第6章:境界線
1. 境界にいた者たち
立花慎吾が消えたのは、2023年8月12日。
その深度――35メートル。
彼がその地点を「境界」と呼んでいたことは、これまでの証言と記録から明らかである。
奇妙なことに、過去の類似事件でも“35”という数字が繰り返されていた。
•1985年の失踪者:最後に潜ったのは “水深35m地点の横穴
•音声記録:ノックは必ず3回1組で5セット=“3・5”
•立花の写真に浮かんだ暗号:「35」を繰り返すASCII配列
•立花がの手帳の最後のメモ:「35mで、ノックしてくる。返さなければならない。」
この「35」という数値が、何を示していたのか。
取材を進める中で、ある古い海洋宗教の資料に辿り着いた。
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2. 「海底の門」伝承
S県の沿岸部に、かつて存在した漁村の記録に、次のような口承が記されていた:
“海の下、35尋にある門は、渡ってはならぬ。
渡れば還らず、目を合わせれば、声が奪われる。”
35尋は、現在の単位にして約64メートル。これは、おおよそ水圧限界に近い深度と一致する。
しかし立花が消えたのは35メートル。なぜ“浅い”位置で同じ異常が起きるのか。
海洋研究者・長谷川潤は言う。
「水深ではなく、“意識の深度”ではないかと思うんです。
潜る者が、“何か”を求めてしまった時、物理の深度とは別のラインに達してしまう。
35という数字は、そのラインの“座標”のようなものかもしれません。」
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3. 接続される“ふたつの記録”
第3章で述べた1985年の失踪事件の生還者・藤森誠が残した音声と、立花慎吾の“水中録音マイク”の 音声ファイルを重ね合わせたところ、不可解な一致が発見された。
具体的には、2つの音声を同時再生した際――
•ノック音のタイミングが完全一致
•両者の音声に共通して、「3秒間の完全無音」が同じ位置に存在
•そしてその“無音”に挟まれる形で、両方の音声に「自分の声」が出現
これは、音響工学上では説明不能な現象であり、録音時間の年代も違うため、偶然の一致では済まされない。
もしかすると、立花は藤森の記録を“聴いた”のではなく、“接続された”のではないか。
つまり、記録は一方的に残すものではなく――“誰かに届くもの”だった。
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4. 終わらないノック
事件から半年が経った今も、立花の姿は発見されていない。
だが、ある日、取材者の元に小さな封筒が届いた。差出人不明。中には、1枚のメモリカードと、たった一言のメモ。
「返事を聞いたか」
メモリカードの中には、音声ファイルが1つだけ保存されていた。
【ファイル名:knock.wav】
再生すると、次の音が聞こえる。
•ノック3回、5セット
•12秒の沈黙
•そして、立花慎吾の声:
「……返したよ。」
「……これで、おわるなら、いい。」
(静寂)
「……でも、また、ノックしてたよ。」
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5. 終わりではない終わり
この事件に、明確な答えはない。
科学的にも、心理的にも、異常現象であることは否定できる。
だがひとつだけ確かに言えるのは:
立花慎吾は、自分の意志で“境界線”を越えた。
それは恐怖からでも、事故でもない。
彼はあの裂け目の向こうに、何かを“返しに行った”のだ。
おそらく、誰かが持ち帰ってしまったものを。
あるいは、自分自身の一部を。
そして今も、海の底のどこかで、ノックの音は続いている。
誰かが気づくのを、返事をするのを、待っている。
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6. 取材者からの最後の記録
この記事の最初の目的は、「失踪事件の真相」を明らかにすることだった。
だが今、私はその目自体が、何か別のものに書き換えられていたように感じている。
取材を終え、最後の夜。私の部屋で、3回のノック音がした。
壁でも、床でもない。――内側から。
返事をしてはならない。だが、もしあなたが音を聞いたら。
……耳を澄まさず、目を閉じてほしい。
それが、境界線を越えない唯一の方法だから。