第7話 ココナ村にて
夕暮れの空が、ゆっくりと赤く染まり始めていた。
草原を抜け、小高い丘を越えた先──
俺たちの前に、小さな村が姿を現す。
粗削りな石壁。
木と粘土で作られた、素朴な家々。
風に揺れる、色とりどりの洗濯物。
土の匂いをまとった、かすかな煙。
初めて目にする風景なのに、どこか懐かしい気持ちになる。
(……俺の知っている世界とは、確かに違う)
もやっとしていた違和感は、時を重ねるごとに確信へと変わっていた。
どこかで過ごしたはずの場所とは、何かが違う──
それが何かはまだ思い出せないけれど、目の前の村の光景は、確かにそれとは違っていた。
それでも、ここには確かに人の暮らしがあって、穏やかな時間が流れていた。
「着いたよ!ここが、ココナ村!」
ミラが、誇らしげに胸を張る。
村の入り口では、農作業を終えたらしい男たちが、のんびり腰を下ろして話していた。
ミラが手を振ると、
「ああ、ミラか!」と、気さくな声が返ってくる。
「あれ、今日は一緒に誰か連れてるのか?」
「うん、ちょっとした知り合い!アッシュっていうの、よろしくね!」
突然紹介されて、少し戸惑ったが──
俺も軽く頭を下げた。
男たちは、俺をまじまじと見たあと、
「頼もしそうな若ぇのが来たな。まぁ、ゆっくりしていきなよ」
と笑って、また話を続けた。
──どうやら、変に警戒されることはなさそうだ。
村を進むにつれ、子どもたちが走り回り、家々からは夕飯の支度をする匂いが漂ってきた。
薪を割る音。
水を運ぶ桶の音。
遠くから聞こえる、牛の鳴き声。
生きている音。
──いい場所だな
素直にそう思った。
漠然とある不安は、なんとかなるかもしれない。というぐらいにはなっていた。
ミラはいい奴そうだし、俺はきっと運がいいんだろう。
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「ここが、私が泊まってる宿だよ!」
村に入ってほどなくしてミラが指差したのは、村の中央に建つ、少し大きめの木造の建物だった。
『旅人宿 ロサナ亭』
手作り感のある看板が、入り口の上に掲げられている。
見たところ三階建ての作りでほとんどの建物よりも大きい。
扉を開けると、中から暖かい空気と、かすかなパンの焼ける匂いが流れてきた。
「こんばんはー!」
元気な声でミラが呼びかけると、奥からエプロン姿の中年の女性が顔を出した。
「あらミラちゃん、おかえり!あらあら、今日はお連れさん?」
「うん、ちょっと事情があって一緒に泊まらせてもらえないかな?」
女性はにこやかに頷くと、
「あいにく個室はいっぱいなのよね」
「いいのいいの、私の部屋で泊めるから」
「それならいいけど」
意味深な目でこちらを見てくる女性。
まてまてまてまて。聞いてないぞ!
「何?どうかした?」
「どうかって、あのなぁ、俺は男だぞ」
「何言ってんのよ。知ってるってば」
「さ、行こ」と言って歩き出すミラ。
なんだ、俺が悪いのか?
店の女性がさも楽し気にこちらを見るが、俺は気づかぬふりをしてミラの後を追った。
---
宿の二階、案内された部屋は──
木造りの、簡素な二人部屋だった。
きしむ床板。
壁にかかった、素朴な織物の飾り。
窓辺には、手作り感のある小さな花瓶が置かれている。
窓を開けると、ちょうど村の中心広場が見下ろせた。
石畳と土の道が交差し、広場の隅には小さな水場があり、ゆるやかに水が流れている。
そのまわりを囲むようにして建つ店々。
暮れなずむ空の下、村人たちが家路を急ぐ様子が見えた。
知らない世界のはずなのに、どこか懐かしさを感じる──そんな温かみのある情景が、目の前に広がっていた。
部屋の中には、ミラが置いていたらしい荷物がいくつか転がっていた。
編み込みの布袋、地図のような紙の束、ちょっとぼろぼろになった手帳。
(……結構、生活してるんだな。)
新しい旅人、というよりは、しばらく腰を落ち着けて滞在している、そんな感じだった。
「ふーっ……疲れたー!」
ミラが、ドサッとベッドに飛び込んだ。
革の靴を脱ぎ捨て、軽く足をぶらぶらさせながら、ベッドの上で大の字になる。
「外を歩き回るだけでも、けっこう体力使うんだよねー……」
俺は苦笑しながら、部屋の隅に荷物をまとめると、空いている方のベッドに腰掛けた。
とはいっても俺の荷物なんてひとつもないのだが。
「私、この村に滞在してるの。マナの調査のためにね」
ぽつりと、ミラが言った。
「マナの、調査?」
俺が聞き返すと、ミラはベッドの上で上体を起こし、手で空中をくるりとなぞった。
「さっきも少し話したけど……」
ミラは手をふわりと動かしてから、ゆっくりと続けた。
「マナって、この世界を満たしてる目に見えない力のことなの」
「……力?」
「マナは、生き物の命にも関わるくらい、大事な力なんだ。だからこそ、調査もすごく重要なの」
ミラは、軽く足をマッサージしながら続ける。
思わず、引き締まった彼女の足に視線が流れそうになるが──
俺は慌てて窓の外に目をそらした。
「でもね──」
ミラの声が、少しだけ真剣さを帯びる。
「この世界って、そんなマナの流れが絶妙なバランスで保たれてるの」
「バランスが崩れると、何かが起きる……ってことか?」
「そう。ほんのちょっとでも力の偏りができると、境界が広がったり、魔物が生まれたり、色んな異変が起きるの」
ミラは窓の外をちらりと見た。
遠くで子供たちの笑い声が聞こえる。
「だから、街や村は、できるだけマナが安定してる場所に作られてるんだけど──それでも、どこも完璧に安全ってわけじゃないんだ」
「だからナビゲーターが、マナの状態を調べるってことか」
「そういうこと!」
ミラがにこっと笑った。
「マナが乱れかけてるのを事前に察知できれば、対策を打ったり、ギルドに報告したりして、大きな異変を防げるからね」
少し間を置いて、ミラは言葉を続けた。
「でも……こういう辺境の村って、なかなか正式なナビゲーターが回ってきてくれないんだよ。お金もないし、王都からも遠いから」
「王都?」
「うん。王都とか大都市は、フラグメントの加護とか、地形的な安定もあって、マナがすごく穏やかな場所が多いんだ。ナビゲーターの手を借りなくても、長い間安全に暮らせたりする」
──王都。
この世界にも、ちゃんとそういう"中心"が存在しているらしい。
「だから、こういう場所では──」
ミラは肩をすくめて、小さく笑った。
「私みたいな見習いが、修行も兼ねて調査を請け負うことになるってわけ」
楽しげに話してはいるけれど、その裏にある現実は、決して甘くない。
それでも、ミラは、まっすぐに笑っていた。
その笑顔に、俺はどこか、救われる気がした。
「調査の代わりに、ここの宿代タダにしてもらってるんだよ。この宿の人、優しいから」
そう言いながら、ミラはベッドに転がって、腕を広げる。
「だから、アッシュも安心して使っていいからねー。せっかく二人部屋だし!」
「……ああ」
少しだけ、照れくさくなりながら、俺も、柔らかく返事をした。
部屋の中には、静けさが広がっていた。
外の風が窓を通り抜け、木の窓枠をかすかにきしませる。
しばしの間、お互い言葉を交わさず、その空気を味わっていた。
やがて、ミラはベッドから軽く身を起こして、明るい声で言った。
「──それじゃ、ちょっと落ち着いたら出かけようか。今日の調査結果を、村の人たちに報告しなきゃいけないんだ」
その声に引きずられるように、俺も立ち上がる。
窓の外に目を向けると、夕闇が村をゆっくりと包み込み、
ぽつりぽつりと、家々に灯りがともっていく。
どこか懐かしい──
そんな、静かな夜の始まりだった。
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