第5話 潜在する力
「ところで、この道って村まで続いてるのか?」
考えてみれば、どれくらいかかるのかまでは聞いていなかった。
歩き続けるのは構わないが、目安くらいは知っておきたい。
「私が今滞在しているのは、ココナ村ってところなんだけど。ここから……三、四時間くらいかな」
思ったより、距離はあるらしい。
「でも、いい場所だよ。みんな優しくて、旅人にも親切にしてくれるし。 村の近くでは“セイバール草”っていう薬草が採れるんだ。回復ポーションの材料にもなる特産品でね、結構有名なんだよ」
言葉の端々から、その村への愛着のようなものが感じられた。
「私、村の人たちの手伝いで森に入ることもあるんだけど……あの神殿は、その時に偶然見つけたの」
ということは、わざわざその距離を歩いて、神殿跡まで来たってことか。
ジャングルというわけではないが、地面は柔らかく、所々ぬかるんでいて、決して歩きやすい道ではない。
それでもミラの足取りは軽かった。
リズミカルに草を踏みしめる様子に、身体を鍛えていることがなんとなく伝わってくる。
ナビゲーターとやらはきっと体力もいる仕事なんだろう。
(……思ったより、しっかりしてるんだな。)
「休まず歩けば、夕方までには着くはずだよ!」
振り返ったミラが、ぱっと笑った。
無邪気なその笑顔に、胸にたまっていた緊張が、すっと和らぐのを感じる。
――その時だった。
かすかな気配が背中を撫でたような気がして、思わず足を止める。
風のないはずの森に、わずかな揺れ。
草むらの一角が不自然にざわめいた。
俺も、ミラも、同時に立ち止まる。
一気に、空気が張りつめた。
「……気をつけて」
ミラが、囁くように言った。
耳を澄ますと、草むらの陰から、低く、くぐもったうなり声。
空気の密度がわずかに変わったような気がして、無意識に息を詰める。
(何か、いる──)
次の瞬間、
草むらを割って、黒い影が飛び出した。
四足の──犬に似た魔物。
だが、ただの犬ではない。
異様に長い前脚。
鋭く、光を反射する目。
口元からは、ねばつく紫色の液体が滴り落ちている。
(……あれは。)
ミラが、息を呑む音が聞こえた。
「シャドウ・ハウンド……!」
叫ぶと同時に、ミラが手を前に突き出す。
空気が震え、彼女の手元に、何か目に見えないものが集まり始めた。
あの神殿で、化け物に吹き飛ばされた時と似た、空間がきしむような気配だった。
「ウィンド・ブラスト!」
詠唱とともに、空間がぐにゃりと歪む。
耳鳴りのような音が鼓膜を揺らし、空気の圧が肌を押した。
次の瞬間、目に見えぬ圧力が弾け飛び、突風となって魔物を吹き飛ばす。
(今の……魔法か?)
目の前の光景は、どこか現実味が薄く、頭が追いついていない感覚があった。
けれど、間違いなくそれはこの世界の“当たり前”なのだと、本能が理解しようとしていた。
ただの風じゃない。
何か、もっと“根源的な力”を感じた。
岩壁に叩きつけられたシャドウ・ハウンドは、呻き声をあげたが──
すぐに、ぐらりと立ち上がる。
その瞳が赤くぎらつき、明らかにこちらを狙っている。
ミラとの距離が近い──まずい。
突進。
咄嗟にミラをかばうように身を滑らせた瞬間、影が俺の正面を横切った。
(大きなダメージにはなってない──あの程度じゃ怯まないか)
そう直感した時には、すでに身体が動いていた。
俺は、自然と前に出ていた。
足を沈め、姿勢を低く構える。
跳躍する影の動きを見切り、一気に間合いを詰める。
──重心が甘い。
ほんのわずかな隙を突き、魔物の死角へと回り込む。
体重を乗せた拳を、鋭く、魔物の脇腹へと叩き込んだ。
骨に当たるような硬い手応えと、ぬるりとした皮膚の感触が混ざり、不快な生々しさが拳を通して伝わってくる。
ぐしゃり、と嫌な音がして、シャドウ・ハウンドは短く呻くと、その場に倒れ伏した。
もうピクリとも動かない。
辺りには、風の音と、俺の息づかいだけが残っていた。
「……強っ!」
ミラがぽかんと口を開けたまま、俺を見ていた。
「ほんとは、ちょっと焦ってたんだよ。あんなの久しぶりだったから……」
安堵の息をつくと、彼女は気まずそうに笑った。
「なんでそんなに普通に戦えるの!?」
今度は半ば呆れたような口調で言葉を漏らす。
その目は驚きと、少しの好奇心に揺れている。
「もしかしてやっぱり、ボーダーだったりする!?」
「いや、違う」
間髪入れずに答えていた。
嘘じゃない。ただ、俺自身が自分のことをまだ何もわかっていないだけだ。
「そっか……」
ミラは少し考えるように視線を落としたが、すぐに顔を上げた。
その表情には、妙な確信が宿っていた。
「でも……アッシュ、絶対適性あるよ!」
「適性?」
「うん。戦い方も、動きも、すごく自然だったし……まるで体が覚えてるみたいだった」
俺はその言葉に、小さく息を呑んだ。
……確かに。
あの瞬間、体が勝手に動いていた。
踏み込みも回避も、自然と流れるように繋がった。
まるで、考えるよりも先に身体が反応していたような感覚だった。
「王国の都市に行けばね、ボーダーズギルドっていうのがあって……そこなら、ボーダーとしての適性の検査とかも受けられるの。渡り手登録っていう手続きもできるし、もしかしたらアシュトの事も何かしら記録が残ってるかもしれないよ」
渡り手?
聞き慣れない単語だ。たぶん、ボーダーと似たようなものなんだろう。
それにボーダーズギルドか──名前だけではわからないが、ミラの話しぶりからすると、それなりに規模のある組織らしい。
今の自分にとって、頼れる場所は他にない。行ってみる価値はあるのかもしれない。
少なくとも──何か、手がかりになる気がした。
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