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第9話 気楽にいこう

夜の冷たい風が背中を押すように感じながら、俺はミラと並んで村の中心にある小さな酒場へと向かった。

木造りの外壁には、手作り感のある看板がぶら下がっている。

扉を開けると、中からふわりと麦酒と香草の匂いが流れ出た。


思わず足が止まった。


「……なあ、ミラ。俺たちみたいな年齢で、入っていいもんなのか? それに……」


ポケットに手を突っ込みかけて──そして、すぐに引っ込める。

当然、何も入ってはいない。


──金なんて、持っているはずもなかった。


「俺、宿のこともそうだけど……金、一銭もないぞ。さすがに悪いって」


ぼそりと呟くと、ミラはくすっと笑った。


「だいじょーぶだって! アッシュがご飯食べるくらい、ちゃんとお金あるから!」


ミラは自信満々に胸を張る。

ポニーテールが軽く揺れた。


「それにね、助けてもらったお礼もまだちゃんとしてないし。だから気にしないでよ、ね?」


その屈託のない笑顔に、俺は小さく息をついて頷いた。


「……わかった。甘えさせてもらうよ」


気持ちのどこかに、申し訳なさと、少しの心細さがあった。

けれど、それ以上に、今はこの優しさを受け入れることが必要な気がした。


「よーし、じゃあ、いこっ!」


ミラに引っ張られるようにして、俺は酒場の中へと足を踏み入れた。


---


奥の方の小さなテーブルに案内され、俺たちは向かい合わせに座った。

壁際には、村の男たちが木の椅子に腰を下ろし、酒を片手に静かに語り合っていた。

ランタンの火が揺れて、木目のテーブルに柔らかな影を落とす。


「いらっしゃい。食事でいいかい?」


店主らしき中年の男が、手早く水の入った木杯を置いていく。


「はいっ! この村のおすすめ料理、お願いしまーす!」


ミラが元気よく答えると、男はにやりと笑って、厨房へと引っ込んだ。

すぐに運ばれてきたのは、香ばしく焼き上げられた獣肉の串焼きと、薬草を練り込んだ素朴な麦粥だった。


それから、小ぶりの木皿に盛られた《セイバール草のサラダ》。

葉っぱには、ほんのり苦味の中に甘みがあり、しゃきっとした歯ごたえが心地よい。

俺は串をひとくち頬張った。


「……うまい」


じゅわっと広がる肉の旨味に、思わず本音がこぼれる。


「でしょでしょ? この獣肉も、ちょっと危ない森の奥で獲れるやつなんだよねー」


ミラは得意げに言った。


「アタシもね、この村でちょっとだけ仕事してたんだよ。薬草とか、こういう特産品集める依頼とか。日銭だけど、ちょっとは役に立てるからさ!」


麦粥をすくいながら、ミラは笑った。


「ナビゲーター見習いって言っても、いろいろやるんだな」


「うん! まあ、お宝探しも薬草採りも、現地調査も、基本はぜーんぶやるの!」


ミラは麦酒の木杯を両手で持ち上げ、嬉しそうにひとくち飲んだ。

それを見ながら、俺はふと疑問を覚えた。


──自分の感覚では、酒を飲んでいいのは二十歳を越えてから、だった気がする。


けれど、注文のときにも誰も咎める様子はなかったし、周囲を見渡しても、どう見ても未成年に見える若者たちが普通に木杯を傾けている。


(……いいのか、こっちは)


少しだけためらいながらも、俺はミラにならって麦酒を口に含んだ。


ぐっ──


舌に広がった苦味に、思わず顔をしかめる。

それを見たミラが、ぷっと吹き出した。


「あははっ、苦かった?もしかして、麦酒って初めて?」


咳き込みそうになるのをこらえ、小さく頷いた。


「……ああ。結構……くるな」


「ふふっ、ここの麦酒は《セイバール麦》っていう、この地域でしかとれない麦を使ってるんだって。ちょっと香草っぽい匂いするでしょ?」


確かに、ただ苦いだけじゃない。

ほんのりと、草のような、土のような、野生の匂いが鼻を抜ける。


「慣れると美味しいんだけどね~。最初はびっくりするよね」


ミラは軽く木杯を揺らしながら、楽しそうに笑った。

俺も苦笑しながら、再び麦粥に手を伸ばした。


温かな食事と、ぽつぽつと交わされる言葉。

見知らぬ土地の夜は、思ったよりも──優しかった。


麦粥を食べ終えたころ、テーブルの上には木杯と皿だけが残った。

ランタンの明かりが静かに揺れている。

ふと、ミラが思い出したように言った。


「そういえば、アッシュってさ」


「ん?」


「生まれって、どこ?」


俺は少し考えた。

けれど、答えはすぐに出る。


「……わからない」


「そっか。じゃあ──ご両親とかは?」


「それも、わからない」


ミラは、少しだけ困ったような笑顔を見せた。

俺も、自分で答えながら、内心もやもやした感覚を覚えていた。


「うーん……なんていうか、ただ記憶がないって感じとも違うんだよね」


ミラは木杯を両手で持ちながら、小さく首をかしげる。


「だってさ、普通の人なら絶対知ってるはずのこと──たとえば、ボーダーとかナビゲーターとか……アッシュ、知らなかったじゃん?」


その指摘に、俺は無言で木杯を傾けた。


──確かに、思い出せないというより、最初から知らない感覚だった。


この世界に生まれたなら、知っていて当然のことさえ、俺の中にはなかった。

ミラは、特に深い意味もなさそうに、ぽつりとつぶやいた。


「……どっか、別の世界から来た人みたいだね」


その言葉に、俺は、静かに息を止めた。


別の世界 ──その響きが、妙にしっくりくる。

胸の奥が、ぐっと締めつけられるような感覚がした。

息を飲み、背筋をわずかに正す。

目の奥が、少しだけ熱を帯びていた。 はっきりとした記憶はないけれど──。


俺は──たぶん、この世界の人間じゃない。

ミラはそんな俺の心境を知るはずもなく、続けた。


「でもね、絶対ただ者じゃないと思うんだよね。アッシュって」


「……おおげさだな」


「だって、普通は魔物相手に、あんなふうに戦えないよ」


俺は、昼間の戦いを思い出す。

剣を振るったときの感覚。

魔物の動きを見切って、迷いなく体を動かしていた自分。


あれが本当に初めてだったのか、自分でもよくわからなかった。

けれど、妙に冷静で、無駄がなく、どこか普通じゃない自覚だけはあった。


「……まあ、自分でも、普通じゃない気はする」


木杯を持つ手に少しだけ力を込めながら、俺は呟いた。

ミラは嬉しそうに笑った。


「ほらね! それにさ、ボーダーじゃなくても、ボーダーズギルドに行けば、なにかわかるかもしれないよ?」


「……ああ、昼間にも言ってたな、それ。ボーダーズギルド」


俺が思い出すように言うと、ミラは頷きながら説明を続けた。


「うん! ギルドっていうのはね、ボーダーとかナビゲーターとか、そういう境界渡りの人たちが登録してる組織! 都市に支部があって、仕事を紹介してくれたり、地図や遺跡の情報も手に入るんだよ」


「なるほど……」


どうやら、ボーダーズギルドはこの世界にとって中心的な役割を果たしているらしい。


「それに、王国の都市にあるギルド支部はすっごく大きいの! 各地からいろんな人が集まってるし、変わった遺物とか、珍しい情報も集まるって聞いたことある! アッシュに関する事ももしかしたら何かわかるかもしれなよ」


弾むミラの声を聞きながら、俺は少しだけ未来の景色を想像していた。

──そんな場所なら、きっと何か見つかるはずだ。直接自分の事はわからなくても、次に進むべき手がかりぐらいはつかめる可能性がある。


「……そこに、行ってみる価値はありそうだな」


「でしょでしょ? あ、そうだ!」


ミラはにやりと笑うと、くるっと木杯を回した。


「ちょうど、キャラバンが来るんだよ! あと一週間くらいで!」


「キャラバンっていうのはね、ボーダーとナビゲーターがパーティを組んで、街と街をつないでる定期便みたいなものなんだ」


「……なるほど、物流の要ってわけか」


俺は思わず口に出していた。

ミラは、木杯を軽く指先で転がしながら話し始めた。


「この村みたいにあまり大きくない村だと、特産品とか手紙とかを街に運ばなきゃならないんだけど……普通の人だけじゃ、危ない道は越えられないでしょ?」


「だから、パーティを組んだボーダーたちが護衛するわけか」


理にかなってる。

たしかに、それなら物資も人も安全に運べるだろう。


「うん、そんな感じ!」


ミラは軽く頷いた。


「キャラバンって言っても規模はいろいろで、小さいのだと荷車が数台だけ、大きいのだと何百人も連なるんだよ。商人や旅人も一緒に移動したりしてさ」


俺は静かに聞きながら、頭の中で想像してみる。

長い列をなして移動するキャラバン。

そこに護衛のボーダーたちが加わり、道なき道を進んでいく光景を。


「ボーダーやナビゲーターがいると、境界付近の危険な道も通れるようになるから、安全な道を迂回するより、何日もかかるところを大幅に短縮できることもあるの。街と街の間って、思ったより遠いんだよね」


ミラは、そう言いながら木杯を持ち上げ、少しだけ口元に運んだ。


なるほど──

俺たちみたいな一般人だけじゃ踏み込めない道も、キャラバンなら進める。

それが、この世界で旅をするうえで、最も現実的で安全な手段の一つなのかもしれない。


ミラは麦酒をひとくち飲んだあと、ふっと小さく息をついて言った。


「ま、でも……まだ一週間あるし」


木杯を置いて、俺の方を見たミラの表情は、どこか気楽なものだった。


「それまでに、アッシュが何か思い出すかもしれないじゃん? 焦らなくていいよ。気楽にいこ!」


──名前の由来、知らない記憶の断片。

それらに答えがあるかもしれないという期待が、少しずつ胸の中に灯っていく。

その自然な一言に、俺は胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。


──気楽に、か。


「……ああ。そうだな」


俺は静かに頷いた。

ミラは特に大げさなリアクションを取るでもなく、

「うんうん」と頷きながら、また麦酒をちびりと舐めた。


──


気づけば、夜が深まっていた。

窓の外では、家々の灯りがぽつぽつと瞬き、微かな話し声が風に溶けていく。

静かな夜が、確かにそこにあった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

現在、毎日投稿を継続中です。


よければブクマや評価、感想などで応援いただけると励みになります。

今後の展開もぜひお楽しみに!

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