第35話 目覚めの時
重厚な石扉をくぐった先に広がっていたのは、想像を超える空間だった。
天井は高く、柱に囲まれた円形の広間。
淡い蒼の光に照らされたその中心には、祈りを捧げるように立つ女神像があった。
──どこかで見たことがある。
地上にあった女神像と酷似していた。
だが、違うのは、その背後に浮かんでいた、ひとつの存在。
幾何学的な多面体をした巨大な水晶体──
それは空中に静かに浮かび、内部で淡い光が脈動していた。
まるで鼓動するかのように。
不安定に明滅する光。封印の緩み。
……今にも、何かが起こりそうな、そんな予感。
「……これが……封印フラグメント……?」
ミラの声が、震えを含んでいた。
周囲を見渡すと、そこにはいくつもの人影が……いや、すでに事切れていた。
床に横たわるのは、神聖な白衣に身を包んだ聖職者たちだった。
祈りの手を伸ばしたままの者。
顔を苦悶にゆがめたまま絶命した者。
血だまりが、神殿の床を濃く染め上げていた。
──静寂が、重く、息苦しい。
その中心。
女神像の石台の前に、ひとりの男がいた。
白銀の装束に似た、だがどこか異様な──血と煤にまみれた聖職者のローブ。
肩を震わせ、息を荒げ、石台に向かってなにかを囁くように詠唱していた。
「おい……お前……何をしてる……」
ライナーさんが低く呻くように呟き、剣に手をかけた。
男は、ゆっくりと振り返る。
浅黒い肌に、切れ長の目。
──その瞳だけが、異様だった。
まるで、虚空を見ているかのように焦点が定まらない。
だが、その奥には、熱と執念、狂気すら感じる強い光が灯っていた。
「……おや。お客様かな……」
男は、わずかに口角を上げ、笑みを浮かべた。
──狂っている。
そう直感するまでに、時間はかからなかった。
あまりにも異質な空気。
死と血と、儀式のようななにかの気配。
「答えろ。お前、何者だ」
ライナーさんが剣を抜き、声を荒げる。
だが男はまるで気にした風もなく、石台の前から数歩だけこちらに歩を進めた。
その足元には、ひとつの遺体があった。
倒れたまま動かぬ老神官。その衣服には、男のそれと同じ聖印が刻まれている。
「私の名は、エルディス」
名乗る声に、まったく迷いはなかった。
「あんた、ここで何をしようとしてる……!」
ライナーさんが剣を構え、声を低くして問いかける。
その目には緊張と警戒がにじんでいた。
だが、男──エルディスは、まるで問いかけすらも心地よい音楽を受け流すように、口元を歪めて微笑んだ。
「この人たちはね、理解できなかったんだよ。進化の扉を……。フラグメントの真の力を恐れ、ただ封印し続けてきた。女神の名の下に、力を眠らせ、世界を“止めて”きた」
エルディスの目がわずかに細まり、その瞳の奥で狂気の光が揺らめいた。
「だが、彼らは間違っていた。力は封じるものではない。恐れ、拒むものでもない。神の御業は人の手に宿されるべきだ。私は、その器となる。この肉体にフラグメントの力を取り込み、進化の道を切り開く──それこそが、人のあるべき姿だ」
彼はまるで、舞台の演者のように手を広げ、空に浮かぶフラグメントを指し示した。
「だが、もういい。私は“それ”と繋がった。この世界は進化の時を迎えるのだ」
「繋がった……? 何を言って……」
ミラが一歩後ずさる。
「世界は眠っていた。そしてこの封印こそが、その永き眠りの象徴だった。私はこの眠りを……“覚まし”に来た」
彼の手には、奇妙な装置が握られていた。
古代の金属とガラスが融合したようなそれは、中心に黒いフラグメント片を抱え、うごめくように明滅している。
その構造は、見たことのない複雑な魔術式を帯びており、ただならぬ力が潜んでいるのを感じさせた。
「これが、目覚めの鍵だ」
その瞬間、装置が高く唸りを上げる。
エルディスがそれを高々と掲げた瞬間、浮かぶ水晶体がまるで応えるように震え始め──放たれた光が、天井を貫いた。
「下がれ!」
ライナーさんの叫びと同時に、空間全体が軋むような音を立て始める。
フラグメントが暴走する。
耳を突き刺すような高音が空間を満たし、血の匂いに混じった熱気が皮膚を焼くようだった。
全身に嫌な感覚が走った。脳髄を逆撫でするようなマナの奔流が駆け巡る。
「止めないと……!」
ミラが腰に差していた小さなポーチに手を伸ばし、詠唱の構えを取る。
そして、フラグメントとエルディスの身体が、赤黒い光で結ばれた。
彼の肌が割れ、そこからマナが溢れ出す。
笑っていた。
自分の肉体が変質していくというのに、彼は歓喜の表情を浮かべたままだった。
「……この力……これが……」
背筋が凍るほどの陶酔の声。
その目には、もはや誰も映っていなかった。
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