第1章:潜水当日の記録
本章では、2023年8月12日に発生した潜水員・立花慎吾の失踪事件について、当日の記録資料、同行者の証言、および回収された機材データに基づいて構成する。事件の全体像を掴む上で、当日現場にいた3名のダイバーの証言が極めて重要であり、彼らの話を中心に、時系列に沿って状況を再構成する。
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1. 潜水の計画と地点概要
潜水が行われたのは、S県東部のとある岬に位置する「新鷹ノ洞(仮名)」と呼ばれる海食洞である。かつて観光用に整備されていた時期もあったが、1990年代後半に落盤事故が相次ぎ、現在は立ち入り禁止区域に指定されている。
しかし立花は過去にもこの洞窟で撮影を行っており、潜水経験が豊富な者であれば進入は可能であると判断していた。同行したのは、彼の友人であり元ダイビングセンター勤務の酒井勝也(38歳)と、カメラ助手の早川真帆(26歳)の2名。
この日、天候は晴れ、気温32度、水温は22.4度。潮流は弱く、洞窟内の潜水には理想的な条件であったとされている。
潜水は10:10に開始され、立花が最後に通信機器で声を発したのは、10:42である。
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2. 機材構成とデータ
失踪当時、立花慎吾は以下の機材を装着していた:
•ダイビングスーツ(深度50m対応、市販品)
•水中HDカメラ(GoPro HERO11、広角レンズ装備)
•水中録音マイク(専用フルダイビング仕様、自作改造)
•音声記録付き潜水用インカム(独立チャンネル型)
•酸素メーター(残圧はログ上正常)
また、録音記録は、回収された早川真帆の水中インカムにも一部同期されており、立花の発言の一部が複数のデバイスに残されていた。
以下は、潜水の途中で記録された立花の発言の一部である。
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【録音記録:10時35分】
「……洞窟の奥、右手に“縦に長い裂け目”が見える。前回より明らかに深くなってるな」
「……この裂け目、奥が見えない。光、当ててくれる?」(※酒井と思われる返答あり)
「……待て、今、音がした……」
「……中から、ノックされたような……聞こえた?」
【録音記録:10時42分(最終)】
「この中、入ってみる……何か、呼んでる気がする」
※直後に泡音、インカムの通信切断音。以降、無音。
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3. 同行者・酒井勝也の証言(抜粋)
「立花が中に入ってくって言った瞬間、変な静けさがあったんです」
「海の中って、基本的に静かなんですけど……あの時は、音が“消えて”たんですよ。まるで、音ごと持ってかれたみたいに」
「裂け目の奥から、確かにノックみたいな音がしました。石を叩く音じゃない、もっと湿った、柔らかい“何かが触れる”音……」
「彼は笑ってたんです。最後にこっち見て、笑って潜っていったんですよ」
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4. 立花の酸素ログと消失タイミング
酸素ログによれば、立花の残圧は10:42時点で“安全圏”にあり、減圧症や酸欠による錯乱の兆候はなかった。つまり、彼が自ら意図的に深部へ潜っていった可能性が極めて高い。
また、彼のGoProはその後も回収されておらず、データ自体が断片しか残っていない(データの断片はクラウド同期用のノートPCに保存)。記録された最後の2フレームは“何かに覆われるような黒”で画面が塗りつぶされていたという。
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