第34話 魔の胎動
石段をゆっくりと下りていくと、地下の空気がいっそう冷たく、重く感じられた。
頭上の石壁が遠ざかっていくごとに、世界が静寂に包まれていく。
俺たちは誰も言葉を発さず、足音だけが淡く響いていた。
この先に何があるのか。誰も分かってはいない。
だが、確かに呼ばれているような気がした。
通路の先は曲がりくねっており、ところどころ崩れた壁や、埃をかぶった装飾の名残が目に入る。
昔は神聖な場だったのだろう。祈りを捧げる像や、朽ちた帳のようなものが散見される。
誰かの気配は……ない。だが、すぐ先に何かがある予感だけが、胸を締めつけてくる。
「こんなところにまで……やっぱり、異常を感じたのは間違いじゃなかった」
ネアさんが低く呟く。その声音には、警戒と確信が混じっていた。
「ネアさんは……どうして、ここに?」
ミラが少し戸惑いながら尋ねる。
「……嫌な予感がしてね。マナの流れが乱れてた。こういうのには覚えがある」
ライナーさんが眉をひそめ、問いかけた。
「なんなんだ、あんた。ギルドの人間でも、聖堂の関係者でもなさそうだが……」
だがネアさんは何も言わず、ただ視線を前に向けるだけだった。
「……まあ、今は異変の調査が先か」
これ以上聞いても詳しい話は出てこないと思ったのか、ライナーさんはため息まじりにそう言い、剣の柄に手を添える。
やがて、壁に取り付けられた古びた魔導灯がわずかに明かりを投げかける空間にたどり着いた。
広めの部屋だ。床にはうっすらと血痕が残されている。
「……誰か、倒れてる……」
ミラが小さな声でつぶやいた。
俺たちはゆっくりと近づき、倒れている男に視線を落とす。
肩章と衣服の装飾から察するに、聖堂所属の聖職者のようだ。
胸元には深々と刻まれた裂傷。すでに息はない。
「ひでぇな……こりゃ……」
ライナーさんが険しい顔で呟いた。
周囲には争った形跡もあった。
机はひっくり返され、壁には衝突の跡。
何かが、確かにここを襲ったのだ。
「気を抜くな。すぐ近くに……何かがいるかもしれねえ」
ライナーさんが短く警告する。
「うん……でも、進まなきゃ」
ミラは強くうなずき、再び歩き出す。
──そして。
重厚な石扉が目の前に現れた。
両開きのその扉には、見慣れない魔導紋が複雑に刻まれ、中央には手のひらほどのフラグメントが深く埋め込まれていた。
その結晶体は、淡い青白い光を鼓動のように明滅させ、表面にはかすかに赤黒い線が滲んでいる。
近づくほどに胸の奥がざわつき、指先がじんわりと熱を帯びるような感覚があった。
まるで、その光が生きているかのように、こちらを見返している気がした。
扉はわずかに開かれていた。
俺たちは無言のまま顔を見合わせ、小さくうなずいて中へと足を踏み入れる。
足元を包む空気が妙に重たく、微かな鉄錆びの匂いが鼻をかすめた。
──そこにいたのは、聖職者のローブをまとった男だった。
浅黒い肌に、精悍な目元。
だが、その表情はどこか歪み、瞳には狂気とも陶酔ともつかない光が宿っていた。
口元には微かな笑みが浮かび、視線は目の前の石台に固定されている。
石台を囲むように、円形の石柱群が配置されていた。
いくつかは無惨に砕け、裂け目から赤黒いマナが濃密な靄となって立ち上っている。
男の足元にも赤黒いマナが絡みつき、ゆっくりと渦を巻くように漂っていた。
そのマナの脈動は、中央のフラグメントの淡い光と微かに呼応するかのように、同じリズムで震えている。
空気がざわめき、胸の奥に鈍い痛みが走った。
「……あの人……何かが……おかしい……」
ミラの声が震え、足が止まる。肩が小さく震えていた。
ネアさんは目を細め、無言のまま男を見据える。
その表情からは感情を読み取れず、ただじっと、何かを探るような視線が向けられていた。
ライナーさんは短く息を呑み、剣の柄を強く握り直した。
小さな舌打ちが空気を裂き、足が無意識に半歩前に出る。
俺は――
喉の奥が渇き、息を整えようと胸を上下させる。
鼓動が早鐘を打ち、全身に冷たい汗が滲んでいくのが分かった。
この男は、もう引き返せない。直観がそう告げる。
この場に渦巻く赤黒いマナ、その中心に立つ男の姿――
目の前の光景が、現実のものとは思えないほど、異様で、禍々しかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
現在は隔日で更新しています。
よければブクマや評価、感想などで応援いただけると励みになります。
今後の展開もぜひお楽しみに!




