水底
私は腕を拭き終わると、さっきに体験を口にする。
「さっき、男の子来たでしょ?」
掌を膝の上で握りしめていた。
「ああ、おったな」
「腕を掴まれた時に……どこかに連れていかれたの」
「え?」
咲と三宅さんの声が見事に重なる。
「でも、私ここにいたんでしょ?」
咲は頷き、三宅さんも腕組みをしながら大きく首を縦に振る。
「ええ、男の子と喋ってましたよ」
「どれくらいの時間でしたか?」
「そうですね、5分位かな」
私が男の子に手を惹かれて、あの光景を見ている間、私はここで話をしていた……
どういうこと?
私はここにいた記憶はないのに、咲や三宅さんはここにいる私を見ている。
新しい疑問が湧いてきてしまった。
でも、とりあえず話さなきゃ……
「……子供抱いた着物の女性が海に飲み込まれていました……その後、水の中で美那さんに会ったの。幻みたいで、触れたら消えちゃいそうだったけど、確かに“助けて”って、そう言ってた」
隣の咲が大きな目を見開く。
「美那……?ほんまに、声が?」
「うん。しかも、そのあと景色が流れ込んできて……森とか、崖とか、石の祠みたいなのとか。四つ、順番に見えた」
三宅さんは腕を組み、低く唸る。
「四つ、か。蛙が池、星見城跡、お輿の森、木津根ヶ淵――村に伝わる神隠しの地と数が合いますね……」
「……じゃあ、やっぱり美那は……」
シュンとして肩をすくめる咲。
私は握った手を見つめた。
自分の体験を超常現象の一つとしてしか説明できない。
けれど、確かに見て、聞いてしまった。
三宅さんは顎に手をやり、思案を続ける。
「水を媒介に、まだ“あちら側”と繋がっている……そう考えると、美那さんは完全には呑まれていないのかもしれない。助け出せる余地があるかも」
私は、はっと顔を上げた。
「じゃあ、美那さんは生きてる?」
「可能性はある。ただし、あそこにいるのは彼女だけじゃない」
三宅さんの声はさらに低くなる。
「あっ……男の子の声……見つけたって、それと……さ……」
また言葉が出て来ない。
さ……の後の言葉が思い出せない。
何かつっかえったままのようで、胸の辺りをさする。
「見つけた? それは澪さんのことなのかな?」
「はい、えーと、迎えに来た、みたいなことも言ってました……」
「なんやのそれ……」
咲はブルっと体を震わせると、肩をさすりながら抱きしめている。
「見つけた……」
頭の中に、あの深い声が甦る。
名も告げぬまま、どこか子供のように頼りない呼び声。
「先程の話ように、おそらく声の主は安徳天皇でしょう」
咲が息を呑む。
三宅さんは視線を落とし、言葉を探すように続けた。
「壇ノ浦で入水し、いまも水に沈む記憶の主。美那さんを“お守り役”として呼び寄せているのかもしれない。澪さんが聞いたのは、助けを乞う声であると同時に、呪縛そのものだ」
その言葉が私の心臓が強く打った。
美那の声は確かに悲鳴だった。
けれど、男の子の声には楽しさや、やっとというような懐かしや、喜びが感じられた。
「……どうやったら、美那さんは戻ってこれるんですか?」
カラン。
溶けだした氷がグラスの中で遊んでいる。
もしかして――
あの声の主は遊びたいのかも。
私の胸にそんなことが漠然とよぎった。
「もしかしたら、その祠が関係してるかもしれないな……女性が花を供えていたのでしょう?」
「はい」
「供養のためかもしれないし、もしかしたら何かを封じる結界みたいなものかもしれない」
「あの、もしかしたら安徳天皇は遊び相手を探しているのでないでしょうか?」
「なんやのそれ?」
口を尖らせ首を傾げる咲。
「だって5歳で亡くなって、遊びたい盛りでしょ。なんか声の感じから、そんなふうに思えたんだよね」
三宅さんは両手を擦りあわせ、身を乗り出した。
「澪さんの言う通りかもしれない」
何かを閃いた少年のようにキラキラさせた瞳が私を見つめ返してきた。
思わず俯きながら窓の外に目をやる。
かすかに届く蝉しぐれが、かえって私の心を代弁しているかのようだった。
「そろそろ僕は仕事に戻らないといけないので……」
「ありがとうございます」
「明日の午前中はスケジュール空いているので、神隠しの地に行ってみます」
「あっ、私も行ってみたい」
小さく手を挙げた私。
咲が服の袖を引っ張る。
「え?澪怖い言うてたやん」
「そうだけど、見ちゃったら気になるし、三宅さんがいたら何か分かるかもしれない」
「なら、うちも行きたい」
両手を腿の上で揃えて、ピンと背筋を伸ばす。
「大丈夫かな……さっきのこともあるし、皆さんの体験のこともあるから……」
「でもじっとしとられない……美那さん助けられるかもしれないし」
私の気迫に気をされたのか少し身じろいだ三宅さん。
「……分かりました。放っておいたらあなた達だけで行きかねないですね」
私はうつむきながら隣の咲を見る。
咲は膨れたまま私を見つめ返してきた。
やっぱり私って頼りないのかな……
「一つだけ約束してください。僕があなた達の様子がおかしいと判断したら調査は中止します」
私と咲は黙って頷いた。
「それと、もし何かあれば連絡してください。時間は気にしないで構いません。そして澪さん、咲さんくれぐれも気をつけて、と言っても何をどう気をつければいいかというのはありますけど」
苦笑する三宅さんの顔が頼もしくもあり、これから起きる何かを暗示しているようでもあった。
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