第36話 覚醒の呼び声
暴走したフラグメントの光が天井を貫いた瞬間、轟音と共に周囲の空気が震えた。
空間が軋み、床が微かに揺れる。
「来るぞ!」
ライナーの叫びと同時に、天井から幾条もの赤黒いマナが迸り、地を這うようにして部屋中を満たしていった。
その中心に立つエルディスは、全身から吹き出すマナに包まれながら笑っていた。
彼の肌はひび割れ、そこから濁った光が漏れている。
背中から伸びた骨のような構造物は羽のようにも見え、しかしどこか異形めいていた。
「これが……神の御業だ……ッ!」
陶酔したような声が空間を満たす。
彼の両目は焦点を失い、ただ快楽に酔いしれるように見開かれていた。
やがて、そのマナの奔流から、異形の存在が生まれ始める。
床に落ちたマナが蠢き、形を持った影が這い出す。
「ミラ、ベールを!」
ライナーが叫ぶ。
「やるしかないよね……!《セイクリッド・ベール》!」
ミラが唱えた魔法が淡い光の膜となって、アシュトたちを覆う。乱れたマナを遮る神聖の障壁。
通常のベールより高位の防御魔法──だが、その分、維持にかかる負荷も尋常ではなかった。
加えて、この空間に満ちるフラグメント由来の赤黒いマナは、彼女の魔法すら侵食し、消耗を早めていた。
ミラの額には汗が滲み、指先が小さく震えていた。
その間にも異形の魔物は数を増し、呻くような音をあげて迫ってきた。
「っち、湧きすぎだろ……!」
魔物が迫る。ライナーは剣を抜き、ミラの前に立ちはだかる。
一体が突進してくるのを見据え、腹に重い一撃を叩き込むと、黒煙を上げてそれは崩れ落ちた。
ミラは息を切らせながらも、ベールを維持する。
ライナーは彼女のそばに立ち、次々と湧き出る魔物を押さえていた。
その間にも、エルディスの変質は進行していた。
肉体の半ばは既に人の形を失い、骨が露出したような腕が伸び、指先は黒く鋭い爪となっていた。
背中からは骨のような構造物が羽のように広がり、不気味なうねりを伴って空間を切り裂いていた。
皮膚のひび割れからは濁った光が滲み出し、そこから漏れるマナが周囲の空気を振動させる。
ただ、胸の中央から左肩にかけて──その一部だけがまだ人間の面影を残していた。
その異形の中で、なおも笑みを浮かべる表情が、かえって恐ろしさを増幅させていた。
「止まらない……! フラグメントと一体化してる……!」
ミラの声が震える。
だが、その横でネアが無言で一歩を踏み出す。
稲妻が走る──
ネアの双剣が稲光を帯び、紫電となって空間を裂いた。
生まれ出ようとしていた魔物たちを一瞬で焼き尽くす。
ネアの動きはまさに疾風の如く、地を滑るようにしてエルディスとの距離を詰めていった。
その間、アシュトも剣を構えて飛び出す。
エルディスが異形の腕を伸ばして放った一撃を、低い姿勢で回避しながらラグナ=ヴェントを振るう。
「硬い……っ!」
衝撃が走る。異形と化したエルディスの腕はまるで金属のように硬く、剣先が弾かれた。
左右からマナの集合体――黒くうごめく獣が襲いかかる。
アシュトはその動きを読んで横薙ぎに一閃、風刃のような斬撃で獣をまとめて吹き飛ばす。
一方、空中へ跳躍したネアが体をひねりながら迫る。
エルディスの腕が異様に広がり、彼女を丸ごと包み込もうとした瞬間──
「危ない!」
ミラの声が響く。
雷を纏った双剣が閃き、異形の腕を斬り裂く。
パンッという雷鳴が弾けたような音が室内に轟き、焼けた肉の匂いが立ち込めた。
エルディスの腕は炭化し、霧のように散っていく。
しかし、それでも止まらない。
エルディスの背後に、魔法陣が浮かび上がる。
赤黒い光の柱が天から伸びた。
「ふっざけんなッ!」
ライナーが叫び、ミラの前に飛び出す。
魔力の尽きかけたミラのベールが消える寸前、アシュトの剣が風の刃を放ち、光柱と激突。
空間が軋みながら光がかき消された。
辺りには、なおも黒き魔物が湧き続ける。
「これが……封印級のフラグメントの力か……っ」
ライナーが苦々しく唸る。
ミラはひとつ息を吸い、最後の魔力で仲間にベールをかけると、地に膝をついた。
アシュトは一歩前に出た。
ミラの前に立ち、三人を包囲するように現れた黒い魔物たちに向けて剣を構える。
魔物たちは黒煙を纏いながら呻き声を上げ、じりじりと距離を詰めていた。
彼の視線の向こうには、雷を纏ったネアの姿があった。
ネアが再び、エルディスと対峙する。
その異形の姿を見上げ、静かに言葉を落とした。
「哀れだね」
愉悦に満ちた笑みを浮かべたエルディスは、自らの腕を広げ、目を見開いて答えた。
「私は今、最高に幸せだよ……」
一瞬、ネアの瞳が細くなる。
唇がわずかに歪み、冷笑ともつかない表情が浮かんだ。
「そうかい」
ネアは冷ややかに呟く。
次の瞬間、ネアの姿がかすむ。
移動の軌道に雷の嵐が走り、触れた魔物たちを次々と蒸発させていく。
エルディスは応じるようにその身体をさらに異形化させ、迎撃を試みる。
だが、ネアの動きは止まらない。
一閃──
双剣が輝き、エルディスの両腕が宙を舞う。
「……あの世で神にでも祈るんだね」
エルディスの唇がわずかに歪み、血が滲む口元で笑みを浮かべていた。
瞳の奥にはまだ陶酔の光が揺れ、頬を痙攣させながら、何かを呟こうとしていた──だが、その言葉は形にならなかった。
そして、稲妻のような最後の一撃がエルディスの首元を断ち切った。
異形の身体が、蒸気のような光とともに崩れ落ちていく。
だが──
その瞬間、天井に浮かんでいた水晶体──封印フラグメントが激しく明滅を始めた。
「……暴走が止まらない!?」
ミラが叫ぶ。
フラグメントがエルディスとの融合を失ったことで、抑え込まれていた力が一気に拡散し始めていた。
ネアが睨みつけるようにフラグメントを見上げた。
「このままじゃ、ここ全体が“境界”になる……!」
天井に浮かぶフラグメントからは、赤黒い光の脈動がまるで心臓の鼓動のように溢れ出し、周囲の空間を歪ませていた。
壁面や床には微細なひびが走り、空気中に漂うマナの流れが渦を巻いている。
焦げたような匂いと共に、耳鳴りのような高音が空間に満ち、空気が震えるような圧力が全身にのしかかる。
ただならぬ力が、押し寄せるように広がっていく気配があった。
「撤退するぞ! 全員、今すぐ!」
ライナーが声を上げる。だが、その時だった。
アシュトが、一歩だけ前へと出た。
「アッシュ……何を……?」
「……わからない。でも、あれに触れなきゃいけない気がするんだ」」
胸の奥で、微かに声のようなものが響いた気がした。
その感覚は曖昧で、正体の分からないものだったが、確かに何かがアシュトを引き寄せようとしていた。
仲間たちの制止を振り切るように、アシュトはフラグメントに向かって歩き出す。
光と音が交錯する空間の中で、彼の姿だけが、不思議と静けさを保っていた。
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