第32話 揺らぐ聖域
聖堂の奥、女神像の前で俺はしばらく立ち尽くしていた。
微かに発光する青白い像は、周囲の神聖な空気と溶け合いながら、静かに佇んでいる。
まるでこの空間そのものが彼女の意思で護られているかのようだった。
「これが……この街を護ってきた存在、か」
俺の言葉にミラが頷く。
「うん。女神信仰って言っても、そんなに堅苦しいもんじゃないけど……サンドールの人たちにとっては、暮らしの中に溶け込んでる存在なんだよ。あの像はその象徴ってとこかな」
視線を巡らせると、壁面には天使や精霊を象った浮き彫りが施されていて、いずれも女神へ祈りを捧げる姿が描かれていた。
神話なのか歴史なのかは判断がつかないが、どれも一様に「護る者」としての女神の姿を強調しているように見えた。
だがその空気を断ち切るように、聖堂の奥の通路、半ば隠されるように設けられた一角に目を向けると、そこには明らかに違う雰囲気があった。
その前には、槍を構えたギルド所属らしき警備兵が二人、厳重に立ちはだかっている。祭壇前の穏やかさとは対照的に、その一角だけは異様な緊張感が漂っていた。
「……あそこが、封印支柱のあった場所か」
「うん……たぶんね。あの通路の先に“地下”があるって聞いたことある」
ミラが声を潜める。俺も小さく頷いた。
ライナーさんが言っていた。
この聖堂の地下には、街の根幹を支えるための強力なフラグメントが封印されていて、その封印支柱の一本が破壊されたのだと。
……あれが、この街の異常の始まりだったのかもしれない。だとしたら──この先、何が起こるのか。
静かすぎる空間の中、俺はふと、心臓の奥に奇妙な鼓動を感じた。何かが……揺れている。
マナだ。
大地の奥から、何かが蠢いているような、そんな感覚が一瞬、全身を駆け抜けた。
「……っ!?」
次の瞬間だった。
聖堂の奥深く──地下から、鈍く響く音がした。続けて地面が震え、大気が軋む。
轟音。
それは、明確な“爆発”だった。
「きゃっ……!」「な、なに!?」「地震!?」
礼拝に訪れていた人々が一斉に動揺し、悲鳴が飛び交う。
床の石がわずかに歪み、ステンドグラスの光がぶれる。警備兵が周囲に叫び声を飛ばす。
「全員、広場へ避難を!聖堂内は立入禁止だ!」
ミラが俺の手を掴み、駆け出す。
「アッシュ、行こう! 一旦外に……っ」
けれど俺は、足を止めていた。いや、止まってしまっていた。
マナの流れが、乱れている。ただ事じゃない──俺にはわかる。
気づけば、俺は騒然とする礼拝堂を逆行するように、あの通路の方へと駆け出していた。
通路の前には先ほどまでいたはずの警備兵の姿が見えない。
どうやら爆発の直後、確認のためか、地下の奥へと向かったらしい。
通路は封鎖されたままではあるが、今なら抜けられる──そう判断するのに、時間はかからなかった。
「アッシュ!? ちょ、ちょっと! そっちは──」
俺の背にミラの声が追いかけてくる。けれど、止まれなかった。
あの揺れ……このままでは、何かが壊れてしまう。そんな直感に突き動かされていた。
通路の奥へと足を踏み出すと、かすかに低い振動音が足元を伝ってくる。
空気の奥底で、何かがゆっくりと軋むような気配があった。
その場に立っているだけで、肌の表面に薄いざわめきが感じられる。
何が起きているのかは分からない。
だが、確実に何かが“動いている”──そんな感覚だけがあった。
「おい、そっちは立入禁止だ!」
後ろからライナーさんの怒鳴り声が飛んできた。
それに重なるように、ミラの叫ぶ声も聞こえた。
「ライナーさんが一緒ならいいんでしょ!? お願い、早く!」
背後で二人の声が交錯しているのがわかるが、俺は足を止めなかった。
通路の先にも警備兵の姿が見えず、代わりに、奥から何かが蠢くような不穏な気配だけが残っていた。
ライナーさんの声がわずかに低くなり、何か諦めたような気配が感じ取れた。
「……ちっ、仕方ねえな。お前たちに付き合ってやるよ。何かあってからじゃ遅いからな」
俺が足を止めることなく通路の奥へと進みかけたその時、後ろから足音が追ってくるのが聞こえた。
「待てアシュト!……ったく、お前ってやつは!」
ライナーさんが苦々しく吐き捨てながらも足を止めず、俺の隣へと並ぶ。
「こんな時に突っ走るなんて……ほんと、アッシュらしいよね」
ミラも肩を上下させながら、追いついてきた。
俺たちは言葉を交わす間もなく、騒然とした礼拝堂の裏手に広がる通路へと足を踏み入れた。
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