第5章:音と影
1. 最後の音声ファイル
立花慎吾が装備していた“水中録音マイク”が記録していた音声ファイルがクラウド同期用のノートPCに保存されている。全長34分52秒。
最初の10分ほどは海中の環境音(泡音、潮の流れ、装備の軋み)に過ぎないが、後半13分以降に“異常な音の変化”が記録されていた。
まず特筆すべきは、10分36秒〜11分02秒にかけて発生する「ノック音」だ。
3回1組のノックが5秒間隔で繰り返され、計9回繰り返された後、突如として音が消える。
その間、立花自身の呼吸音は徐々に早まり、12分34秒の時点でこう呟いている。
「……近い。……目を、閉じるな。」
これが、音声ファイルにおける最終の発話となる。
その後、音声は極端にノイズが増し、13分16秒から無音状態に入る。
ところが、その“無音”とされた時間帯に、不可解な現象が確認された。
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2. 可視化された「音の影」
この無音部分をスペクトログラム(音声の可視化)で解析したところ、人の顔に似た輪郭と眼球のような構造が現れた。
一見して、ただのノイズの濃淡だと片付けられるレベルではない。音響研究者・工藤圭一は語る。
「音の中に“顔”が現れるというのは、理論上ありえない。
だがこの像は明らかに“作られている”かのような配置で、特に右目部分に当たる周波数領域は、人間の声帯振動に酷似している。」
さらに問題だったのは、映像との連動である。
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3. 映像との“同期現象”
同じ時間帯の映像(GoProが記録したクラウド保存の断片データ)を並行して解析したところ、ある一点で音と映像が“完全に一致”する瞬間が発見された。
•13分18秒(映像時間)
•画面全体が揺れる。
•左側の暗がりに、“人間の頭部に似た影”が0.4秒だけ映り込む。
•同時に、音声スペクトル上で“眼球の拡大図”が浮かぶ。
工藤圭一はこうコメントしている。
「これは偶然ではない。“何かが視線を合わせてきている”構造です。
あえて記録に入ってきている……つまり、これは意のある存在です。」
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4. 取材者に起こった異変
ここで、記録者である私自身に、明らかな異常が現れ始めた。
音声ファイルを聞き始めて以降、以下のような症状が続いている:
•寝入りばなに「水の音」が耳元で鳴る
•壁からノック音が3回ずつ響く夢を見る
•目を閉じた瞬間、“音の中に見た顔”が浮かぶ
•録音資料の音を聴き返しても、自分の声が混ざっている錯覚に陥る
そして最も深刻だったのは――PCで再生中の映像に、なぜか自分の姿が映ったことだ。
それは立花が撮影した裂け目の映像の中で、カメラの奥に微かに反射する潜水服を着た人影。
服の胸に貼られた名前プレートには――私の名前が、書かれていた。
私の錯覚が過ぎると思われるかもしれない。
だが、これは“取材者の錯覚”ではなく、記録そのものが人を巻き込む構造を持っているのではないか。
誰かが記録に残るのではなく――記録に「取り込まれる」のだ。
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