第26話 門を越えて
サンドールの街を前にして、キャラバンの進行は大きく滞っていた。
街の前には大きな石造りの門が聳え立ち、その前に数十人規模の旅人や馬車が列をなしている。
初めて訪れる俺にも、それが“普通の状況ではない”ことはすぐにわかった。
「……やっぱり、何か起きてるな」
俺の隣にいたボーダーの男が、眉をひそめながら門の様子を見つめた。
街道を進みながらこの街に何度も訪れたことがあるという彼にとっても、この雰囲気は異常だったらしい。
「普段はここまで厳重な検問なんてしてない。名簿と荷物の外見チェック、目的地の申告くらいで十分だったはずだが……」
門の前では、兵士たちがひとりひとりに対して、水晶のような器具をかざしている。
「……あれは《マナレゾナンス・クリスタ》。マナの波長を読んで、街の出入り記録を確認するためのものだよ」
ミラが小声で言った。
表情は変わらないが、どこか緊張感が漂っていた。
「住んでいる人や商人、それからよく出入りする人は、最初に登録しておくんだよ。一度登録しておけば、出入りの際の確認も簡単になる」
横から低い声がかかった。ボーダーの男だった。
道中の戦闘で少し言葉を交わして以来、彼とは自然と話すようになっていた。
「未登録者が通るには、受け入れ先の証明が必要だ。宿でもギルドでも構わないが、誰と会うのか、何の目的で来たのかがはっきりしていないと通れない」
彼は小声で続ける。
「証明がなけりゃ、身体検査と全荷物の確認。その上で仮滞在申請……。下手すりゃ数日足止めだ」
そう言って、男はちらりとこちらを見る。
彼にとっては日常の延長にある手続きかもしれないが、俺にとっては全く未知の話だった。
この状況での“身分証明”がどれほど重いものなのか、少しずつ実感として迫ってくる。
「お前はどうなんだ?」
「……もちろん、登録なんてされてない」
俺は思わず苦笑した。
そもそもこの世界に来てから、街という街に入るのも初めてだ。
「フードの女も同じだろうな……」
彼女は軽く肩をすくめるだけで、言葉を返さなかったが、その様子からして確信が持てた。
少なくとも“普通の旅人”ではない。
「ちっ、このままじゃ、街に入れないかもな……」
ボーダーの男は一度、深くため息をついたあと、列から外れて前へと歩き出した。
「ちょっと待ってろ」
門の前では、兵士とやり取りをしている男たちの声が飛び交っている。
その中へ、彼は堂々と割って入った。
「キャラバン護衛中の仲間が何人かいる。未登録者も含まれてるが、緊急の報告がある。通してもらいたい」
声は聞き取れなかったが、検問官の顔がぴくりと動いたのが遠目にもわかった。
「アクネシア山脈沿いの街道で、バスクスラットが集団で現れた。異常な数だった。放っておけば、境界への影響も避けられなかったはずだ」
わずかにざわつく兵士たちの周囲。
検問官が何かを問いかけると、男は腰のポーチから銀色の章を取り出して掲げた。
「ギルド登録済のボーダー、ライナーだ。未登録者の仮通過については、俺が臨時保証人になる。道中の正式な報告は後ほどギルド経由で提出する」
やり取りは短かったが、その言葉に兵士たちは顔を見合わせ、やがて検問官がこちらを振り返った。
俺たちはただその様子を見守っていたが──数分後、兵士がこちらに手を振った。
「おい、お前ら通っていいってさ。俺の臨時保証で通してもらえる」
「……いいのか?」
「お前らには借りがあるからな。これでチャラだ」
そう言って、彼は肩をすくめて笑った。
あの場で、道中での出来事──魔物の異変や境界の影響について、簡単に要点だけを伝えたのだろう。
ライナーの言葉が、検問官の判断を後押ししたのは間違いない。
マナレゾナンス・クリスタが俺の胸元にかざされる。
器具から発せられる微かな光が、俺の体を包むように走る。
すぐ近くでは、兵士が名簿のような記録板を確認していた。
対応する名前や情報が見つからないのだろう、兵士の視線が一瞬止まる。
淡く光るそれは、しばらくして赤く明滅した。
「未登録者……だが臨時保証あり。通過を許可する」
形式的に記録される俺の情報。
どうやら“キャラバン臨時護衛者”という扱いになっていたらしい。
フードの女も同様に確認を受けた。
兵士がマナレゾナンス・クリスタをかざし、手元の記録板と照らし合わせているのが見える。
──だが、そこに彼女の名前はなかったようだった。
器具は淡く光ったあと、俺のときと同じように赤く明滅する。
つまり、街の住人ではないということだ。
理由はわからないが、彼女もこの街に“何かを目的に来た”未登録者──それだけは、はっきりしている気がした。
ボーダーの男も何となく察しているようだったが、特に何も言わなかった。
こうして、俺たちはようやく門を抜け──サンドールの街へと足を踏み入れた。
門を越えて最初に感じたのは、空気の重さだった。
サンドールの街は想像していたよりもずっと広く、整然とした石造りの街並みが続いていた。
だが、そこには活気がなかった。
広場の屋台はほとんど閉じられていて、人通りも少ない。
道の脇には「日没後の外出を控えるように」という張り紙が貼られ、街角では巡回中らしき兵士の姿もちらほら見える。
人々の足取りも早く、誰もが何かを避けるように顔を伏せていた。街全体がぴりついているような、そんな空気だった。
「……前に来たときとは、ずいぶん雰囲気が違うな」
後ろから聞こえたのは、ボーダーの男のつぶやきだった。
警戒心を隠さず周囲を見回している。
検問所を抜けた瞬間、キャラバンの面々からは小さなため息や肩を落とす仕草がいくつも見られた。
誰もが気づかないうちに張りつめていたのだろう。
俺自身も、ようやく荷台から荷物を下ろして、少しだけ息を吐いた。
行商人たちはそれぞれ、自分の取引先や馴染みの宿に向かって散っていく。
誰も名残を惜しむことなく、むしろ早く日常へと戻ろうとするように。
キャラバンという一つの集まりが、今まさに解けていくのがわかった。
俺とミラも、どこかで宿を探す必要があった。
「ここで俺たちは解散だな」
ボーダーの男がこちらを向いて言う。
表情はいつもの無愛想なものだが、その目にはどこか安心感があった。
「道中、助かったぜ。礼を言う」
「……こちらこそ、お世話になりました」
男は手を軽く上げて、それきり振り返らなかった。
その背中が街の雑踏に紛れていく。
あの無愛想な声を、またどこかで聞くような気がした。
ふと視線を感じて振り返ると、少し離れた場所にフードの女が立っていた。
石畳の上に静かに佇むその姿は、暗く影を落とす街並みに溶け込むことなく、まるで別の空気を纏っているようだった。
ミラと目を合わせた。
ミラは小さく頷くだけで、何も言わなかった。
俺は意を決して歩み寄る。
「あの、名前……教えてもらっていいですか?」
女は一瞬だけ瞳を細めた。
何かを測るような、こちらを見透かすような視線。
それでも、やがて口元をほんの少しだけ和らげて、小さく答えた。
「ネア。……それが私の名だ」
その声音には迷いはなかった。
どこか距離を保ち続けていた彼女が、ほんの一歩だけ近づいてきたような気がした。
後ろにいたミラが小さく呟く。「……名簿の名前と、違う」
だが、それ以上の詮索はしなかった。
彼女なりの事情があるのだろうと、自然とそう思えた。
ネアと名乗ったその名に、きっと意味があるのだろう。
ネアさんはほんの一瞬、視線を街の空へと向け、そして俺たちに向き直る。
「……あんた達とは、また会う気がするよ」
風が通り過ぎる中、ネアは軽く手を振り、石畳の路地へと静かに消えていった。
石造りの道が、目の前にどこまでも続いている。
高い建物の影、静まり返った通りの気配──
どれもが、今までの旅路とは違っていた。
初めて訪れる“街”。
その中で、俺たちは何を見て、何を選ぶことになるのだろうか。
胸の奥には、不安と期待が静かに混ざり合っていた。
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