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水の声  作者: ぽんこつ
14/15

あわ

「こっちにきて」

私は男の子に手を引かれついていく。

男の子の指が、氷みたいに細くて冷たいまま、するりと私の手首に絡んだ。

引かれる。

立ち上がる。

脈の鼓みを、氷の指先にそのまま摘ままれたみたいだった。

足が勝手に前へ出る。

見ている景色は、ずっとホテルのロビーだ。

白いタイル、磨かれたガラス、花の匂い。

男の子は振り返らない。

私は咲と三宅さんに「ちょっと」と言おうとしたのに、声が喉の奥で凍った。

自動ドアが音もなく口を開く。

境い目をまたいだ瞬間――


潮の匂い。

風の音が変わる。

海が、目の前にあった。

灰色の水面が千切れた布みたいに裂け、泡立ち、うねる。

木造の船の上。

頭に頭巾を被った女がいて、腕に小さな子を抱いている。

あっ――

次の瞬間、波間に飛び込んだ……

衣が濡れて重く、裾が水に引かれていく。

遠くで誰かが叫ぶのが聞こえた気がしたけど、波がぜんぶ飲みこんでしまう。


砂振さふりに会いに行く……」


頭の中に声が落ちた。

幼いようで、年老いたようでもある、乾いた響き。

意味をつかもうとする前に、足元がすこし沈んだ。

冷たい。

ふいに、辺り一帯がすべてが水になった。


たくさんの小さな泡沫に包まれながら、音が遠のき、心臓の鼓動だけが耳の内側で大きくなる。

髪が浮く。

光が細い筋になって揺れる。

水の中でゆらゆらと浮いている私。

人の影がぼんやりと漂っている。

風にはためいているような、それに目を凝らす。

制服の袖がふわりと広がって、こちらを向いた顔――。

美那さん!

心の中で叫んだ。

美那の口が開く。

「助けて!」


私は手を伸ばす。

届かない。

もがいても水に押し返される。

指先がしびれて、何かがほどけるみたいに感覚が遠のく――

そして、目の前にあぶくの帯が四方から押し寄せる。

目を閉じる。


水の中にいたふわふわした感覚がいつの間にか消えていた。

視界に入ったのは、着物を着た若い女性――。

大きな池のほとり、小さな祠に白い花を供えている。


近づこうとしたその時、瞬きをしたその時、

まるで映画の場面が切り替わったかのように、目の前の景色が一変した。

せせらぎのおと、少し奥の林の中。

小さな石祠に白い花。


なんなの――

これは?


また瞬きをした――

今度は、森を貫く一本の道。

その端にやはり小さな石祠。

風に揺れる白い花一つ。


なんだろう?

私は意図を持って目を閉じる。


ゆっくりとまぶたを開く。

やっぱり――

また同じ石祠。

その背後に木の柵に囲まれた、お屋敷のような建物。


ここは、いったい――

あっ。

屋敷の襖が開いた。

そこには着物の若い女性。

こちらを振り向く。

でも私を見ている訳ではない。

その顔を見て、ハッと息を呑んだ

だって……見覚えがある。


頭の中に語りかけてくる声――

「フフフ、みつけた、迎えに来たぞ」

男の子の声――


思わずつむった目。

暗闇の中で――

ぱちん。


視界が戻る。

太ももの下でクッションがゆっくり沈む。

私はソファに座っている。

男の子が少し離れたところで、にこっと笑って「バイバイ」と小さく手を振る。

咲と私は男の子に手を振り返す。

母親に手を引かれ柱の陰に消えた。


手首が濡れている。

雫がぽとりと落ちて、床の白いタイルに丸い痕を作った。

「……え?」

と口に出したとたん、自分でも何を言おうとしていたのか分からなくなる。

さっきの言葉――

砂、まで来て、舌の上でほどけて消えた。

まるで水に溶けた墨みたいに。


咲はストローで氷を転がしている。

カラリ、カラリ。

三宅さんは窓の外に目をやり、指先でページの端をそっと整えた。

二人とも、何も見ていない顔だ。

気づいていない。

私だけが濡れている。

髪や服はかわいたままなのに、首や腕、足といった露出した部分だけが汗をかいたみたいに滴を纏っている。

「ねえ? 咲、私ずっとここにいた?」

「ん? 大丈夫? ずっとおったやん」

咲は眉を寄せ首を傾げて、私を見つめている。

「どうかしましたか?」

優しい眼差しで三宅さんは私を見ている。

私だけが、見ていたの?

でも、水なんてなかったのにどうして?

「澪、腕、濡れてるやん」

「あ、うん」

私は頭の整理がつかないまま、バックの中からハンドタオルを取り出して、腕を拭う。

たしかに水の中にいた。

そして、美那の声と姿。

おぼろげながら、でも確かに見た。

石祠。

そして男の子の声。

あとは……

思い出せそうで――

泡のように、ブクブクとして、あやふやな感覚しか残っていなかった。

お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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