を手がかりに、

 御子をついに導かれよ。

 そは人の子なれど、

 神にさえならむほどの御魂なれば」

目を通して見たものの、さっぱり分からない。

その後は代々の時村家の人々の歌が、びっしりと巻末迄書かれている。

冊子を置いて、ふと周囲を見渡す。

貝殻に絵が描かれたもの、鞠、紙で作られた人形のようなもの、

かるたや扇――そうしたものが、どれも丁寧に並べられていた。

赤茶色をした小さな陶器の入れ物を手に取ると、香水のような匂いが染み付いていた。

取っ手の着いた蓋を開けた途端。

一段と匂いが強まる。

鼻先を近づけながら中を覗くと、液体が入っていた。

「……ははは、ははは」

ハッとして、私はカチンと蓋を閉じた。

そして、そっと、そーっと棚に戻す。

さっき、川で聞こえた男の子の声。

「これかな……こっち来て」

蒼兄が一冊の書物を手に、私達を中央のテーブルに呼ぶ。

一歩踏み出して、棚を振り返る。

赤茶色だった陶器が、鮮やかに赤くなっていたいた気がした。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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