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水の声  作者: ぽんこつ
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よびみず

三宅さんは小脇に鞄を抱えて戻って来た。

「お待たせしました」

ソファに座ると鞄の中から一冊の書物を取り出した。

それは、私が蔵の中で読んだ、温御前や砂振姫の和歌が収録されているものだった。

「この中に、建礼門院徳子という女性の書簡――つまり手紙――と、歌が記されているんです」

三宅さんの指がページの上を確かめるように動く。

「この建礼門院というのは安徳天皇のお母さんで、壇ノ浦で入水したんですが助けられました。その後、京都で亡くなるまで過ごしたようです」

「子供の安徳天皇は、建礼門院のお母さん、安徳天皇からみたらお婆さんである二位尼にいのあまと呼ばれる平時子が抱きかかえて入水したといわれています」

「余談ですが、時子のご主人は平清盛。すなわち建礼門院は清盛の娘なんです」

咲は「へえ」と口には出さないけれど、眉尻をすこし上げて、前のめりになる。

私は食い入るように三宅さんの口元を見つめていた。

三宅さんはお冷で口を湿らせている。

グラスの表面を滑る水滴が、テーブルに落ちる前に親指で拭われた。

そして、咲と私に目配せして話し始める。

「興味深いのは、ここに記されている和歌は一般的に知られているものじゃありません。もちろん手紙の方もです」

「温御前も、同じ平家の一門ですから手紙の往復とかあってもおかしくありません。ただ、内容が奇妙でしてね。ちなみに、和歌にはこうあります」

「仰ぎ見し 昔の雲の 上の月 かかる深山の 影ぞ悲しき。これは建礼門院徳子が詠んだ歌ではなく、建礼門院右京大夫という当時の女流歌人が、後年の徳子を見て憐れんで詠んだ歌と言われています。何故伝わったのかは分かりませんがね」

三宅さんは顔の前で手をすり合わせる。

そして、少し息を吸い込んだ。

「問題は次の歌です。うつし世に つなぐ命の たまゆらを 沈むかさねに 我は祈らむ」

私は咲と顔を見合わせて首を傾げる。

一度読んだけどさっぱり意味が分からなかった。

「簡単に説明すると、この現世に生きる命のはかなさを、水底の記憶に繋がれながら、私は祈り続けます」

言葉の「水底」というところで、三宅さんの声が半歩だけ低くなる。

「水……」

どこからともなくきた寒気に私は腕を抱いた。

「ええ、そうなんです、そして手紙はこうです。

 むかしよしの御事、海に沈みてより、

 わが胸は絶え間なく波の如く乱れ、

 心を結ぶこともなかりき。

 しかれども、たゞ御子の御魂のみ、

 いづこにても安かれと祈り、

 この文を人知れず届け候。

 もし時の果て、

 御魂をよびかふ水のさざめきに、

 この文を読みし者あらば、

 わが言の葉を手がかりに、

 御子をついに導かれよ。

 そは人の子なれど、

 神にさえならむほどの御魂なれば」

朗読の調子が、紙の古びた繊維を指でなぞるように丁寧で、ひと節ごとに短い呼吸が落ちる。

咲は両腕を自分の肩に回し、視線を泳がせたまま唇を噛んでいた。

私は三宅さんの口元を見つめる。

「わかりやすくいいますね。

 昔、安徳天皇が海に沈まれてより、

 私の胸は絶え間なく波のように乱れ、

 心を繋ぎとめる術もありませんでした。

 それでもただ、御子の魂が

 どこにあっても安らかであれと祈り、

 この文を、人知れずあなた方に託します。

 もし遠い未来、

 水のさざめきの中に御子の魂を感じる者があれば、

 この文を手がかりに、

 どうか御子を導いてください。

 あの子は人でありながら、

 神にも等しき魂を持つ者なのです。

 建礼門院……」

吐息と共に三宅さんの訳が終わる。

意味を完全に理解したわけではないけど、なんか切なくて、哀しい感じがした。

「また水や……」

今度は咲が同じように腕を抱いている。

「この手紙や和歌から推察すると、もしかしたら澪さんが聞いた男の子の声は、安徳天皇の声かもしれません」

私の顔を見た三宅さんの瞳は、鋭く光を帯びていた。

「え?」

咲は体を仰け反らせる。

「つまり幽霊ですか?」

三宅さんは頬をゆるめながら頷く。

「まあ、僕は今まで幽霊の類は見たことがないので偉そうなことは言えませんが、その魂が水の中に生きていることはあるのかもしれません」

死んじゃったのに、魂は生きているっていう表現が、私の心の中に残った。

「なんか、素敵な言い方ですね」

口にした途端、失礼かなってなって思わず口に手を当てた。

「ありがとう」

ニコニコと笑う三宅さんに、私は肩をすくめながら小さく頭を下げた。

「以上のことを踏まえると、この地に安徳天皇の魂が、その昔からいたのではないか? それを知った建礼門院は温御前に手紙を書いた、もしかしたら温御前の方から書いたかもしれませんがね」

「そう考えた時、あなた達が、耳にしたという声。……少し嫌な予感はします」

その「嫌な」のところで、三宅さんは一瞬だけ視線を外し窓の向こうの明るさに目を細めた。

私の掌はうっすら汗ばみ、膝の上で静かに丸くなる。

「もしかして……」

咲を見ると、顔を突き出して何?と言いたげだ。

「あなた達が、言葉は悪いけど縁を結ばれている。そんな気がしますね」

三宅さんは指先を軽く組んで膝の上に乗せた。

その時――

子供の叫び声が聞こえて、体がびくりと跳ねる。

声の方に視線を向けると、小さな男の子がロビーを走り回っていた。

なんだ……と胸を撫で下ろし、咲と見つめ合う。

咲は目尻を下げて安堵の息を吐き、私は肩の力をゆっくり抜く。

そして、お冷のグラスに手を伸ばした。

氷がコツンと鳴く。

グラスの外側を一筋の水が滑り私の指先に触れた。

口に付けた瞬間――

冷たい感触が口の中とは別に、腕に走る。

え?

そこには白い小さな手が私の腕を掴んでいた。

そのまま。

腕の先に視線を移す。

さっき走り回っていた少年が、ニコニコしながら私を見つめていた。

なあんだ。

と微笑み返そうとした時。

「やっと見つけた」

頭の中にあの男の声が語りかけてきた。

耳ではなく、骨の奥で鳴るみたいに。

「え……?」


お読み頂きありがとうございます_(._.)_。

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