せせらぎ
朝食を食べ終わった後、おじゅっさんに話を聞くべく、私は咲と蒼兄と水月寺へ向かった。
白いTシャツに、お気に入りのクリームイエローのチェックのミニスカート。
咲は、それこそチアガールみたいなネイビーのプリーツスカートにお揃いの白いTシャツ。
裾を揺らして歩くたび、ちょっぴり得意げに私の横をすり抜けていく。
蒼兄はデニムのハーフパンツに、何故かお揃いの白いTシャツ。
日差しに透けるような白が三人並ぶと、どこか揃いのユニフォームみたいで、面白い。
もうすでに蝉がワーッと鳴いていて、太陽の熱がそこらじゅうを焼いている。
アスファルトの隙間から立ち上る陽炎が、地面の向こう側をゆらゆらと曖昧にしていた。
ふわふわと吹く風がポニーテールと前髪をさらりと揺らす。
髪の毛が頬をかすめるたび、汗ばむ肌にくすぐったくまとわりついて、私は首筋を手で仰いだ。
咲はその横で、風を受けた髪を指先でくるくるといじりながら、「あっついなぁ」と呟いている。
蒼兄は、少し眩しそうに目を細めて空を仰ぎ、首元のTシャツを引っ張って風を通していた。
家から歩きで15分くらいの道のり。
ゆるりとくねった坂道を上った先。
道沿いには古びた石垣と、ところどころ傾いた苔むした祠が点在していて、
今にも「カナカナ……」と蜩の声が降ってきそうな、どこか“ひと昔”の風景。
ところが、山門の前に掛けられた「明日、昼過ぎまで不在」の札が、あっけなくその期待を打ち砕いた。
蒼兄は「ありゃ、残念」とつぶやき、額に手をかざして札をじっと見つめる。
「……うちら、タイミング悪すぎやろ……」
咲が呆れたように掲示を見つめ、ぽんと太ももを叩いた。
「うん……でも仕方ないよね」
私は肩を落としつつも、無理に笑ってみせた。
ふわりと流れた風に乗って、一匹のトンボがゆるりと目の前を横切っていく。
「まあ、帰るか」
蒼兄はあくまで冷静に言い、ひとつため息をつく。
蝉しぐれに包まれながら、帰り道を三人で歩く。
私はスマホを取り出し、美那の事件と、十五年前に蛙が池で起きたという事件について検索をかけてみた。
美那の件については、当時のニュース記事がいくつか残っており、中には事件の経緯を憶測混じりに語る動画や匿名ブログも引っかかった。
だが、十五年前の件については、いくら調べても手がかりすら出てこない。
「うわ、十五年前の事件、マジで出てこんやん。なんで?」
咲も同じように調べていたようで、自分のスマホを見ながら、目を丸くしている。
「うん、ないねー」
私は親指で何度も画面をスクロールしながら首をかしげた。
古すぎて記録に残っていないのか、それとも……。
「蛙が池の伝説とか、神隠しの言い伝えは出てくるんやけど、事件の記録そのものは全然見当たらん」
疑問に満ちた咲の声。
「地元限定の噂話ってことかもな」
蒼兄の声は変わらず冷静な口ぶり。
「じゃあ、調べようがないの?」
私がそう尋ねかけたとき、坂道の途中でふと立ち止まった。
突然、背後から風が吹き上がる――と思った瞬間、スカートの裾がふわりと浮いた。
風のせいじゃない。
「おっ、かわいい水玉ショーツ」
間の悪い登場を果たしたのは、チャラチャラした茶髪の青年――新田颯。
二つ年上の蒼兄の同級生で友達。
でも、性格は水と油。
なぜか一緒にいることの多い不思議なコンビ。
私の中で解けない七不思議のひとつ。
「ちょ、あんた何してんねん!」
咲が振り向きざまに睨みつける。
「……あ、別にいいよ、風だし」
私は面倒だから、適当にごまかす。
「おお、さすが澪ちゃん。大物やなぁ〜」
決めポーズの片手を腰に当てて、二本の指を敬礼のようにおでこにかざし、片頬を上げて二カッと笑う。
「颯、ふざけるなよ!」
颯に詰め寄り、怒気を荒げる蒼兄。
「はいはい、ちょっとした挨拶やって」
悪びれる様子もない颯は、蒼兄をなだめるように両手を前に出す。
「もうホンマに、あんた何なん!」
私はホントに気にしていないのに、咲はぷんすか怒ってくれている。
むくれた頬、膨らんだ鼻先。
腰に両手を当て、怒りを真正面からぶつける。
「怒った顔も、かわいいな」
颯が咲の背中に手を伸ばそうとすると、咲はひょいと体をくねらせて身をかわす。
「やめや!」
咲が片手を挙げ、いつでもひっぱたける構え。
「おい、颯!」
蒼兄が目をひん剥いて怒りの気配をにじませると、颯は両手を顔の前でひらひらさせた。
「わかったって、二人がかわいくてさ」
「このエロガキ!!」
今にも殴りかかりそうな蒼兄。
「ねえ、蒼兄、いいから帰ろ」
私が割って入ると、蒼兄はふーっと大きく息を吐いて胸を撫で下ろす。
グッと颯を一瞥して歩き出した。
私は咲の腕を取り、蒼兄の傍に寄る。
……颯は、何もなかったかのように、のんきな顔で私たちの後ろをついてくる。
まるで自分が“ここにいて当然”みたいな顔をして。
やがて林の中から現れた小川と並んで進む。
「よくこの川でな、小さい頃、遊んだんだよ」
気を取り直した蒼兄が、やわらかな声で語り出す。
「へー、そうなんだ」
小さな川のほとりを三人で歩く。
「咲はな、水が顔にかかるのがイヤで、すぐ怒ってた」
蒼兄の言葉に、咲はそっぽを向いてぷいと口を尖らせた。
川幅は10歩もあれば渡れそうなくらい。
透き通った流れの中で、川底の石が陽射しに照らされて揺れていた。
そのとき、背後から水しぶきが飛んできた。
「つめたっ」
「きゃっ!」
「なんだ?」
振り返ると、颯が川に入っていた。
ズボンの裾を膝までまくって、手のひらで水をすくっては、こっちに向かってぱしゃり、ぱしゃりと撒いてくる。
「もう!」
ぷんすかモードに入った咲が、サンダルのまま川へザバザバと入り、ニヤッと笑って颯に向かって水を容赦なくぶつけはじめた。
私と蒼兄は顔を見合わせ、それから言葉もなく、足元から水の中へと入った。
ひんやりとした川の水が、くるぶしを撫でる。
「冷たっ! でも気持ちいい」
「だろ?」
いつの間にか傍にいた颯が、にやけ顔で私の肩に腕を回してくる。
「おいこら、なにしとんねん」
咲がどこからか拾ってきた錆びたバケツで、颯の頭に勢いよく水をぶっかけた。
そこからは水の応酬戦。
颯が標的となり、咲と蒼兄が左右から水を浴びせる。
こんな遊びは東京ではできない。
私は少し楽しくなっていて、気づけば声を立てて笑っていた。
――けれど。
颯がひょいと私の背中に隠れた、その瞬間。
咲と蒼兄がすくった水が、勢いよく私の頭上からばしゃりと降りかかる。
「わっ……」
冷たい水が髪を伝い、顔から胸元へと走る。
「もう、咲! 蒼兄!」
咲と蒼兄がばつが悪そうな顔をしている。
そのとき、背後から――ふいに何かが私を包んだ。
「おっ、けっこむ胸あるんだな」
耳元で颯の声。
私は迷わずその手をギュッとつねる。
「いてーなっ」
「おい!」
蒼兄が顔を真っ赤にして颯に迫っていく。
「コラッ! なにしとんや!!このボケ!!」
咲はどすの聞いた低い声で怒鳴る。
「……別にいいよ、咲」
「なんで? そんなん許してたら、あいつ図に乗るよ、ほんまに」
「でも、興味ないし……」
「もう、澪はそうでも、変質者だっているし、イヤなときはイヤって言いなよ!」
咲はフグみたいに頬を膨らませて、頭から湯気でも出しそうな勢いでぷんすかしていた。
「そう、なのかな……」
「もお、澪は……」
呆れたように、咲がふうっとため息をついたそのとき、私は気づいた。
颯がジロジロと私をなめるように見ていた、きっとTシャツが濡れてるから。
「おい、颯。もう帰れ」
蒼兄が、颯の顔すれすれまで詰め寄り、抑えた声でぴしゃりと告げた。
颯は面倒くさそうに片手をひらひらさせ、川岸へと戻っていった。
足元では、冷たい水がふくらはぎのあたりをさらさらと撫でていく。
まるで水そのものが、生き物のように肌をすり抜けていった。
陽射しが水面に溶けるように、ゆらゆらゆれる。
揚羽蝶がその中を優雅に羽を震わせ舞踊っていた。
――?
「――また、聞こえる……」
川のせせらぎに混じって、微かに、すすり泣くような少女の声が流れ込んでくる。
『……ねえ、ここ……どこ?』
『……寒い……』
私は、はっとして目を見開く。
声は、次第に鮮明になり、耳の奥に直接響いてくるような感覚。
『澪ちゃん……見つけて』
川面に、美那の姿がふわりと浮かび上がったように見えた。
次の瞬間、水面がざわりと揺らいだ。
「っ……!」
傍らにいた咲が、小さく眉を寄せて私の顔を覗き込む。
「澪? どないしたん?!」
『フフ……お前も遊びたいか……』
どこか無邪気な、けれどこの世のものとは思えない、反響する少年の声。
背筋に寒気がザワザワと伝う。
『まだ……早く……』
今度は別の女の人の声が、水の底から漏れ出すように聞こえた。
「澪!ねえ、澪!」
咲が私の腕を取って体を揺すってるのは分かる。
でも私はただ立ちすくしていた。
視界が溶けて海の中にいるようで、空中に光が揺らめいていた。
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