第6話 魔物という存在
シャドウ・ハウンドの倒れた姿を見下ろしながら、俺はふと疑問に思った。
「ここいらでは、こんなのがホイホイ出てくるのか?」
「そんなことはない、はず……」
ミラが、苦い顔をして首を振る。
「シャドウハウンドは下級の魔物だけど、昼間に姿を現すなんて、めったにないの。それに……ここって、村からもそんなに遠くないんだよ」
言いながら、ミラの表情に、かすかな不安の影がよぎる。
「そうなのか…」
俺は、倒れた魔物の異様な姿を見ながら、ぼんやりと口を開いた。
魔物の口元には、まだ粘り気のある紫色の液体が垂れていた。
その滴り落ちる様が、どこか生々しくて、不気味だった。
「魔物ってのは、どいつもこんなに狂暴なのか?」
あの動き、あの瞳、牙の鋭さ、すべてが俺の知っている──いや、“知っている気がする”生き物たちと比べても、どこか異様だった。
あらゆる感覚が、俺にそう告げていた。
(知ってるも何も……俺は、何を知ってるんだ?)
ふと自分の言葉に、矛盾を感じた。
今の俺に、確かな記憶はない。
けれど、咄嗟に出る単語や感覚は、確かに自分の中にあった。
──いつ、どこで、何を知ったのか。
それだけが、ぼんやりと曖昧なまま。
ミラは、俺の内心のざわつきには気づかないまま、静かに説明を続けた。
「魔物はね、動物とは違うの。肉体を持たない、不浄なマナの集合体──それが魔物なんだよ」
一拍置いて、俺は聞き返す。
「マナ?」
「うん。マナは世界を巡ってる力……生き物も、大地も、空気も、みんなマナに満たされてるの。
たとえば木が育つのも、草花が芽吹くのも、そこにマナの循環があるから。マナが満ちている場所では、自然の営みがより豊かに、力強く育まれる。でも、境界付近ではそのマナが乱れて、不浄になっちゃう」
「不浄なマナ……」
口の中で繰り返す。
言葉自体は理解できるのに、意味の深さはすぐには掴めなかった。
「そう。それが集まると、魔物が生まれるの。魔物はね、自分の存在を保つために生き物のマナを求めるの。それが彼らの本能であり、存在理由でもあるの」
──なるほど。
単なる獣ではない。
生きるため、というより、存在そのものを維持するために戦う存在。
だからこそ、その動きも本能的で、容赦がなかったのか。
狂暴なのも、ある意味必然というわけか。
それにしても、“不浄な力”によって生まれる存在……
この世界には、まだ俺の知らない仕組みが数多く存在している。
ふと、魔物を仕留めたあの瞬間の感触が、掌にわずかに蘇る。
あれは単なる戦闘ではなく、何か異質なものとの接触だった気がした。
「だからね、境界に近い場所では、ボーダーやナビゲーターみたいな人たちが欠かせないんだ」
ミラが、小さく胸を張った。
「さっきも言ったけど──境界を越えたり、魔物を避けたり、フラグメントを探したり。私たちは、そういう役目を担うんだよ。って私はまだ見習いでライセンスはないんだけどね」
ちょっと照れくさそうに、ミラは笑った。
話の中で、ごく自然に出てきたその単語に、俺はふと引っかかりを覚えた。
(……フラグメント)
また聞きなれない言葉だ。
けれど、さっき神殿跡の話をしていたとき、ミラが一度、口にして飲み込んだ単語でもあった。
ただの偶然ではない気がする。
──この世界には、まだ俺の知らないことが、山ほどある。
だが、今は焦らない。一つずつ拾っていけばいい。
その一つ一つの先に、何が待っているのかは──まだわからない。
「最初はただの使い走りみたいな仕事だったけど、それでも少しずつ経験を積んで、いつかは立派なナビゲーターになりたいんだ」
軽く肩をすくめながらも、その声には迷いがなかった。
夢を語るというより、当たり前の未来として話しているようだった。
「実際、ボーダーやナビゲーターがいることで、村の人たちは安心して暮らせるんだよ。だから私も、その一員になって役に立てるようになりたいの」
飾り気のない言葉なのに、不思議と心に残った。
自分の足で未来を見据えている、そのまっすぐさが眩しく思えた。
「ま、とにかく!」
ミラが、ぱん、と手を打つ。
「さっきのシャドウ・ハウンド……ちょっと気になるんだよね。見た目は普通だったけど、何か妙な感じがしたんだ」
「妙な感じ?」
「うん。マナの濁り方が、なんだか不自然だったっていうか……説明できないけど、違和感があったの」
そう付け足したミラの笑顔は、どこか曇って見えた。
魔物にも“個体差”のようなものがあるのかもしれない。
けれど、ミラの言葉には、それだけじゃない漠然とした予感のようなものが滲んでいた。
「……だからさ、この辺りで昼間に魔物が出るのは、やっぱりおかしい。早めに村に着いた方がいいかもね」
「……ああ」
小さく頷いて、俺たちは再び歩き出した。
踏みしめる地面はしっとりと湿っていて、靴の裏に泥が貼りつく。
頭上を横切る木漏れ日の中、どこか遠くで鳥の鳴き声が響いていた。
会話は自然と途切れ、森のざわめきの中に身を委ねながら、俺たちはしばらく無言のまま歩き続けた。
村まで、あとどれくらいだろう。
距離感はわからないが、空気がどこか柔らかくなったような気がして──少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
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